内田百閒の短篇小説「柳藻」の私の読み方
水中のヤナギモ。 |
女の子
内田百閒の短篇小説「柳藻」の登場人物は、語り手の「私」と婆と「女の子」の三人である。そのうち、婆の姿態の描写は比較的豊富だが、「女の子」を印象付けるような文章は、ほとんど見かけない。
「女の子」を形容する言葉は、冒頭部分の、彼女が登場するところの「若い女の子」と、終わりに近い部分の「かわいい女の子」だけである。
その「女の子」というワードは、この短い小説に32回も出てくる。
それなのに「女の子」を修飾する言葉が無い。
語り手である「私」が、しきりに連呼する「女の子」とは、「私」にとっていかなる存在であるのか。
ほとんどのっぺらぼうに見えるこの「女の子」は、無口で無個性のように見える。
こんな「女の子」を連れて、センチメンタルで寂しがり屋の「私」は、ここよりほかの場所である「向こう」へ行こうとしている。
だが、彼が行こうとしている場所は、朦朧としていて彼自身にも不明のようである。
「女の子」という呼称は、幼児から18歳ぐらいまでの女性に当てはまるもの。
もし幼児なら「幼い女の子」、18歳近辺なら「若い娘」が妥当であろう。
小説の冒頭の「若い女の子」とは、何歳ぐらいの「女の子」なのだろう。
赤い帯をしめて、片手に風呂敷包を抱えて、婆の足許(あしもと)を見ながらついて行った。これでは、「女の子」が「幼い女の子」なのか「若い娘」なのかは不明である。
この不明で曖昧な描写の理由は何なのだろう。
という疑問を頭の片隅に置きつつ、小説を読み進めた。
極楽浄土
物語の始まりの部分で、水を連想させる言葉が三つ出てくる。「私は風を嚥みながら坂を上がって行った」の「嚥みながら」
「旱(ひで)りで立ち干いた水杙(みずぐい)のような姿を現して」の「水杙」
「婆の瞳は小渦を巻いて」の「渦」
それに、小説のタイトルである「柳藻」は水生植物である藻の一種。
ブログ管理人はこれらの言葉から、作者は、読者を水辺に誘導しようとしているのではと感じたが、これは「案の定」だった。
もしかしたら、水辺は「彼岸(極楽浄土)」へとつながっているのかもしれない。
このことに関連してか、「女の子」は大きな池の近くで「身はここに心は信濃の善光寺」という御詠歌を歌い出す。
この後の歌詞は、小説には書かれていないが「導きたまへ 弥陀の浄土へ」となっている。
やはり、「極楽浄土」のイメージが濃厚である。
磯辺の松
それともうひとつ、婆一行(婆と女の子と「私」)が通る「妙な野原」には「脊の低い松が一本生えて」いる。この松は、何をイメージしているのだろう。
松が生えている「妙な野原」で婆を殺した「私」と女の子は、野原を過ぎて「妙な浜」へ出る。
「妙な浜」では、「黒い砂の磯が見果てもなく続いて」いる。
とすればこの松は、地歌「残月」の歌詞にある「磯部の松」ではあるまいか。
磯辺(いそべ)の松に葉隠れて、沖の方へと、入る月の、光や夢の世を早う
「残月」は上記の歌詞で始まる追善曲である。
「妙な野原」に生えている「脊の低い松」にも、仏教イメージが感じられる。
蛇足だが内田百閒は、「磯辺の松」を題材にした純愛小説「 柳検校の小閑」を1940年に発表している。
「柳藻」発表(1921年)から19年後のことである。
夢幻の人たちと現世の男
話を小説の始まり部分に戻そう。婆たちはどこから出てきて、語り手である「私」の前に姿を現したのか。
それは「坂の途中の横町から、ひょっこりと婆が出て来た」とある。
内田百閒の小説では、「土手」や「横町」が「夢幻空間」への通路となっている場合が多い。
この事を踏まえてブログ管理人は、以下の様に想像した。
婆たちが横町の奥の「夢幻空間」から現世に姿を現し、もう一つの「夢幻空間」である「彼岸(水辺)」へと歩いて行った。
男の欲望
ところが婆たち(婆と女の子)の後ろを付いて回っている「私」は、極楽浄土には興味がない。「私」の興味の対象は、生身の「女の子」なのだった。
「私」は、婆に邪険に扱われている「女の子」を庇いたいのか、それとも情欲に駆られて彼女を欲しているのか。
出会った当初は前者だったようである。
それが「妙な野原」に来ると後者になる。
婆殺しと女の子の変化
「女の子」は、「幼い女の子」から「年頃の女の子」へ、さらに「若い娘」へと、だんだんと変化していくように思われる。「私」は、婆から「女の子」を引き離すために苦心するが、彼女は婆から離れようとしない。
そして空がだんだん薄暗くなってなってきたとき「造化精妙」と考えて、「私」は婆を殺してしまう。
