2021/05/13

原尞氏の「そして夜は甦る」を読了した感想

早川書房公式note


10日に15歳で老衰死した愛犬リリーを、おととい、市営の火葬場(斎場)で骨にしてもらった。
昨日は、犬のベットとか布団とかタオルとか、リリー関連の荷物を整理した。
その仕事の合間を縫って、早川書房公式note(無料)で「そして夜は甦る」を読み進んだ。

久しぶりの探偵小説に、グイグイ引き込まれてしまったのだ。
原尞氏の「そして夜は甦る」は、読み始めたらやめられなくなる長編小説である。


この小説には様々な人物が登場する。
その多彩な登場人物たちが物語に厚みを加えている。

田園調布の豪邸に住んでいる美術評論家。
資産家の娘である魅力的な女性。
大会社の会長や相談役。
大手新聞社を退職したルポライター。
双子のやり手弁護士。
射撃競技の元オリンピック候補だった男。
調布駅近くのバーのマダム。
東京都知事とその弟の映画スター。
口は悪いが、探偵に協力的な新宿署の警部。
暴力団の幹部と、デブだが動きが素早いその子分。
影の存在である、失踪したもう一人の探偵。
などなど。

主人公の、私立探偵である沢崎は、相手がどんなに偉い人物でも、依頼された仕事を全うするために常に平然としていて、事実追及の手を緩めない。
レイモンド・チャンドラーが生み出したフィリップ・マーロウを彷彿させる探偵である。
権力に屈することなく、自分のスタイルを変えないストイックな男。
我々庶民にとっては、好感度ナンバーワンの探偵である。

これらの多彩な人物たちが、この物語にどう関わっているのか。
それは当然のことだが、読み進んでいくうちに明らかになっていく。 
ロバート・エイクマンの小説と違って、探偵小説は明瞭でなければならない。
事件の謎は明かされなければならない。

結末は謎のままで、犯人は誰でしょう、主人公はどうなるのでしょうでは、読者が納得しない。
はらはらさせながら、読者をストンと満足の場所へ着地させるのが探偵小説。

その結末は、思いもかけない。
いや、案外こうなるだろうという予感がかすかにあったのだが。
「そして夜が甦る」なのだから。
「そして夜が甦る」というタイトルの意味が最後の最後に明らかになる。

偽装された東京都知事狙撃事件が、現実のものとなって夜に甦る。
なんという大胆なストーリー。
実在の人物を思い起こさせる人物設定に驚いてしまった。
作家である東京都知事と俳優の弟。
ハードボイルド小説は、主人公の探偵の大胆さが特徴である。
大胆な行動や、大胆な推理。
そんなドラマを描き出すためには、作者の発想も大胆でなければならないのだろう。

権力者の犯罪を暴き出すダンディズムみたいなものをこの小説に垣間見ることができる。
ちょっと不良っぽい探偵の男の美学みたいなものを描けば、ハードボイルドになるかもしれない。
だが探偵沢崎はいたってまじめな男なのである。

悪態をつきながらも、相手の存在を評価する悪漢や口喧嘩相手を登場させる。
魅力的な女性を登場させる。
西新宿の三階建てモルタル塗りの雑居ビルに事務所を構え、ポンコツに近いブルーバードを乗り回し、両切りのピースを愛煙するまじめな私立探偵。
そんな存在感のある主人公が登場するハードボイルドなのだ。

しかし、現実には存在しがたい登場人物である。
ハードボイルドという世界のリアリティは、現実社会のものではない。
現実社会が反映させた夢の世界。
大人のメルヘンのようなものである。

現実社会では、夜を甦らせるようなタフな男はいない。
この小説の最終章で姿を見せる「諏訪雅之(射撃競技の元オリンピック候補/狙撃者)」がこの物語の重要人物である。
タフで不道徳で優しい心情の持ち主。
案外このメルヘンの主人公は、私立探偵沢崎ではなく、狙撃者の諏訪雅之なのかもしれない。

そしてもうひとり。
出番も少なく姿も見せないが、沢崎を陰で支える探偵の渡辺。
この男の存在感は、陰の主人公ってところだろうか。

いろいろな場面で沢崎の人を思いやる気持ちがセリフにあらわれ、そのセリフが登場人物たちの個性を浮き立たせる。

とりとめもなく書いたが、原尞氏の「そして夜は甦る」はそういう探偵小説だった。