雑談散歩

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葱白く洗いあげたる寒さかな

昨夜の降雪で白くなった公園。凛とした寒さが、この公園を美しくしているようだ。
青森市は本格的な冬に入ったのか、ここのところ寒い日が続いている。
寒い日が続くと、私みたいな初老のオジンでも、体が寒さに慣れてくる。
津軽の冬仕様の体になってくるのだ。

愛犬の散歩で、雪の降り積もった公園を歩く。
昨夜ぐっすりと眠れたせいなのか、今朝は冬の寒さが心地よい。
寒いのはちょっと苦手だが、寒さを心地よく感じるときもあるのだ。
雪の白さが、生き生きと輝いて見える。
冬の凛とした冷気に身が引き締まる。
力が湧いてくる。
寒さが刺激となって、交感神経が働き、体がエネルギッシュになっているのかもしれない。

(ねぶか)白く洗いあげたる寒さかな
松尾芭蕉

掲句は、元禄四年十月三日頃、美濃垂井の規外亭に滞在中の発句であるとされている。
このとき芭蕉は四十八歳。
規外亭の主である規外は、本龍寺第八世住職で俳諧を芭蕉に学んだ人物であるという。

芭蕉は元禄二年九月に「おくのほそ道」の旅を美濃大垣で終えて、しばらく上方の地を漂泊している。
元禄四年九月二十八日、大津の義仲寺(ぎちゅうじ)を出て江戸への帰途に就く。
約二年半留主にしていた江戸へ戻る
掲句はその旅の途上で立ち寄った中山道垂井宿での作である。

この句は、冬の寒さを根深ネギの白さで表現した秀句であると、現代では言われている。
そう言われてみると、洗いたてのネギの白さで冬の寒さが表現されているようにみえる。
でも芭蕉は、この句でどんな寒さを表現しようとしたのだろうか。
寒々とした白いネギを見て「ああ、寒いよう。」と詠ったのだろうか。
いや、そうではない。
この寒さを芭蕉は、清々しいと感じたのではないかと、私は思っている。

芭蕉は、この年の九月中旬、京都にて「持病不快に陥る」と「芭蕉年譜大成(著:今榮藏)」にある。
その後は、徐々に体調を持ち直したものと思われる。
掲句を詠んだ頃は、二年半ぶりの江戸へ向かっている途上で、体力も気力も充実していたに違いない。
なぜ、そう思うのか。
「洗いあげたる」という句に、芭蕉の溌剌とした意気込みを感じたからである。

畑から抜いたばかりの根深ネギは泥だらけ。
そのネギが洗われて、立てかけられている光景を芭蕉が見る。
「洗いあげたる」は、単に畑の泥を拭い落としたということではないだろう。
ネギ本来の美しさに「洗いあげた」のである。
なので芭蕉の目には、ネギが冬の寒さに白く輝いているように見えた。
この寒さが、新鮮なネギに生命を吹き込んでいるのだと芭蕉は感じた。
私は、そう空想している。
寒さが葱を美しくし。
寒さが、葱を立てかけた平凡な日常を美しくする。

四肢に力が漲っている今、芭蕉は心身を引き締めるような冬の冷気に心地良さを覚えた。
寒さに白く輝く根深ネギを見て、生きていることの実感を深めたのではあるまいか。
体感したのは、寒さではなくて、寒さがもたらしてくれた生の躍動感。
健康な体の交感神経が活発に働き、芭蕉はエネルギッシュな視線を周囲に向けた。
周囲の風景もまた、生き生きと輝いて美しい。
冬の美しい寒さ。
葱を洗うという、冬の日常の美しさ。
それが「洗いあげたる」という句に表現されていると私は感じた。
平易な言葉で淡々と詠った句ではあるが、この句は芭蕉の生への賛歌なのではあるまいか。
芭蕉は垂井の冬の冷気から、力と清々しい気分を獲得し、それを美しい葱の白さで表現した。
芭蕉は根深ネギの白さで冬の寒さを表現したのではない。
寒さで葱の美しさを表現し、冬の日常の美しさを表現したのだと私は思っている。

葱白く洗いあげたる寒さかな

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