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2016/07/22

秋の夜を打ち崩したる咄かな

時のたつのを忘れて話し込む。
話題の尽きない相手との会話なら、時間は瞬く間に過ぎてしまう。
この夜の芭蕉は、ちょっとハイな気分になっていたのか。

秋の夜を打ち崩(くず)したる咄(はなし)かな

元禄7年9月21日夜、「車庸亭(しゃようてい)」での芭蕉の作とされている。
「車庸(しゃよう)」は、「潮江車庸(しおえしゃよう)」のこと。
大坂蕉門のメンバーである。
「打ち崩したる」とは、雰囲気をこわしてしまったの意。
「咄」とは、雑談のことか。

江戸時代の「秋の夜」と言えば、静寂そのものであったに違いない。
その静寂さをこわしてしまうほど賑やかな句会であったのだろう。
俳諧の話や、句会に参加した人たちの近況や、冗談やらで夜更けまで盛り上がった。
それは風雅な「秋の夜」のイメージを打ち崩すほどの「咄」だったのだ。
そういう様子が想像される。

この年の10月12日の夕方、芭蕉は病没した。
大坂「車要亭」での句会は、亡くなる20日前の出来事だった。
芭蕉の病状が悪化し始めたのは、9月29日から。

掲句を詠んだ9月21日から、容態が悪化する9月29日までの間に、芭蕉は発熱や悪寒をおさえながら3回もの句会に出席している。
芭蕉本人も周囲の門人たちも、芭蕉の病状を重篤なものと考えなかったのか。
芭蕉は、句会に参加し人と交わることで、病状に対する不安な気持ちを紛らしていたのか。
あるいは、体調を案ずる気持よりもサービス精神の方が勝っていたのか。

9月29日の夜に、芭蕉は病床に臥しながら「秋深き隣は何をする人ぞ」と詠んだ。
秋の夜の静寂のなかで、病気によって鋭敏になった感覚が周囲に聞き耳をたてた。

賑やかに歓談した秋の夜の句と、それから8日後の、静まりかえった病床でひとり呻吟しながら詠んだ句。
「車要亭」での歓談が、まだ芭蕉の耳から離れないでいる。
静寂がもどってきた秋の夜。
そのあまりの静けさのなかで、寂しがり屋の芭蕉は人の気配を感じ取りたかったに違いない。
今こそ芭蕉は、この静寂な「秋の夜」を打ち崩したかった。
彼は、無音の闇に向かってつぶやいた。
「隣は何をする人ぞ」

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