雑談散歩

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藤沢周平の短編小説「泣く母」を読んだ感想

新潮文庫「霜の朝」収録「泣く母」。

「泣く母」は、十五歳の少年、伊庭小四郎が主人公の青春小説である。

現代小説では、登場人物が高校生である青春ものが割とあるが、時代小説である「泣く母」は、剣術道場に通う若者が主な登場人物である。
現代とは異なり、若者の数が多かったのか、あるいは剣術の流派が多数あったためか、小説には多くの道場名が登場する。

そのなかで、主人公が通っている剣術道場は、「無住心剣流」を指南する藤井道場。
なお、「無住心剣流」は江戸時代に実在した剣術流派であるとのこと。

青春小説には、対決ものが多い。
「泣く母」には、同じ道場に通う伊庭小四郎と森雄之助との真剣勝負が、物語の山場として描かれている。

この少年同士の対決に至るまでの経過が、物語の筋になっている。
ところが、この物語には、もうひとつの筋がある。

伊庭小四郎の父は、普請(ふしん)組小頭を勤めていた。
小四郎がまだ母親の胎内にいたときに、修理工事をした石垣が大雨で崩れ、父親はその責任を負って切腹していた。

小四郎の母は、小四郎が生まれると同時に伊庭家を出て実家に戻った。
実家の父親が、小四郎の母を強引に実家へ連れ戻したのである。
まだ若かった母は、一年後に他家に嫁いだ。

母の父親である斎賀藤兵衛は普請奉行助役だった。
つまり、小四郎の父の義父であると同時に、仕事の上役でもあった。
斎賀藤兵衛と普請奉行に小四郎の父が因果を含められて腹を切らされたという噂が流れた。

有力者が、力のないものを犠牲にして保身を企てる。
これは江戸時代に限らず、階級社会に共通した出来事であろう。
その理不尽な主従関係を、影のテーマとして、藤沢周平は描いているのである。

こうして、道場に通う若者たちのなかには、有力者の倅に追従するものが少なからず存在した。
後に小四郎と真剣勝負をすることになる森雄之助も、禄高百八十石の上士の子弟で、時々その身分をちらつかせる嫌な男であった。
親の威光を笠に着る子どもは、現代でも珍しくはない。

小四郎は、父方の祖父と祖母に育てられた。
老夫婦は、小四郎の父も母も生きてはいないと孫に教えて育ててきた。
だが小四郎は、母が生きていて他家へ再嫁したことを、何かの拍子に乳母の口から聞いていたのだった。

あるとき矢口八之丞(やぐちはちのじょう)という少年が小四郎が通う藤井道場に入門してきた。
この少年が、母の子であり、自分の異父弟であることを小四郎は知る。
矢口八之丞は、禄高三百石の番頭(ばんがしら)である矢口主税(ちから)の子息だった。

道場で稽古を重ねるうちに、小四郎は弟である八之丞に愛着を抱くようになる。
しかし、八之丞は小四郎が兄であることを、まだ知らない。

八之丞の家格が自分の家よりも上であることを妬んでいた森雄之助は、もっともらしい口実をつけて、年下の八之丞に試合を申し込む。
そのことを知った小四郎は、もし八之丞に何かあったら母が悲しむことだろうと、自ら森雄之助と向かい合う。

斬り合いの末、小四郎は雄之助に痛手を負わせたが、彼も肩に傷を負った。

意識が遠退いてからどれぐらい経っただろう。
気がつくと小四郎は、母のやわらかい膝の上に抱えあげられていた。

小四郎は、顔を合わせたことのなかった母に、初めて抱かれたのであった。
その母が、自分のために涙を流している。

藤沢周平の巧みな文章と筋運びに、読者がほろりとくるシーンである。

小四郎は、見たことも会ったこともない母のために命をかけたのである。
それは同時に、詰め腹を切らされた父のためでもあったことを、作者は暗に示している。

身分の低い者、力の弱い者が虐げられることへの作者の憤りが、この物語を組み立てたのだろうとブログ管理人は感じた。
読者を感動の世界に導く手腕にも感動しつつ、藤沢周平は優れたエンターティナーであると感じたのだった。

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