藤沢周平の短篇小説「禍福」は福の物語
小説のタイトルになっている「禍福」とは、不運と幸運のことである。
この言葉は、不運と幸運は表裏一体のものということを示しているように見える。
だが、藤沢周平の短篇小説「禍福」を読むと、「禍福」は「禍々しい福」の意ではないかと思えてくる。
それは、不吉で不幸な印象を拭い得ない「福」である。
小説「禍福」は、結果的に災難から逃れた男の物語である。
幸七に、自身が勤めている大店の井筒屋への婿入りの話が持ち上がる。
普通なら出世の道である。
だが、そのころ幸七には、付き合っている女がいた。
おまけに、女は身ごもっていた。
井筒屋の後継ぎになる出世話を断って、幸七は店を辞める。
かつて大店(おおだな)でエリートだった男が、今では、薄汚れた格好をして朝から晩まで町を歩き回る小間物売りに身を落としていた。
住まいも、路地を入った裏店(うらだな)だった。
そんなある日、幸七は井筒屋の同僚だった竹蔵に、町でばったり出くわす。
小説では、この竹蔵の存在が光っているとブログ管理人は感じた。
この小説では、幸七の女房の次に好感の持てる登場人物である
竹蔵は、サラリーマン社会での出世に縁のないマイペースな男である。
それにもかかわらず、情報収集力と観察眼は優れている。
サスペンス小説なら、探偵的な人物と言えよう。
おまけに、幸七のおちぶれた姿を見ても、なんとも思わない。
小間物売りも気楽でいいじゃないかと幸七に共感している風である。
その竹蔵が、幸七に「婿入り話」のトリックを打ち明ける。
あれは、役者狂いの不良娘を、親が目を付けた奉公人に押し付けて、自分たちが災いを逃れるためのものだったという。
娘は夫のある身ながらも、平気で外泊を繰り返している。
幸七の替わりに婿になった長次郎は、今ではげっそりと痩せて、目も血走っているという。
商売と家を守るために、主人夫婦は、気持ちの優しい奉公人を生贄にしたのである。
幸七が「幸福になるチャンス」だと思っていたものは、実は「禍々しい福」の謀(はかりごと)だったのである。
幸七は、自分が不運な男だったと思っていたが、ようやく真相を知って、明るい気持ちになる。
むしろ、「禍々しい福」から逃れた幸運者だったのだ。
そこで幸七は、小間物売りだって捨てたもんじゃないと、自身の生き方に前向きになる。
この小説で作者は、表通りの大店の「まがいものの福」と裏店の「小さな幸福」を対比しているのである。
藤沢周平が、いつも貧しい者や弱い者の立場を題材にしていることが、この対比に現れているように思われた。