雑談散歩

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内田百閒の短篇小説「すきま風」の読書メモ

内田百閒「すきま風」。

小説の題名になっている「すきま風」とは、壁や戸や窓などの隙間から吹き込む風のことである。

家の外で発生した風が、戸締りをしていても、細い隙間から家の中へ侵入してくる。
あるいは、家の中と戸外との空気圧の差が、外と通じている隙間から家の中へ空気の流れを招き入れてしまう。

寒い季節に、すきま風が吹き込む家で暮らすのは、非常に不快で居心地が悪い。
まして、窓がピューピューと鳴るのは、寒さとやかましさで、ゆっくりくつろげない。

小説「すきま風」に、すきま風が吹いている描写は登場しない。
読者は、すきま風を探して、この小説を再読する。
リズミカルでユーモラスな会話体で書かれた短い小説なので、再読は容易である。

再読の後に、すきま風探しをあきらめる読者と、隠されたすきま風の存在を探る読者。

前者は、例えば内田百閒の「梟林記」に梟が出て来ないように、「すきま風」もそんなものだろうとあきらめる。
小説の内容と題名がちぐはぐなところが、内田百閒の変な面白さなのだと納得する。

後者は、どこかにすきま風が吹いているはずだと、再読に再読を重ねる。
そして、突然現れた、奇妙で不快な登場人物たちが、すきま風なのではないかと推察したり。
いや、彼らは夢の中の登場人物なのだから、「私」の居眠りの隙間に入り込んだ夢がすきま風なのではと思ったり。
女に対する「私」の心情が、会話体で描かれ、夢の中の女の実在感が際立っている。

そこで次のようなことを考えてみた。

(「私」の夢→夢の中に入り込んだ不快な登場人物たち→家の中を歩き回る登場人物たち→家の中から消える登場人物たち)=すきま風の流れ

だが小説「すきま風」の作中には、「すきま風」や「夢」という言葉は無い。
「眠い」という意味の言葉は3回出てくる。

「だなさんだって眠いでしょう。そうらあんな目してるわ」(「私」のことを語っている女の台詞)
懐中汁粉を食べ過ぎた後の様にねむたくなった。(「私」の語り)
もう眠たくて我慢が出来ない。(「私」の語り)

夢の中で「眠い」を繰り返し語っている「私」は、眠ることで夢(すきま風)から逃れようと思っているように感じられる。
あくまでも当ブログ運営者の空想であるが。

では、すきま風の発生から消滅までの流れを、ストーリーに沿って追ってみよう。

外の風の音が途切れて、家のなかが急に静かになる。
その静かさが、「静まり返って、段段にもっと静かになって、どこまで静まって行くのか解らない」
早く戸締りをして寝なくてはいけない。
そう思った「私」は、泥棒が気になって、家中の戸締りをする。
戸締りの後、人心地ついていると、不意にけたたましい呼び鈴のベルが鳴る。
そのけたたましさは、床が抜けるか天井が落ちるほどだった。

あまりにも家の中が静かなので、呼び鈴の音をそう感じたのか。
あるいは、家の中が静まり返っていることそのものが、現実ではないのか。
家の中が静まり返っている夢を見ているのなら、けたたましい呼び鈴の音も、夢の世界での出来事である。

その後、甘木という高利貸しが玄関にはいってくる。
見知らぬ男と女が、「私」の座っている部屋に、どこからともなく闖入してくる。

どちらも中年である。
男は、鼠のような顔をしている。
女は、色白で、物腰が艶めかしく色っぽいが、顔はむかむかするほど憎たらしい。
この奇妙な二人組と甘木という高利貸しが、「私」の夢のなかに入り込んだすきま風のように思える。
二人とも突っ起った儘、そこにいる私に目もくれない風で、じろじろ辺りを見廻す。
すきま風は、現実の「私」ではなく、夢の中を覗き見している。
「私」は、すきま風に妄想を覗き見され、好みを指摘される。
白い木蓮を好きであるとか、睡蓮はきらいであるとか。
その好みが、すきま風である女の姿態に反映されている。
女の腰のあたりや襟足は好きだが、顔は憎くて胸糞が悪いという風に。

寝入り端の夢の中で、また眠くなり、また夢を見る。
家の中がだんだん静かになって、どこまで静かになるのか解らない状態は、夢の中で夢を見て、どこまで夢を見るのか解らない状態に通じている。

やがて徐々に夢から醒めるように、夢の登場人物たちが消えていく。
すきま風が去って、「私」は現実の家の中へと復帰する。

奇妙な人たちが家から出て行った後、窓の外で風の音が段々にはっきりと聞こえだす。
「私」は、また風が出て来たことにほっと安堵する。

現実の風と風の間に、夢のすきま風が吹いていたという物語。

「私」は夢の世界から抜け出して、現実の戸締りを確認しようとする。
物語は、終始現実の世界で居眠りをしていた「私」の家内の、以下の言葉で閉じられている。
玄関の戸締りは大丈夫か知らと思った。何も云わないのに、家内が「さっきかき金を掛けたのでしょう」と云って、人の顔を見た。


色文字部分:小説「すきま風」からの抜粋
参考文献
ちくま文庫 内田百閒集成4 「サラサーテの盤」に収録の「すきま風」
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