2017/05/01

芭蕉の旋律「瓶割るる夜の氷の寝覚め哉」

多くの人たちが若い頃そうだったように、私も音楽を夢中で聴いていた一時期があった。
フォルクローレとかマンボとかタンゴとかの中南米音楽がそれだった。
今にして思えば。年若い頃の特有のこだわりだったのだろう、それぞれの音楽に好きな演奏者がいた。
このジャンルなら、この演奏者でなければならないと思い込んでいたのである。

フォルクローレはウニャ・ラモス。
特に「コンドルはとんで行く」だったら断然ウニャ・ラモス。
アンデスの岩山の上を勇壮に飛んでいるコンドルの姿が目に浮かぶようだった。

なぜ芭蕉は「山吹」を退けて「古池」を思い浮かべたのか?

松尾芭蕉の句として、もっとも世に知られている「古池や蛙飛び込む水の音」。
私はこのブログで、及ばずながらこの句のことを数度話題にしている。
その中で以下の三記事が、ちょっとではあるが踏み込んだ内容になっているのではと自分なりに思っている。
  1. 水の音で発見したもう一つの日常「古池や蛙飛び込む水の音」
  2. なぜ芭蕉の「古池や蛙飛びこむ水の音」という句が面白いのか
  3. なぜ「古池や」なのか、「古池」とは何か?
とは言っても、芭蕉の「俳論」や「書簡」の原典、蕉門の門人たちの「俳論」の原典を私が精査したわけでは無いので、芭蕉の俳諧に対する私の感想は、根拠に乏しい雑談の域を出ていない。
しかしこのことは、私が芭蕉の俳諧を読む楽しみ、芭蕉の俳諧に対していろいろな感想を持つ楽しみを妨げるものでは無いと思っている。

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