雑談散歩

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岡本胡堂の短篇小説「麻畑の一夜」を読んだ感想

短篇小説「麻畑の一夜」の文庫本の見開き


岡本綺堂(おかもと きどう)の「麻畑の一夜」は、大正9年(1920年)の作である。

「麻畑の一夜」には、南洋の島の様子が描かれている。
当時、一般庶民にとって海外旅行は、夢のまた夢であった。

現在でも、海外旅行の経験がない人は少なくない。
だが、テレビやインターネットや写真雑誌などの情報網を通して、南の島々の姿を容易に思い描くことができる。

「メディア文化が大きく開花」したとされる大正時代も、読本や写真雑誌などから海外の情報を得ていたと考えられる。

しかしそれは、現代の洪水のような情報量とは比較にならないほど乏しいはず。
なので逆の言い方をすれば、人々は海外に対して、想像の余地を多分に残していたと言える。

そのような時代にあって、「麻畑の一夜」は、当時の読者に南島の風景と恐怖を同時に提示したのである。

小説は、「マニラ麻」の説明で始まる。
麻を衣服の素材として親しんでいた大正時代の人々は、この書き出しから物語に興味を抱いたに違いない。

マニラ麻の栽培は、明治時代に日本人がフィリピンに渡り、その栽培に従事したとウィキペディアの「ダバオ」のページに記されている。
ミンダナオ島のダバオでは、日本人経営の農園が立ち並び、最盛期には二万人規模の日本人街が存在したという。

そういう時代背景のもとで「麻畑の一夜」は書かれたのだった。
この小説には、主人公である高谷君のフィリピンの島での驚くべき体験談が描かれている。

高谷君が製麻事業の視察に訪れたある島で、奇妙な失踪事件が発生していた。
その事件とは、最近になって農場の作業員が5人も、次々と行方不明になったというもの。
5人は、土着民が4名で日本人作業員が1名であるという。
それを高谷君に話したのは、農場の監督をしている丸山という男だった。

高谷君と丸山は、事件の真相を明らかにするために、意見を述べ合ったり島の地理を確認するために出かけたりする。

南島に棲息する猛獣である蟒蛇(うわばみ)、黒猩々(くろしょうじょう)、大蜥蜴(おおとかげ)、鰐(わに)などが、人間をさらったのではないかという推測が、交わした意見の大半だった。

しかし複数の人間が寝ているなかで、音もたてずに一人をさらうのは不可能であるという結論に達する。

高谷君は、地理を確認するための外出で、南の島の美しい風景に感動したりする。

夕方になって小屋に戻った頃、滝のような驟雨と雷鳴に襲われ、そのさなか丸山の助手の弥坂青年が行方不明になる。
そして、捜索に出た高谷君と丸山は、河の方へ消えていく弥坂青年を目撃する。
それっきり彼の姿は見つからなかった。

恐ろしい一夜が明けて、高谷君はボートに乗って逃げるように島を去る。

本船に戻ってから、この話を船員や乗客に話しても、彼らは不思議がるばかりで、真相は明らかにならない。
船に乗り込んでいた医師は、その島に特有の熱病による幻覚の可能性を指摘する。
幻覚に襲われて失踪したのではないかと。

しかし、この意見も高谷君の納得のいくものではなかった。

小説の中で、高谷君が見たり聞いたり体験したことは、作者が読者に南島を印象づけるものとなっている。
大正時代の読者は、この小説を通して南島の生活、生物(猛獣)、風景、気候についてイメージを膨らませたであろう。

そして、南島に存在するであろう未知の恐怖に身を震わせたに違いない。

小説の最後は、高谷君の以下の言葉で締めくくられている。
「ドイルの小説の猩々ならば、またそれを退治する工夫もあるだろうが、眼に見えないものではどうにも仕方がない。果たしてそれが一種の病気であるとしても、僕はやはり恐ろしい。君も勇気があるなら一度あの島へ探検に出かけちゃ何(ど)うだね」
「君」というのは、この小説の冒頭に書かれた「A君は語る」「A君」のことである。
「A君」は高谷君の友人であるらしい。

この作品の構成は、当事者である高谷君から聞いた話を「A君」が作者に語ったという体裁になっている。

推理小説作家である岡本綺堂が、直接高谷君から話を聞けば、何か謎解きのヒントを高谷君に与えることが出来たかもしれない。

作者は「A君」を間に置くことで、南島の謎を謎のままにして、南島のイメージをより謎めいたものに描こうとしたのだろう。

それは、未知であるものに対する根源的な恐怖を、物語の中で示唆したのではあるまいか。

人間は知らない場所や目に見えない力に対して、理屈を超えた畏怖を抱く。
この小説は、そのような人間の感情を巧みに突いている。

「探検に出かけちゃ何(ど)うだね」という挑発的な一言は、単なる物語の締めくくりではなく、読者自身を「南島探検」の夢と恐怖へと誘う、作者からの招待状である。

その招待状には、読者の心の奥底に潜む「未知への好奇心」と「恐怖心」とを同時に刺激する仕掛けが潜んでいるのだ。


「赤文字部分」:岡本綺堂「麻畑の一夜」からの引用
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