雑談散歩

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藤沢周平「怠け者」の善と悪

藤沢周平「怠け者」新潮文庫

藤沢周平は、「雪のある風景」というエッセイで、以下の様に述べている。

作家にとって、人間は善と悪、高貴と下劣、美と醜をあわせもつ小箱である。崇高な人格に敬意を惜しむものではないが、下劣で好色な人格の中にも、人間のはかり知れないひろがりと深淵をみようとする。小説を書くということは、この小箱の鍵をあけて、人間存在という一個の闇、矛盾のかたまりを手探りする作業にほかならない。(藤沢周平「帰省」所収の「雪のある風景」より引用)

短篇小説「怠け者」には、怠け者で嫌われ者の弥太平(やたへい)が登場する。

その嫌われ者の内奥(ないおう)に潜む、善と悪の心のはたらきが描かれている。
物語は、善と悪の二面性が試される場面でクライマックスを迎える。

弥太平に善の気持ちを抱かせる存在として、丸子屋のおかみがいる。
怠け者の弥太平を軽蔑せずに、観音様のように見守るおかみは、美の象徴のようでもある。
作中では、美しい女性として描かれている。

悪と醜の象徴的な存在として善助というごろつきが登場する。
人相も悪く、下劣で好色な男である。

弥太平が、昔の悪仲間の善助と町でばったり出会ったのは、おかみのお供をしている時だった。
弥太平が丸子屋に住み込みで働いていることを知った善助は、後に屋台で待ち合わせて、弥太平に丸子屋への押し込みの手引きを強要する。

分け前を与えるという善助の言葉に、弥太平は心を動かされる。
同時に弥太平は、自分に良くしてくれるおかみの事が気がかりになっている。
おかみは、店の仕事をサボっている自分の怠けぶりを知らないわけではないのに。

善助一味が押し込めば、おかみや店の者も無事では済まないだろう。

弥太平は、無垢なおかみと悪党善助の間にあって、生まれて初めて葛藤する。
そして、善助との約束の時刻に裏木戸の鍵を開けなかった。

怒った善助一味は、後日弥太平を呼び出して暴行を加える。
一味は、あらためて押し込みを計画するが、弥太平は手引きの役を頑なに断るのだった。

この暴行シーンが激烈である。

あんなに柔和で温厚そうな藤沢周平に、どうしてごろつきのリアルな暴行シーンが描けるのだろうと思うほどだ。
前出したエッセイに人間存在という一個の闇」という言葉が見える。
そこに「描ける理由」があるのかもしれない。

作家は、人間の内奥に潜む破壊性を知っているからこそ、善助の残酷さを描き出せたのである。
そして、弥太平の苦悩する心の動きも描けるのだ。

また作家は、「闇」の世界で、おかみのような美しい光も目撃していたことだろう。
おかみの存在が、弥太平の心に最後の善を芽生えさせたのである。

その予期せぬ善に、読者は「人間のはかり知れないひろがりと深淵を」垣間見るに違いない。
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