この「造化精妙」という言葉が解らない。
「造化奇妙」なら、「運のよい事」や「都合の良い事」という意味。
文脈的には「造化奇妙」の方が合っている様な気がする。
男が女を得ようと女の連れ合いを殺すシーンは、芥川龍之介の「藪の中」を連想させる。
「藪の中」は1922年発表の短篇小説。
内田百閒の「柳藻」発表の一年後となっている。
それはそうと、「私」が婆を殺すと「女の子」は女に変わる。
女の子の手は柔らかくてあたたかい。握ったところから女の血が伝わって、私の手が重たく熱くなる様な気がした。女の子は私に寄り添って来て、一緒に歩いた。
位置関係が妙な浜
「私」が婆を殺すまでは婆が先導していたのだが、婆がいなくなってからは「私」が女の子を連れて広い野原を歩いている。その野原が、いつの間にか尽きると、先述の「妙な浜」に出る。
妙な浜へ出た。黒い砂の磯が見果てもなく続いている。変な、年寄りの髪の毛の様な草が、所所砂にべっとりと著いている。向こうは大きな池である。池の上の空は薄暗く暮れかかって居て悲しい。そのくせ池の水は底から明かりが射している様に白く映えていた。「妙な浜へ出た。黒い砂の磯が見果てもなく続いている」となれば、海岸に出たということになる。
浜と磯なら海岸である。
「向こうは大きな池である」とは、海岸の向こうに大きな池があるということなのか。
「私」は、位置関係が不明瞭な場所に出て、底から明かりが射して白く映えている池を見ている。
私はそこで何を待っているのだかわからない。不明瞭な場所に出て、自身の気持ちまでが不明瞭になっている。
浜の柳藻
「私」が女の子の手を引いて、磯伝いに歩き出すと、女の子は段々婆になっていく。そのことに「私」は気付いているのか、いないのか。
小説文には「私は気味が悪くなりだした」としか書かれていない。
「私」は、女の子の正体がわからないまま、次第に不明な世界へ入っていく。
それからまだ向うの方へ歩いていくと、磯に長い長い柳藻が打ち上げられていて、根元の方は水の中にかくれて居る。磯に上がった所丈が枯れていて、足にからみついた。何本も何本も縺れたように磯の砂にうねくって居る。小説の題名になっている柳藻が登場するシーンである。
この小説に出てくる固有名詞は、鶫(つぐみ)と柳藻だけ。
鶫の群れは「脊の低い松」のそばに降りて、野原の風景に彩を加えている。
柳藻は、磯の砂浜に打ち上げられて枯れ、その残骸が「私」の足にからみつく。
不明瞭な物語の中での、これらの固有名詞の登場は、読者に新鮮な印象を与えることだろう。
柳藻のシーンは、視覚的であり触覚的である。
それは、現世から「向こう」の世界への橋渡しをしているようにも感じられる。
なぜなら柳藻の登場の後に、「女の子」の変化が鮮明になってくるからである。
黄泉
その砂浜を歩きながら「私」は「これが本当の私の女だかどうだか解らない」と思う。この後、物語は以下の文章で終わっている。
女の子の心の底が、何となく恐ろしくなって来た。けれども、もう考えまい。そう思って私は女の子の手を力一ぱいに強く握り締めた。冷たい手がぽきりと折れた。私が吃驚して女の子を見たら、女の子だと思っていたのは、さっき原の中で殺した婆であった。「私」が殺した婆がよみがえったということなのだろう。
あるいは、「私」が「黄泉の国」へ迷い込んだのか。
仏教から神道へ。
底から明かりが射して白く映えている池は、「極楽浄土」ではなく、実は「黄泉の国」だったというオチ。
そういえば、「黄泉」も泉がついているから水を連想させる言葉である。
それに、物語の始まりの方で「黄色い風が婆を包んだ」とあるのは、黄色の黄で読者に「黄泉」を連想させようとしたとも考えられる。
そうでなければ「黄色い風」は唐突過ぎる。
尚、死者がよみがえるシーンは、夏目漱石の幻想短編集と言われている「夢十夜」の「第三夜」を連想させる。
「夢十夜」は1908年の作。
夏目漱石は、内田百閒の小説創作の師匠にあたる。
参考までに。
当ブログ管理人の「柳藻」の読み方は、こじつけや当てずっぽうが多いかもしれない。
この不明瞭な小説「柳藻」を、なんとか読み解こうとした結果である。
こんな読み方も、内田百閒先生は歓迎してくれるのではないだろうか。
詩情
最後になったが、「脊の低い松」が生えている野原のシーンは、鶫の群れが飛び交ったりして詩情が感じられ、映像的でもあり、魅力的であると思った。参考文献
ちくま文庫 内田百閒集成3 「冥途」に収録の「柳藻」
ちくま文庫 内田百閒集成4 「サラサーテの盤」に収録の「柳検校の小閑」