2017/08/10

世を旅に代搔く小田の行き戻り

私が子どもの頃の津軽地方では、冬の終わり頃のまだ雪が残っているうちに、馬橇(ばそり)で田んぼに「肥やし」を撒いていた。
肥やしとは、稲わらを積んで発酵させた堆肥のことである。

私が育った村では、稲わらを山状に積んだものを、「トヤマ」と呼んでいた。
「トヤマ」の上に残飯を捨てたり糞尿を撒いたり。
そうやって発酵を進めていた。
その上にまた稲わらを積む。
その繰り返しで堆肥が作られていたのである。

春になると、田起こしを行い、その後、田に水を引き込んで代掻(しろか)きを行う。
田起こしは、田んぼの土を掘り起こして耕す作業。
代掻きは、水と一緒に掻き混ぜることによって土が泥状になり、水田の表面が平らになる。
代掻きは、稲の苗を植えやすいようにするための作業である。
また苗の根が張りやすいように、土を柔らかくするための作業でもある。

世を旅に代搔(しろか)く小田の行き戻り
松尾芭蕉

元禄七年、芭蕉五十一歳の春(五月頃)の作である。
前書きに「荷兮(かけい)方にて」とあるので、伊賀上野への帰郷の途上立ち寄った名古屋で詠んだ発句と思われる。
この句を詠んだ年の九月二十九日に容態が悪化して、芭蕉は臥床する。
十月八日に、「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」を口授して看護の呑舟に筆記させている。
その四日後の十月十二日、芭蕉は病没する。

春に旅の句を詠み、その年の晩秋に旅の句を詠んで亡くなる。
このふたつの旅の句の、なんと対照的なことであろうか。
春は、実りをもたらす田園の句。
晩秋は、荒涼とした枯野の句。
しかし、どちらも芭蕉にとっては旅の途中の句である。

「世を旅に」とは、浮世に生きていることを「旅」としてとらえているということ。
現実の農夫は、代掻きのために、水を張った小さな田んぼを往復しているに過ぎない。
それを芭蕉は、「旅」としてとらえている。

代掻きのときばかりではなく、田植えのときも草取りのときも稲刈りのときも、農夫は田んぼを行ったり来たりする。
漁夫も山の樵(きこり)も、自分たちの生活の場所を「行き戻り」しつつ。
そうして季節が過ぎていく。
「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。舟の上に生涯をうかべ、馬の口とらえて老をむかふる物は、日々旅にして旅を栖とす。」
「世」を「旅」に見ている芭蕉であるから、浮世そのものが「無常迅速」に移り変わっていく旅の舞台なのだろう。
農夫を「旅人」として見ている芭蕉は、農夫の目で小田を「行き戻り」して旅の時間を過ごしている。

時が経って、青々と繁る水田。
さらに、黄金色に熟す稲田。
かつて「月日は百代の過客にして」と詠じた芭蕉は、農夫の「行き戻り」と季節の繰り返しのなかに、永遠に続く「旅」があると感じていたのだろう。
芭蕉は田園風景にそういう詩情を感じて、カタルシスを得ていたのかもしれない。

話は変わるが、中島みゆきの「ヘッドライト・テールライト」の歌詞「語り継ぐ人もなく
吹きすさぶ風の中へ」って、なんとなく芭蕉っぽくないだろうか。
「語り継ぐ人もなく」は、「此道や行く人なしに秋の暮」を連想させる。
ちなみに「此道や・・・・」は、芭蕉が臥床する(九月二十九日)前の九月二十六日頃の作である。
「吹きすさぶ風の中へ」は、「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」を連想させる。

そんな中島みゆきの「旅はまだ終わらない」という未来からの歌声が芭蕉の耳に届いていたなんてことは馬鹿馬鹿しい限りなのだが。
芭蕉はいつも「旅はまだ終わらない」とイメージしていたような気がする。
世を旅に代搔く小田の行き戻り
「行き戻り」や「行かふ年」 という言葉が暗示しているのは永遠に続く「旅」のことではないだろうか。
「此道」を「行く人」がいなくても芭蕉の「旅」は続く。
「病んで」も「旅」は夢となって「枯野をかけ廻る」。
人の命には限りがあるが、行きつ戻りつ、めぐり来たりて「旅」は永遠に続く。
芭蕉以前の遠い昔から、現在までも続いている「小田の行き戻り」。
「旅はまだ終わらない」
このようにして「旅は永遠に続く」と、元禄七年すでに芭蕉が歌っている。

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