藤沢周平「遠い別れ」悪あがきの果て
藤沢周平の短篇小説「遠い別れ」は、いつの間にか商売が成り立たなくなった男の話である。
いつの間にかを思い返してみると、八年前の結婚に辿り着く。
おこまは、わがままで自分勝手な女だった。
おこまと一緒になった頃から、商いが落ち目に変わった。
それを思い返して、新太郎は、おこまを災いの神だと決めつける。
一方おぬいは、新たな人生で成功して、今は立派な商家のおかみになっている。
新太郎の借金の肩代わりをしても良いと申し出るほど、大店のおかみの貫禄を身に付けていた。
そんなおぬいに会って新太郎は、自身の人を見る目のなさが、商売の躓(つまづ)きの原因だと思い知る。
店の倒産が新太郎の悪夢だとすれば、悪夢の闇の中で、災いの神おこまと福の神おぬいの存在が対照的である。
おぬいは、闇の中で新太郎に救いの手を差し伸べる光の存在である。
一方おこまは、男を惑わす闇の中の白い肉体でしかない。
しかし、新太郎は光を目指さない。
自分が捨てた女に助けてもらうのは筋違いで恥さらしだとけじめをつける。
自らの選択の誤りに殉じるしかないという心理も加わっているのかもしれない。
そして、さらに暗い闇の方へと落ちていく。
作中によく出てくる「悪あがき」という言葉は、新太郎の転落の伏線としての役割を果たしているように見える。
「悪あがき」とは、追い詰められた人間が無駄な抵抗を講じているさまを表す言葉だ。
新太郎の「悪あがき」の果ては、ついに暴力に発展してしまう。
高利貸しの配下に、万蔵という腕力の強い男がいる。
万蔵は、おぬいの店を探すのをやめた新太郎を引きずりながら、店を探そうとした。
新太郎は、万蔵の頭を石で殴りつけて倒し、彼の手から逃れる。
そして新太郎は、暗い方へ、暗い方へと逃げ走る。
これが「悪あがき」の結末である。
「新太郎さん」と呼ぶおぬいの幻の声を聞きながら走り続けるところで、小説は終わっている。
そのうち新太郎は、役人から追われ、高利貸しからも追われることになるだろう。
おぬいや自身の幸福があった場所から、遠く別れた道を新太郎は転がり落ちていく。
「遠い別れ」は、おぬいを捨てた時点に、もうもどれないことを意味している。
「新太郎さん」と呼ぶおぬいの幻の声は、その時点から発せられているように思える。
この小説は教訓を説くものではないかもしれない。
だが、新太郎の転落からは、自身の選択で未来が決まるという重い教訓を感じざるを得ない。
そう思ってしまうほど、小説「遠い別れ」の描写に、読む者に迫ってくる強い力を感じた。