海音寺潮五郎の「檜山騒動」を読んで
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海音寺潮五郎作「檜山騒動」 |
江戸時代後期に「相馬大作(そうまだいさく)事件」という弘前藩の殿様を狙った暗殺未遂事件があった。
そのことは耳にしていたが、事件の具体的な内容とか、「相馬大作」とはいかなる人物であったかについては全く知らなかった。
最近、海音寺潮五郎の作品に「相馬大作事件」を題材にした「檜山騒動(ひのきやまそうどう)」という歴史小説があると知って、興味が湧いて読んでみた。
「歴史小説」である故に、人名の表記に難しい漢字がたくさん出てくる。
津軽家や南部家に所属する登場人物達の名前をしっかり把握していないと、物語の筋が掴めない。
しかも「檜山騒動」は、ノンフィクションに物語を織り交ぜて作ったような小説である。
こんなに漢字の多い本は読み慣れていないので、スロースピードで名前を確認しながら、注意深く読んだ。
すると、「おや?」と思う様な、気になる箇所が、いくつか出てきた。
小説の始まりの部分で、大浦為信(おおうらためのぶ・後の津軽為信)が、現在の青森県の西半分を自身の領地として南部藩から奪う様子が描かれている。
そのきっかけとなったのが、為信による浪岡(なみおか)城の攻略である。
浪岡城主である南部政信(なんぶまさのぶ)を、大浦為信が奸計を用いて毒殺。
後に南部本家から新たに派遣された津軽地方の郡代を、浪岡城から追い出して、為信は城を陥落させたと海音寺潮五郎の「檜山騒動」に書かれている。
天正十八年のこととある。
だが、現代の津軽地方在住の人々は、ブログ管理人も含めて、浪岡城の当主は浪岡北畠(なみおかきたばたけ)氏であったとの見方が大半である。
青森県庁文化財保護課のホームページでも、浪岡城は戦国の豪族北畠氏の居城であったとしている。
北畠氏は、浪岡に応永年間(1394~1428)に来住。
岩手県閉伊(へい)地方に住んでいた北畠氏を、南部氏が津軽支配にその権威を利用しようとして連れてきたとされている。
北畠氏が築城した浪岡城は、天正6年(1578年)に大浦為信によって落城した。
以上が、青森県庁文化財保護課の見解である。
青森市教育委員会が作った「浪岡城物語」という冊子にも、「天正6年、浪岡城は大浦為信に攻撃され浪岡御所・北畠顕村(きたばたけあきむら)は自害したと伝えられています 」とある。
たとえこれらの見解の根拠が伝説の域を出ないとしても、津軽地方においては浪岡北畠氏の存在感は濃厚である。
その北畠氏が、海音寺潮五郎の「檜山騒動」には、全く登場しない。
最後の浪岡城主は南部政信であったと書かれている。
また、南部家において、政信の輔佐役であった大光寺正親(だいこうじまさちか)と大浦為信は不仲であったとしている。
海音寺潮五郎は、不仲の原因として、南部家側の記録と津軽家側の記録の両説をノンフィクション的に取り上げている。
ならば、津軽地方では定説となっている浪岡北畠氏の存在説を、海音寺潮五郎はどうして取り上げなかったのだろうか。
「檜山騒動」の最初の部分は、は南部氏と津軽氏の対立劇として描かれている。
この物語に北畠氏が割り込むと、話が複雑になる。
そのため、海音寺潮五郎は、あえて北畠氏の存在に触れなかったのではあるまいか。
作者は、ここでは虚構作品としての明快さを優先したのだろう。
あくまでも、ブログ管理人の推察であるが。
次に、「檜山騒動」という小説のタイトルは、ミスリードではないかと思われる。
小説「檜山騒動」は「相馬大作事件」について多くの紙幅を割いている。
「檜山騒動」とは、黒石藩(弘前藩の支藩)と南部藩との境界を巡って起きたトラブルのことで、「相馬大作事件」との直接的な関係はない。
まして、「檜山騒動」は「相馬大作事件」よりも110年ぐらい前の出来事である。
これは海音寺潮五郎も承知している。
江戸時代に「相馬大作事件」を、講談や演劇にするため話題作りとして「檜山騒動」を「とりいれて全体を構成し」、題名も「檜山騒動」としたのであろう、と作中で解説している。
作家は「実際の騒動には、檜山は全然関係はない」と述べている。
「実際の騒動」とは相馬大作が起こした弘前藩九代藩主・津軽寧親(つがるやすちか)暗殺未遂事件のことである。
ならば、この小説の題名に「檜山騒動」を用いるべきではないと思うのだが。
江戸時代の講談や演劇の題名に倣ったのは、歴史小説家としての郷愁のようなものだろうか。
読者をちょっと混乱させるのも、謎めいた歴史を描く作家の手法であるのだろうか。
作中で海音寺潮五郎は「今日、青森県は東半分が旧南部領、西半分が旧津軽領であるが、あるいは今日でもあまりなかがよくないのではないかと、ぼくは思っている。そうでなかったら、ごめんなさい」と書いていらっしゃる。
それぞれの土地の統治者である親玉どうしが犬猿の仲であるからと言って、その土地の生活者のすべてが右に倣えとは思いたくない。
というのが、読書を楽しむ人々の考え方ではあるまいか。
なので「ごめんなさい」の部分は、蛇足も蛇足、余計な詮索であると感じた。
「色文字」部分:海音寺潮五郎の「檜山騒動」からの引用
参考文献
ウィキペデア「檜山騒動」「相馬大作事件」「浪岡城」「浪岡氏」など
青森市 「浪岡城物語」
青森県庁ホームページ「浪岡城跡」