雑談散歩

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内田百閒の悪夢、短篇小説「虎」について



漢字の形

ちくま文庫の内田百閒集成3「冥途」の解説は多和田葉子氏が担当されている。
解説のタイトルは「文字と夢」。
そのなかに、小説の題名になっている漢字や小説文に登場する漢字の形についての言及がある。
漢字の部首などが、物語に与える印象について述べておられる。

たとえば「それでそこへ『牽』かれてくるのはどういう動物かと言うと、もちろんこの漢字の中に隠されている『牛』である」(「文字と夢」より引用)というように。

あえて、氏の言及をまねて言えば、「虎」という漢字は「虐」に似ていると言える。
あるいは、「虎」の文字の中には「虐」が隠れているとか。

虎は虐として存在している

内田百閒の短篇小説「虎」に出てくる虎は、人々を虐げる存在である。
そこで、小説文に出てくる「虎」を「虐」に置き換えて読むと、この小説のイメージが、より鮮明になってくる。
当ブログ管理人は、そう感じている。

小説の語り手である「私」や、集まっている人々は、会話の中でしか虎を確認できていない。
目視した者はいないのに、確実に群集のなかに虎は「虐」として存在している。

建物

小説には、「長屋の庇を取った様な、或いは学校の廊下に仕切りをつけた様な、細長い建物が奥行の深い凹字型に並んで、一ぱいに人が詰まって」とあるから、人々が集まっている場所は、たくさんの人を収容できるような建物なのだろう。

それにしても「凹字型」は、上空からこの建物を空撮しているような、それがありありと目に浮かぶようなイメージである。

駅?と貨物

そろそろ汽車の通る時刻だと云う事がわかったので、線路を伝わって来る響きに注意していたが、辺りにいる人達も何となく不安そうであった。
小説の始まりの、この文章から受ける印象は、「私」も含めて人々が、駅のような場所にいるらしいという事である。
ただ、小説文には、「駅」という文字は出て来ない。
人々がなぜ集まっているのかも書かれていない。

その汽車が通り過ぎた後に虎が出るということだけが、その場に居合わせた人々に解っていることであるらしい。

通り過ぎた汽車は貨物と客車の混合列車で、一番後ろの箱から虎が現れたらしいと誰かが告げる。

いけにえ

虎は目立つ人を狩るらしいので「私」は人々の間にまぎれこんで目立たないように努める。
人々は誰もが、危機は自分一人に迫っていると思うので身動きが出来なくなっている。
この中の誰かが抹殺をまぬがれれば、自分が犠牲になるかもしれないという危機感をすべての人が抱いている。

すると、派手な背広を着ている若い男が、衣服を剝ぎ取られて、色の白い裸姿を露わにしたまま、引き上げられた。

男の姿が消えるとともに、助かった人達は平静を取り戻し、「話し声も段段賑やかになって来た。」
ここで物語が終わる。

イメージが示しているもの

この短い小説を読み終えたとき、いくつかのイメージが気になった。

  1. 駅のような場所
  2. 汽車の貨物の箱
  3. 凹字型の建物に詰められた人々
  4. 仲間
  5. 服を脱がされ、白い肉体を晒されて消される

これらのイメージから、当ブログ管理人は以下の事を思い浮かべた。

  1. 駅に集めたユダヤ人を収容所に移送する
  2. ユダヤ人が詰め込まれた貨物車
  3. 強制収容所
  4. ユダヤ人仲間
  5. シャワーを提供するからと裸にされて、ガス室に送られる

夜と霧

若い頃に読んだヴィクトール・フランクル著の「夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録」(みすず書房)を思い出したのだった。

日本語題名は、アドルフ・ヒトラーのユダヤ人に対する総統指令(の通称)である「夜と霧」に由来するという。

もともと「夜と霧」という言葉は、リヒャルト・ワーグナーが作曲した歌劇(楽劇)のなかの「夜と霧になれ、誰の目にも映らないように!」という歌詞からとられたという。
ヒトラーは、ワグナーに心酔していたとされている。

この「誰の目にも映らないように!」は、小説文中の、姿を現さずに気配だけを感じさせる虎を彷彿させる。

時の流れ

はたして内田百閒はヒトラーのホローコストを念頭において小説「虎」を書いたのであろうか?
短篇小説「虎」が発表された1937年頃は、世界や日本で何が起きていたのだろう。

