青森市六枚橋の「昇龍の松」
国道280号線沿いにあるクロマツの巨木。 |
陸奥湾沿いの国道280号線(旧松前街道)を北に向かって走り、六枚橋川を越える。
橋を渡ると、すぐ右手(海側)に大きなクロマツが屈曲して生えている姿が目につく。
「昇龍の松」と呼ばれている「青森市指定文化財(天然記念物)」のクロマツである。
「昇龍の松」が立っている場所は、個人所有の農地の端。
そばに説明の看板がある。
以下は看板の説明文を引用したもの。
青森市指定文化財(天然記念物)
黒松 一本
〇所有者 青森市大字六枚橋字不浪知
赤平重人
〇指定年月日 昭和42年6月26日
〇大きさ 幹囲 3.15m 樹高 4.40m
樹下 北へ 7.8m 南へ 10.0m
西へ 8.6m
赤平家は、代々松前藩が参勤交代のときに宿泊所をつとめた家柄である。藩主はその業績をたたえて、日々愛観していた黒松の盆栽を一鉢贈り、それまでの労をねぎらったという。その後、移植されたと記録されている。
樹勢が強く現在も衰えを見せずに成長し、その上、樹形は龍が天に昇るような偉容と樹皮も龍のうろこのようであることから「昇龍の松」とも呼ばれるようになった。樹齢は約五〇〇年である。
たしかに樹形は龍のようである。
昇龍の姿は、勢いがあって立派である。
看板によると、樹齢五百年となっているが、幹周りのサイズが315cmとちょっと細身。
去年の9月5日に今別町にある「鍋田の大ハリギリ」を見物したが、「鍋田の大ハリギリ」は幹周り645cmで推定樹齢が五百年とされている。
松は成長の早い樹木であると聞いたことがあるが、「昇龍の松」の樹齢が五百年にしては、かなり細身ではないかという疑問が湧いた。
今(2022年現在)から数えても、五百年前は1522年である。
1522年はどういう時代か調べてみたら、「足利義晴が、室町幕府第12代将軍に就任」したころだという。
まだ江戸時代では無いジャン。
松前藩の殿様の参勤交代も無いジャン。
そもそも松前藩はいつごろ成立したのだろう。
松前町のオフィシャルサイトに「松前藩の成立」というページがある。
そのページには「慶長九年(1604年)一月に徳川家康から安堵状が与えられ、蝦夷地の領地権、徴役権、交易の独占権を得て、日本最北の藩松前藩が成立しました。」とある。
今から418年前に松前藩が成立したことになる。
その後、松前藩代々藩主の参勤交代が行われ、松前街道を通り、そのたびに「赤平家」に宿泊したのだろう。
「赤平家」のその業績をねぎらって松前藩の何代目かの藩主が「日々愛観していた黒松の盆栽」を「赤平家」の当主にプレゼントした。
仮に、プレゼントの時期を今から四百年前の1622年だとすると、樹齢五百年のクロマツは百年もの間「松前(蠣崎)家」で「日々愛観」されていた盆栽ということになる。
現在の「昇龍の松」の屈曲した姿は、百年間の屈曲した盆栽生活によるものなのか。
人間によって盆栽として加工された百年間があったから、野に放たれて四百年経っても幹は太れないのか(あくまでも仮定による私の邪推)。
などと、納得したような、納得できないような。
しかし、「樹齢は約五〇〇年」が誤りであっても、クロマツの巨木に罪はない。
人間によって過大に評価されたクロマツは、ただただ屈曲するしかないだろう。
「青森市指定文化財(天然記念物)」の看板。 |
クロマツの樹皮。 |
樹皮の亀甲状の裂け目が、まるで龍のウロコ。 |
地表から天に向かって躍り出た「昇龍の松」。 |