雑談散歩

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蓬田村の玉松台と古城の沼に架かった木造浮橋

玉松の案内看板。


青森市街から蟹田方面へ向かう国道280号線(松前街道)の途中に玉松海水浴場がある。
玉松海水浴場は、蓬田村(よもぎたむら)の陸奥湾内の海水浴場で、遠浅で穏やかな遊泳場として知られている。

海水浴場の西側の高台は玉松台と呼ばれ、玉松という特異な一本の松が生育しているという。
玉松の噂は、以前から聞いていたが、まだ見たことはなかった。

そこで、玉松台の西側に位置する玉松台スポーツガーデンの駐車場にクルマを止めて見物に出かけた。


玉松。


玉松の案内看板に導かれて丘へ登ると、普通の松が生えていた。
園芸の植栽にタマツゲというのがあるが、そんな感じの、木の形が球状の松だろうと思っていたのだが、アテがはずれた。

上の写真のように、二本の太い枝が湾曲して輪を描いている。
お金を表すのに、親指の先と人差指の先をくっつけて輪を作るジェスチャーがあるが、そんな感じである。

お金持ちの方が庭木として欲しがるような松であった。
この銭松・・・おっと失礼玉松は樹齢三百年以上の老松だそうである。

江戸時代に陸奥湾の津軽半島沿岸を航行する船が、この玉松を目印にしたという。

津軽海峡から陸奥湾に入って、半分ちょっとを過ぎたあたりに玉松台がある。
地形図で見ると玉松台の標高は、高いところで11.4メートルぐらい。
玉松台よりも北側の蟹田とか平舘は、山間部が海岸に迫っており、断崖地形である。

玉松台よりも南側は、油川や青森まで、山のない平坦な土地続き。
青森港に近づくに従って陸地の標高が、4メートル、3メートル、2メートルと低くなる。
陸地に平野部が開けてくる。

陸地の山間部と平野部の境目に玉松台が位置している。
それは、船が航行する海底の地形にも関係があるかもしれない。
岸から離れていても、あんまり海底が浅いと座礁する恐れがある。

距離の目安と航行ルートの目安。
そういう意味で玉松台は、油川港や青森港に向かう目安になったことだろう。

けれども、玉松が沖から見えたかどうか。
江戸時代の頃は、今よりもひと回り小さかっただろうから。


玉松海水浴場を眺める。


南側の公園入口。


古城の沼。


蓬田村が開設しているホームページに、「蓬田村史」のページがあって、それによると玉松台は縄文時代の遺跡でもあると記されている。

しかし、ここから出た遺物は公園造成中に見つかったもので、本格的な発掘調査がなされていないので、「玉松台遺跡(縄文時代中期~)」の規模とか年代とかは詳らかではないとされている。

また近隣には、「蓬田大館遺跡(縄文時代)」や「瀬辺地遺跡(縄文時代前期~中期)」、「小館遺跡(擦文文化)」があり、玉松台一帯が古代人の生活の跡を遺している土地であることを示している。
この高台に、そんな歴史を感じさせる面影が、見当たらないのは残念であるが・・・

玉松台と玉松台スポーツガーデンとの間に、「古城の沼」という名前の池がある。
この意味ありげな「古城の沼」命名の由来は、どこにも記されていない。
「古城」とは、「チャシ」のことか「館(たて)」のことかと想像してみたが、明記されてない以上、それは不明である。

その「古城の沼」に、下の写真のような橋が架かっている。
橋脚には浮力体が固定されており、橋を渡ると、ゆらゆら揺れる。
橋の先にある東屋は、沼の底に基礎を設けているようでしっかりと建っている。
残念ながら、この橋に名前は付けられていない。

余談だが、金木の芦野湖(藤枝ため池)に架けられている浮橋は「芦野夢の浮橋」という名前が付けられている。
名前があるから広く人々に親しまれている。

玉松台では、「古城の沼」というネーミングがあまりにもロマンチックすぎて、この橋の名前が消えてしまったのだろうか。
津軽の木の橋の文化の一端であるのに、名前が無いなんてもったいない。

あまり人が訪れることのない「古城の沼」。
古城の姿が無い「古城の沼」。
この池の水面で、名無し橋は、所在無げに浮いている。

浮橋。

浮橋と奥の東屋。

玉松台のイラスト看板。
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