  • 1933年1月:ナチ党がドイツ国の政権を獲得し、ヒトラー首相が誕生。これにともない、ナチス政権に反対する人々に対して暴行や殺人が行われた。ユダヤ人が迫害され、ドイツ社会からの排斥が始まる。
  • 1933年2月:「プロレタリア作家」と呼ばれていた小林多喜二が特別高等警察によって虐殺される。
  • 1936年2月:日本の陸軍内部で発生したクーデター事件である2.26事件が勃発。
  • 1936年4月:国号が大日本帝国となる。
  • 1936年11月:日独防共協定が日本政府とナチスドイツの間で調印される。
  • 1937年:昭和12年1月、小説「虎」が東京日日新聞に掲載される。
  • 1941年~1945年:ユダヤ人大量虐殺(ホローコスト)。

恐怖政治

日本の軍国主義化は、日清・日露戦争を経て強まったとされている。
軍国主義とは、外交の手段として戦争を重視し、政治、経済、教育、文化などのあらゆる活動は、軍事力強化のために行わなければならないとする国家体制をつくりあげる政治思想のこと。
国家による思想統制も一段と強まったことが想像される。

2.26事件以後軍国主義が加速し、特に小説「虎」発表の前年は、日本が世界に向けて帝国主義を宣言している。

この頃は、ナチスによる恐怖政治の情報が、日本の知識人の間にも届いていたと考えられる。
小林多喜二の虐殺にみられる、特高警察による思想統制も盛んに行われていたことだろう。

語り手の立場

内田百閒は、大正14年に「旅順入城式」を書いて戦争に対する違和感を示した。
その違和感は小説「虎」の以下の文章につながっているように思われる。
大概その汽車が通ってしまった後で、虎が出るという話であった。私は今日来たばかりで今までの事は知らないけれど、あまり面白い事ではない。ここいらの人々が、よくそんな事を我慢していられるものだ、不思議に思った。
その後に、物語の語り手である「私」の考えを以下の様に披露している。
どうしてこんな物騒な所に来たのかという事を今になって考えてみても、兎に角虎がこの場を退いた後でなければ、何の役にも立たないし、今の自分の気持ちで、また周囲の取り込んだ騒ぎから、そんな事よりは早くみんなと一緒になって、自分一人だけが目立たない様にすることが肝要である。
「また周囲の取り込んだ騒ぎから」
とは、軍国主義政権に反対する知識人の行動のことであろうか。
作中の「私」は、多くの人々と同様に、そんな事には関わらずに、息を潜めて、「虐」から逃れようとする。
だからなおの事、私の気持ちが一寸動いても、すぐそれが人中で目立ち、身のまわりがざわめいて、却って虎を招く様なことになってはならない。

生き延びた安堵感

明日の事はわからないが、自分の身代わりになったとも言える犠牲者の姿が消え、今日の安全を確保した人々は、日常を取り戻す。
物語は、以下の文章で終わっている。
その姿が消えるとともに、今まで四辺を石の様に硬くしていた気配がゆるんで、次第に人人の間がざわつき、樹の影のはっきりした地面に、三人五人ずつ人のかたまりが散らばって、話し声も段段賑やかになって来た。

日本文学報国会

1942年には、文学者の戦争協力を目的とした「日本文学報国会」が発足した。
小説「虎」のなかで、「私」の決意として自分一人だけが目立たない様にすることが肝要である」と書いたが、内田百閒は、ほとんどの作家(プロレタリア作家も)が加わった「日本文学報国会」の会員になることを拒否した。

軍国主義体制下の内田百閒は、「反骨の徒」として、けっこう目立っていたのではあるまいか。
手許に資料がないので、百閒の反骨精神については、当ブログ管理人には確認のしようが無いのだが。

年代をみれば、小説「虎」を発表した頃は、ナチスによるユダヤ人虐殺の情報(写真や記事)は、まだ内田百閒には届いていなかったことだろう。
「夜と霧」が出版されたのも第二次世界大戦後のことである。

作者の幻視

しかし、「虎」という内田百閒の特異な幻視の先に、約600万人のユダヤ人が虐殺された「ホローコスト」があったのかもしれない。

内田百閒は、その悪夢の一端を小説「虎」に書いたのではあるまいか。
「虐」は、日本を始めとして、世界中に出没したのである。

今も出没している。
私たちは、自分が「虐」の餌食にならないよう、人ごみに身を潜めて目立たないように生きている。
そうやって暮らして、今日は無事だったが、明日はわからない。


色文字部分:小説「虎」からの抜粋

参考文献
ちくま文庫 内田百閒集成3 「冥途」に収録の「虎」
みすず書房 ヴィクトール・E・フランクル著「夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録」 霜山徳爾訳 

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