雑談散歩

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織田作之助の中篇小説「夜光虫」を読んだ感想

織田作之助 小説「夜光虫」の冒頭部分


織田作之助の「夜光虫」は1946年5月から8月までの期間、大阪日日新聞に「新聞小説」として連載されている。
当時の大阪日日新聞は、娯楽的な記事を多く取り入れた夕刊専売紙であったという。
それに応じてか、「夜光虫」も多分にエンターテイメントな要素が盛り込まれた読物となっている。

「夜光虫」という怪しげな題名から、人情ものの多い作家の、別側面の小説が読めるのではとワクワクしながら読んだ。

戦地から引き揚げてきたばかりの復員軍人である小沢は、そのような若者にみられがちな無気力で虚脱状態の青年であるはずだった。
それが、雪子と出会ったことによって、冒険心に満ちた時間を過ごすことになる。

小沢が雨の夜に全裸で路上に立っている雪子を見つけた偶然が、次々と連鎖して、彼は豹吉たちのスリグループを警察に自首させることに成功するのだった。

雪子を宿に保護した小沢は、部屋に雪子を残して、彼女に着せる衣服を求めて大阪の下町を奔走する。
奔走する中で、偶然、腕に入れ墨のある男(横井喜久造)と聾唖の少女の二人連れを、それぞれ違う場所で二度見かける。

この偶然が、悪人である横井喜久造を捕まえることにつながる。
横井喜久造は、通称「ガマン(刺青)の針助」と呼ばれているスリの元締めである。
戦災孤児たちに入れ墨をすることで悪の道へと引っ張り込んでいる悪い大人なのだ。

だがこの針助にも、どこか憎めないところがある。
それに、スリグループ「青蛇団」のメンバーである豹吉や加代や亀吉もどこかお人好しで善良なところがある。
悪でもなければ善でもない。

作者は、悪と善の中間あたりを彷徨っている迷い人を描いているのである。
その迷う心の片隅に人情を見出すことを忘れない。

聾唖の少女に対する加代の優しい思いやり。
不運な靴磨きの次郎三郎兄弟に対して豹吉が食べ物をおごってやったのも人情によるものであろう。

この兄弟が針助の家へ連れ込まれる。
スリの仲間に入れるために、針助が入れ墨の針を手に取った刹那に、飛び込んだ小沢が兄弟を救い出す。
このタイミングも偶然。

物語は「偶然」を起動力として進行する。
小説の中には21個の「偶然」の文字が見える。

この「偶然」という言葉は、「夜光虫」の6カ月後に発表された「可能性の文学」という織田作之助の文学論に登場する。
織田作之助はこの論文で「偶然を書かず虚構を書かず、生活の総決算は書くが生活の可能性は書かず」と、身辺小説や心境小説に固執する「日本の伝統小説」を批判している。

偶然とは、起こる可能性のことである。
織田作之助は小説「夜光虫」で、その偶然のドラマを描いた。

戦後の混乱期に暗躍した不良少年少女達は夜光虫の光りの下に咲く悪の華であると言われていた。
小説では、小沢が悪の華を自首させ更生させて、日本再生のための可能性に育てようとしているのだ。
作者は、豹吉ら少年たちのエネルギーを文学の可能性に喩えたのである。

とすれば、親玉である針助は、何の象徴なのだろう。
針助が刺青という「過去の烙印」を用いて若者を縛りつける姿は、形式や因習に囚われ、新しい可能性を阻む「日本の伝統小説」の姿に重なる。
対して、小沢や豹吉らは、偶然の出会いを通じて新しい生き方を模索する存在として描かれている。

この対比こそが小説のテーマなのではないだろうか。
小説「夜光虫」は、「可能性の文学」で説く文学論の実践例として描かれたに違いない。

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