雑談散歩

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人も見ぬ春や鏡の裏の梅

江戸時代の鏡は、ちょうど下の浮世絵のような、柄のついた丸い形のものが多かったと言われている。
「柄鏡(えかがみ)」と呼ばれているもので、素材に銅を使った「銅鏡」がほとんど。
鏡の面は錫(すず)でメッキした後、きれいに磨かれていたという。
鏡の裏には松竹梅などのおめでたい文様が描かれ、工芸品としても江戸庶民の暮らしの空間を飾っていたようである。


江戸時代の鏡の絵。
【「江戸姿八契」香蝶楼国貞(国立国会図書館デジタルコレクションウェブサイトより転載)】


人も見ぬ春や鏡の裏の梅
松尾芭蕉

元禄五年一月、芭蕉四十九歳のときの作。

前書きに歳旦吟とある。
「人も見ぬ」という断定調でこの句は始まっている。
次に「春や」と春を強調。
強調しつつ、芭蕉は「鏡の」と部屋の片隅に置かれてある柄鏡へ、読む者の視線を誘導する。
そして、「裏の梅」と体言止め。

どうやら新年に俳諧の初心者を集めた句会での、師匠の発句の披露のようである(ブログ管理人の空想です)

元禄五年正月の句であるから、まだ第三次芭蕉庵は出来ていない。
場所(会場)は、そのころ仮住居をしていた江戸日本橋橘町・彦右衛門方借家であろうか。
そこに俳諧好きの江戸っ子が集まった。
「では、この部屋にある鏡をお題にして句を詠んでみましょう。」と芭蕉が言って、会が始まった。

「人も見ぬ春や鏡の裏の梅」
しばらく唸ってから、芭蕉はすらりと句を詠んだ。

師匠の唸り声に聞き入っていた参加者のひとりが、鏡の裏側の庭に目をやり、しきりに梅の木を探している。
「ちゃう、ちゃう。」と隣の人がその男の袖を引っ張る。
「裏の梅」とは、鏡の裏面に描かれている「梅」の絵柄のこと。

『見ないかなあ、オレは見るけどなあ。』とほとんどの参加者が、心のなかでそうつぶやく。
『裏の模様を見るのが楽しみなんだけど・・・』と思っている人もいる。

翁は、座がざわついているのを静かに見ている。
初々しい初心者を前にして、妙に楽しげである。
『支考とか去来とか、理屈っぽい連中の相手をしているときとは別の楽しみがあるわい。』
そう思っていたかもしれない。

「師匠、オレは見まっせ。」
ひとりの男が素っ頓狂な声を上げた。
「『よく見れば梅が咲いている鏡の裏』なんてね。」とその男。

一堂は、翁の顔を見つめた。
「ホッホッホ、なかなか面白い意見ですな。感心、感心。」翁は一堂に笑顔を見せた。

「ハイ先生。」
じっと翁の顔色を伺っていたひょっとこ面が立ち上がった。
「オレは見ないと思います。自分の顔を見るのに一生懸命で、鏡の裏なんか見ないと思います。」
そういって、興奮がおさまらない様子のまま着席。
一堂は『ひょっとこ面が鏡なんか見てどうする』と言わんばかりにクスクス笑った。

翁は、また「ホッホッホ」と笑ってから、「意見を述べるときには、立ち上がらんでもよろしい。」と男に声をかけた。
それから一堂を見回して、「かりに、見えないものを『見える』と句に詠んだらどうじゃろう?」と言った。

「そ、それは、よくわかんないや。」と参加者のひとりが言った。
「そう、それは作者にはわかっていても、人にはよく伝わらない。」
「だが、多くの人が見るにもかかわらず、あえて『人は見ぬ』と言い切ったらどうじゃろう。」と翁。

「逆に目立ちますね!鏡の裏の梅が。」としたり顔の男。
「そうじゃろう、鏡の裏の梅がぱあっと咲いて、それを愛おしむ気持ちが句を読む者に伝わる。その気持が多くの人の春を愛しむ気持ちへと広がっていく。まあ、自作について自分で言うのもなんじゃがな。」

「あ、そういえば、そういう気持ちになってまいりましたね。」と別の男。
「鏡は見る者の顔を映すが、鏡の裏には見る者の心が映っておるのじゃ。」と翁。

「なるほどなるほど、対比ですね、鏡の裏と表の・・・・」としたり顔の男。
「そうとってもらっても、別に文句は言わんよ。」
翁は、ちょっとうるさそうな顔をした。
「ありがとうございます。」と言って男は恐縮した様子。

「見えないものを見えると詠むよりも、見えるものをさも見えないように詠んだほうが、見えないものまで見えてくるような気がしないかね?」
「おお、そう言えば・・・・」と一堂ざわめく。

「以前に、『よく見れば薺花咲く垣根かな』という発句でわしが使ったトリックじゃよ。」
「とりっく?さすがお師匠さんは南蛮語にも通じていらっしゃるのですな。」


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