2016/11/22

生活者の目「上行と下くる雲や穐の天」

秋は台風の季節。
台風が過ぎ去っても、その余波の風に、雲が激しい動きを見せる。
青空がもどった空で、雲の展示会が始まる。
刻々と積乱雲が姿を変え、積雲が移動していく。
遠くの積雲は低い下の位置に見え、頭上の積雲は高い上の位置に見える。

上行(うえいく)と下くる雲や穐(あき)の天(そら)
野沢凡兆

「猿蓑集 巻之三 秋」にある凡兆の句。
台風の過ぎ去った秋の空を眺めながら、凡兆はこの句を作ったのではないかと私は思っている。

この句には、嵐が過ぎたことに対する安堵の思いが感じられる。
ゆったりとした気分で、大空の雲の動きを眺めている様子。
晴々とした気持ちで詠まれた句のように思える。

家の中で、強い風に脅え、恐怖の夜を過ごした。
不気味に唸る空の音を聞きながら、それでも知らず知らずのうちに眠ってしまう。
朝になって静かになった外へ出て空を眺めたら、嘘のような青空。
上空では、台風の名残の風に押されて雲が動いている。
頭上の雲は去って行き、遠くの雲は止まっているように見える。
その止まっているような雲も、徐々にこちらへ近づいて来る。
その様子をゆったりと眺めている凡兆。

「上行と下くる雲」とはそんな光景を表しているのではないだろうか。
去って行く雲と近づいて来る雲。
その空の下には、台風一過の後片付けに忙しい街の様子が見えるようである。

雲を旅人の目で眺めたのは芭蕉だった。
芭蕉は、「おくのほそ道」の「序章」で「予もいづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂泊の思ひやまず、」と書き綴った。
風に流れて行く「ちぎれ雲」に誘われて旅への思いを募らせたのだ。
凡兆は、どうだろう。
私には、凡兆が生活者の目で雲を眺め、それを句にしているように感じられる。
この句には、雲を見送っている市井の人の目が感じられる。

街の暮らしの場所から、秋の空を見上げているように感じられるのだ。
動いているのは雲で、凡兆は一ヶ所に立って空を見ている。
日々の暮らしのなかで、ときおり空を見上げることはよくあること。
軒を連ねた家並みや街の小路は、句の言葉には無い。
しかし、秋の空を見上げている凡兆の背後には、それが広がっている。
凡兆はそれらを意識しつつ、雲と空だけの句を作った。
そのように私はこの句を読んで感じた。
そして、これは日々の暮らしのなかで、ときおり空を見上げることのある生活者の句であると思ったのだ。
凡兆に対する「都市の詩人」としての、私の思い入れが強いからだろうか?

上行と下くる雲や穐の天

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