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曇りや雨の日は、雄しべと花弁が夕方になっても脱落しないヤブガラシの面白さ

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今日は、朝方は晴れていたが、午前中は曇りがちだった。
なんとなくパッとしないお天気。
昼近くから雨が降ったり止んだりの天気が夕方まで続いていた。
こんな天気の日は、ヤブガラシの花はどうなっているのだろう。

今朝見たオレンジ色の花盤の花は、すべてピンク色に変わっているのだろうか。
気になったので、夕方の5時頃、散歩がてら平和公園へ出かけてみた。

すると、もうとっくに落ちている時間帯なのに、雄しべと花弁はオレンジ色の花盤に付いたままのが残っていた。
おそらく、今朝見たのがそのままになっているのだろう。
今日は天気が悪いので、昆虫類の訪れが無くて、それで雄しべと花弁の脱落が大幅に遅れているのか。
それとも、曇りとか雨の日は光の量が足りないので、そうなっているのか。

雄しべと花弁の脱落は、受精終了時に起こるのか、太陽光の加減で起こるのか。
早朝とそれ以後の気温差で起こるのか。
その原因について書かれたものは、いまのところインターネットのサイトには見あたらない。




今回は、もうひとつ「発見?」があった。
それは、蜘蛛の巣。
蜜の豊富な花には、その蜜目当ての昆虫が訪れる。
そして、その昆虫目当てに蜘蛛の巣が張られる。
空中に一本立ちしている花なら、蜘蛛の巣の「架設」は難しいが、ツツジの植え込みに絡んでいるヤブガラシなら好条件。
蜘蛛の糸が、雨露に濡れてキラキラ光っている。

蜘蛛の巣には、ハエや小さなハチの死骸が引っかかっている。
面白いことに、脱落した雄しべや花弁の破片までが、蜘蛛の巣に引っかかっているのだ。
せっかく蜘蛛が巣を張っても、花から脱落した破片の重みで蜘蛛の糸が切れてしまいそうである。

ツツジの植え込みを支えに、巻きひげを絡ませて繁茂するヤブガラシ。
ヤブガラシの豊富な花の蜜を当てにして集まってくる訪花昆虫(ほうかこんちゅう)たち。
昆虫を食物にしようと網を張る蜘蛛。
そのひとつひとつのドラマを見物している公園の散歩人。

高度に管理された自然である都市公園。
その管理から漏れている部分がドラマチックで面白い。




早朝に、雄しべと花弁の付いたヤブガラシの花を見ることができた

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 昨日は、昼過ぎに平和公園へ行ったので、花盤がオレンジ色のヤブガラシの花を見ることができなかった。

ヤブガラシの花は早朝に咲く。
咲いてすぐのヤブガラシの花盤はオレンジ色で、4本の雄しべと4枚の淡い緑色の花弁がまだ付いているという。

ヤブガラシの不思議な花

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夏になると、蔓性の野草が勢いよくのびる。
野葡萄、ガガイモヘクソカズラ、そしてヤブガラシなど。

ヤブガラシの葉は特徴的だ。
5小葉の鳥足状複葉で、蔓性の茎から互生している。
小葉は、下の写真の通り、先のとがった卵型。

鋸歯があって、葉脈がくっきりと目立つ。
蔓性の茎に付いたこの葉を見るだけで、ヤブガラシだとすぐにわかる。
ヤブガラシはブドウ科の多年草。
成長が早く、広範囲に繁茂して他の植物を枯らしてしまうと言われている。
再生力が強く駆除しにくいので、農地や園芸畑ではやっかい者扱いされている。




ヤブガラシの花は、朝開花する。 昨日の朝、平和公園へ愛犬の散歩で立ち寄ったときは、オレンジ色の花が咲いていた。 それが今日の午後、一眼レフのカメラを持って行ったときはピンク色の花になっている。
朝の開花時には、薄い緑色の4枚の花弁と4本の雄蕊に1本の雌蕊が付いている。 それが昼前には不思議なことに、花弁と雄蕊が脱落し、一本の雌蕊だけが花盤の中央に立っている姿になる。
花盤とは雌蕊の基部の平らな部分で、花の底のこと。 花盤の色もオレンジ色から、写真のようなピンク色に変わる。 雌蕊は、朝は短いが、だんだん伸びて午後には写真のような長さになる。
花盤がオレンジ色のときは蜜が豊富で、ハチ類やハエ類、アリ類が蜜を吸いに集まる。 写真のピンク色状態では蜜は枯れてしまっているので、虫の姿は見えない。
図鑑で調べると、ヤブガラシは花が終わると球状の果実をつけるが、それは西日本を中心に分布する種類。 東日本に生えている種は結実しないとのこと。
そうなのか。 それは残念。 だが、引き続き平和公園でヤブガラシをよく見ることにしよう。

















そんなに臭く無かったヘクソカズラ

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堤小学校の校庭の北側にドウダンツツジの生垣がある。
その生垣の東角に、ヘクソカズラの蔓が巻き付いていて、今が花盛り。

小さな花だが、よく見ると可愛い姿をしている。
花は釣鐘状で白く、花の先が浅く5裂している。

花の筒の部分は10~15ミリほどの長さで、筒の内部は渋目の紅紫色。
花のつき方は、野葡萄のように集散花序で、とても賑やかだ。
蔓性の植物で、蔓の色は、赤っぽかったり緑色だったり様々である。
葉は、ハートをちょっと細長くしたような形で、ヤマノイモの葉に似ている。




