泉鏡花著「雛がたり」を読んだ感想
お雛様のイラスト。「コピペできる無料イラスト素材展」の「ひな祭りイラスト素材集」より。 |
泉鏡花の「雛がたり」という短編小説を読んだ。
別に3月3日の雛祭りが近づいているからではない。
泉鏡花の文庫本(ちくま日本文学)の最初に、「雛がたり」があったからである。
偶然この時期に、この時期のものを読むことになった。
「雛がたり」は「雛づくし」の小説である。
「雛-女夫雛(めおとびな)はいうもさらなり。」で始まり、「桜雛(さくらびな)、柳雛(やなぎびな)、花菜(はなな)の雛、桃(もも)の花雛、白と緋(ひ)と、紫(ゆかり)の色の菫雛(すみれびな)。鄙(ひな)には、つくし、鼓草(たんぽぽ)の雛、」と花の雛が続く。
そのあとに「紙雛、島の雛、豆雛、いちもん雛」と、かわいらしい小さなお雛様の羅列。
主人公(作者)の記憶の雛風景なのだろう。
その記憶が、幼児の頃に見た「母親の雛」にたどり着く。
子どもの頃、雛壇の下で寝ていたら、雛の話し声が聞こえた記憶。
その母親が大事にしていた雛は、母親が亡くなった後に、町に大火があって、全て焼けてしまう。
しかし主人公は、雛たちがキリキリと動く唐草蒔絵の車に乗って避難し、自ら火を免れたのではと思っている。
そういう回想シーンが、小説の前半を占めている。
後半は、より幻想的な物語である。
大火で家が焼けてから十二~三年後に、主人公は住まいのある逗子から静岡の阿部川(安倍川?)の方へ旅をする。
阿部川の橋の袂にある一軒の餅屋の奥で、その昔故郷の家にあった母親の五壇の雛たちが生き物のように動いているのを目撃する。
餅屋を出て、阿部川の河原で緋毛氈が風に舞って、柳の枝にからみついたのを見て、主人公は火事を連想する。
キリキリと動く唐草蒔絵の車の響きが、どこからともなく聞こえてくる。
筋があるような、ないような。
話の落ちがあるようなないようなこの小説を読んだら、ロバート・エイクマンの短編小説「奥の部屋」が思い浮かんだ。
「奥の部屋」も、主人公と怪異な体験との間に人形が介在する。
幼時の体験と大人になってからの怪異な体験の対比が、興味深い小説だった。
「雛がたり」は、主人公が「雛(幼児)」だった頃の体験を語っている。
そして、大人になっても「雛」の感受性を保有している主人公(作者)の、「雛(幼児)」らしい体験を語っているように思える。
人形を見ることで、空想の友としてその人形に接していた頃の世界へ連れ戻される。
人形が、子どもに語りかけるのが「雛がたり」なのか。
そんな雛人形たちのことを語るのが「雛がたり」なのか。
「雛がたり」には題名が示しているイメージを彩る様々な「趣(おもむき)」が描き添えられている。
- 宝井其角の句、「もどかしや雛に対する小盃」。
- 枕草子の「いみじう美しき児の、いちごなど食ひたる」を連想させる「色白き児の苺くいたる」。
- 松尾芭蕉の発句「梅若菜 丸子の宿の とろろ汁」の抜粋。
- 「照りもせず曇りもはてぬ春の夜の朧月夜にしく(似る)ものぞなき」の歌に由来する源氏物語の朧月夜。
- 餅屋の綺麗な娘と、大財産家の美しい奥さん。
- 蒼空に富士。
これは私の憶測だが、雛祭りが近いある日、泉鏡花は編集者に「お雛様」の物語を注文されたのではあるまいか。
鏡花は、「お雛様」を鏡花流に飾ったのである。
それで、出来上がったのが「雛がたり」という彩り豊かな「小品」。