梶よう子の長編小説「みちのく忠臣蔵」を読んだ感想

相馬大作事件
梶よう子氏の小説「みちのく忠臣蔵」は、江戸時代・文政四年の「相馬大作事件」を、史実の流れに沿って描いたサスペンス時代劇である。ノンフィクションの本流に、神木(かみき)光一郎をはじめとする架空の登場人物達が、いくつもの支流となって混ざり込み、物語は大きな川のように流れていく。
その内容は、サスペンスありミステリーありアクションありで、友情、情愛、ユーモアなどが、にぎやかに盛り込まれている。
「みちのく忠臣蔵」という小説の題名は、「相馬大作事件」が世に発覚したとき、当時の民衆が相馬大作を支持してつけた「みちのく忠臣蔵」という事件の「愛称」に由来している。
盛岡藩の主君の無念を晴らすために、相馬大作が弘前藩主の津軽寧親(つがる やすちか)を討とうとした事件を、人々は「赤穂浪士の討ち入り事件」に見立てたのである。
登場人物
小説は、主人公である神木光一郎の行動・思いを中心に描かれている。神木光一郎は、一千石の旗本の嫡男。
友人である村越重吾と歩いているときに、ふとしたことで相馬大作と出会う。
若いふたりは、頼もしい兄貴分のような大作の人柄に惹かれていく。
物語には魅力的な人々が次々と登場するので、読んでいて退屈しない。
サスペンス的な箇所では、弘前藩の刺客である不気味な長塚荘六。
ミステリアスな人物は、弘前藩ご用達の西野屋番頭として暗躍する太助。
アクションは、村越重吾や相馬大作の立ち回り。
そして、神木光一郎と村越重吾との篤い友情。
料理屋玉木屋の美人女将美和や村越重吾の妹の咲の情愛ぶりも好ましい。
光一郎の父である神木多左衛門とその用人の葛西源太夫のユーモラスな存在感は、ドラマに温もりをもたらしている。
そして物事を見極める眼力の持ち主、鳥取西舘藩の元藩主である松平冠山は、なにかと光一郎を助ける。
冠山が五十を過ぎてから出来た幼子、露姫の愛らしさに、読者は微笑むことだろう。
これらの人々が、様々な光と陰を映して、物語を読み応えのあるものにしている。
下斗米秀之進(相馬大作)は盛岡藩士だったのか
ブログ管理人が一番気になったのは、「みちのく忠臣蔵」での、下斗米秀之進(別名が相馬大作)の身分のことである。海音寺潮五郎の「檜山騒動」や長谷川伸の「相馬大作と津軽頼母」では、下斗米秀之進は盛岡藩領福岡村在住の浪人であるとされている。
ところが「みちのく忠臣蔵」では、元藩士、あるいは脱藩者として描かれている。
作者は、病に臥せっていた盛岡藩主南部利敬が「病床の枕辺に相馬を招き、道場への援助を続けることを約束し、若い藩士たちの指導を頼むと、手を取ったのだという」と記している。
そして相馬大作に「寧親襲撃は大義であり、殿の受けた屈辱をはらすためのものだ。おれの才を見抜き、学問と剣術を修めさせてくれたのは殿だ。その恩情に報いることこそ我が大義」と言わせている。
作者のそういう「動機付け」がなければ、「忠義心による仇討ちドラマ」である「みちのく忠臣蔵」は成り立たない。
はたして相馬大作は、藩主に愛され、信頼され、擁護された藩士だったのか。
「いわての文化情報大事典」のサイトの「相馬大作事件発生」のページには以下の記載がある。
寛政元(1789)年、盛岡藩二戸郡福岡村(二戸市)に生まれた秀之進は、18歳で江戸に出て名剣士として知られていた紀州藩士平山行蔵の門下となり武道に精進、四傑の一人と呼ばれるほどに腕をあげて帰国し、郷里・福岡に講武場兵聖閣を設けて武術の教授を始めます。これは藩士として藩命を受けての行動ではなく、武芸と学問を身に付けたいという秀之進自身の向上心に因るものである。
「膨大な資料を駆使した力作(伊東昌輝)」とされる「相馬大作と津軽頼母」でも、同様の記述である。
藩士ではない秀之進は、福岡村と江戸を往復していただけで、盛岡城への登城経験もなかったようである。
相馬大作の大義
秀之進は親友の細井萱次郎と計って、盛岡領以外の遠州浜松にも道場(第二兵聖閣)を建てようとしていたという(「相馬大作と津軽頼母」)。その思想は、盛岡藩主に対する忠誠心ではなく、日本国を北方(ロシア)の侵攻から防衛する人材を育てるという軍事的なものであったようだ。
平山行蔵の国防思想の後継者であった下斗米秀之進は、盛岡藩に対する忠義よりもはるかに意義の大きい、日本国に対する「大義」を重んじていたと、ブログ管理人は推測している。
それを行動の規範にしていた彼が、どうして見識の狭い「忠義心」や子供じみた「仇討ち」に、国防のために役立てようとした命をかけたのか。
謎である。
相馬大作事件の謎
その謎が、「みちのく忠臣蔵」では消えている。今際の際に、病床の藩主に手を取られるほど信頼されていた秀之進であれば、「忠義による仇討ち」も納得がいく。
だがこれは、梶よう子氏が描いたフィクションである。
作者は、ない「動機付け」を描くことによって、ある「何か」を浮き上がらせようとしたのではないだろうか。
その「何か」は「相馬大作事件」の真相である。
作者は、このフィクションで「相馬大作事件」の真相を、不可解なまま際立たせようとしたのではあるまいか。
「相馬さんは、人事の刷新といわれていたが、そんな生易しいものじゃない。一種の謀叛です。ですから、どんなに利敬候を慕い、敬う気持ちが強くても、あなたの思いなど国許には届いていない・・・・・ただの道化にすぎないのです」という、作者が神木光一郎に言わせた台詞が、暗にこのことを示している様に思われる。
確かに「相馬大作事件」は茶番のような側面をもっている。
だがそこには、「道化」の謎、解明されていない「動機」が隠れている。
その「謎の動機」こそが、この事件を今もなお語り継がせていると思われる。
※「赤文字部分」は、梶よう子「みちのく忠臣蔵」からの引用