花に顔を近づけても何も匂わない。
ヘクソカズラと呼ばれているぐらいだから、周囲に強烈な悪臭を放っていると思われがちだが、無臭である。

葉をちぎったり蔓を折ったりすると、かすかに匂う。
ちょっとした青臭い匂い。
その匂いは、他の草花と変わらないように私には思える。
ドクダミよりも強烈な臭いだろうかと想像していたが、たいしたことは無い。

おそらく、この植物を駆除しようと、蔓を引っ張ってちぎったり鎌で切ったりして大格闘すると、多数の傷ついた部位から出た匂いが混じって濃くなり、ヘクソカズラの呼び名に恥じない悪臭になるのではと、私は推測している。
しかし、それもやってみなければわからないこと。

この植物の繁殖力は相当なもの。
水平方向と垂直方向に広範囲に伸びる。
生垣にややこしく絡まりながら、ドウダンツツジの制空権を奪おうとしているかのようである。
端正な生垣を襲う侵略者のよう。

ヘクソカズラと命名された昔も、こんな調子で草薮を席巻していたに違いない。
往時の園芸家や庭師たちから、「このクソ野郎!」とか「クソいまいましい蔓(かずら)め!」とか罵られているうちに「クソカズラ」と呼ばれ、その勢いに乗って「ヘクソカズラ」という名称が付いてしまったのだろう。
匂いよりも、増殖して周囲を占拠してしまう蔓草のふてぶてしさ。

これに手を焼いた人々が、この植物に「ヘクソカズラ」という呪いの言葉を浴びせたのだろう。
屁だの糞だのと毒づかれたのは、この草の、悪環境でも縦横無尽に生育する生き様だったのでは。

ヘクソカズラには「サオトメバナ」という美しい別名もある。
心優しい野草愛好家が、こんな可憐な花を咲かせるのに「ヘクソカズラ」という名では忍びないと嘆き、醜悪な「屁糞」とは真逆の「早乙女」という名をつけようとしたのではあるまいか。














旅に病んで夢は枯野をかけ廻る

芭蕉が亡くなったとされる元禄7年10月12日の日時は旧暦である。
新暦(グレゴリオ暦)では1694年11月28日となっている。
木枯らしが吹く初冬の大坂(大阪)でのことだった。
臨終の床は、久太郎町御堂ノ前、花屋仁右衛門貸座敷と伝えられている。
享年51歳。

旅に病んで夢は枯野をかけ廻る
松尾芭蕉

この句は、亡くなる4日前の10月8日に作られた。
夜更けに看護の呑舟(どんしゅう)を呼んで墨をすらせ、口授して一句を筆記させたとされている。
各務支考(かがみしこう)の「芭蕉翁追善之日記」によれば、この日、門人の之道(しどう)が住吉神社に師の延命を祈願したとされている。
呑舟は之道の門人であった。

この句は、芭蕉の辞世の句として広く知られている。
句の前書きに「病中吟」とあるので、芭蕉は辞世の句としてこの句を作ったわけではないという意見もある。

亡くなる10年前「野ざらしを心に風のしむ身かな」と詠って、旅の中に俳諧追究の道を見出した芭蕉だった。
旅先での野垂れ死にを覚悟の「俳諧探求」の旅を続けていた訳であるから、旅先での発句は常に芭蕉の「辞世の句」的性格ももっていたと考えられなくもない。
そういう意味では、掲句は「辞世の句」的である。

しかし、「俺は死ぬかもしれないなぁ」という気分で詠んだ句と、自身の寿命が尽きたことを悟って詠んだ句とは大きな違いがあると思う。
旅の途中で病気で寝込み、旅の歩みは止まってしまった。
しかし、旅に対する思いは冬の木枯らしのように激しく、まだ見ぬ荒野を駆け巡っている。
「俺は死ぬかもしれないなぁ」という思いと「死んでたまるか」という思い。
そういう思いが混じっているような句である。

掲句を作る10日ほど前、9月28日に芭蕉は「秋深き隣は何をする人ぞ」と詠んだ。
この句には「隣は何をする人かは知らないが、私は旅の俳諧師松尾芭蕉であるぞ」というメッセージが込められているように感じられる。
病気で弱った身体ではあるが、強い生存本能・創作本能が働いていたのではあるまいか。

掲句は、「や」、「かな」、「けり」といった「切れ字」を用いていない。
どちらかというと「口語体」調の句である。
この句にある詠嘆は、「・・・・だったなぁ」という過去のものではなく、今まで通り旅を続けて行きたいという未来に対する詠嘆のようなもの。
であるから、詠嘆で停止して余韻が残るよ…

月澄むや狐こはがる児の供

稚児(児:ちご)には、男色の対象とされる若い男性という意味があるとか。
芭蕉の句に登場する「児」は、少年愛の対象であると言われている。
それは下記の句が、句会に参加した七人が七種(ななくさ)の恋を題にして、各々即興句を作ったという事による。
この句会の七人とは、洒堂(しゃどう)、支考(しこう)、憔然(せいぜん)、泥足(でいそく)、之道(しどう)などである。

商売繁盛の守護神が鎮座する「諏訪の宵宮」はたくさんの参拝客で大賑わい

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今日の夕は、成田山青森寺の「流燈会」と諏訪神社の宵宮が同時に行われている。
「諏訪の宵宮」として、周辺の住民に親しまれている宵宮である。

灯篭流しを見物したあとは、宵宮見物。
諏訪神社の参道は、参拝客の行列で大変な賑わい。

「諏訪の宵宮」は7月24日・25日・26日と三晩に渡って行われる。
なので人出も多く、青森市内の宵宮としては最大級ではないかと言われている。

諏訪神社には、イルカが参拝に来たという伝説がある。
そのためか、本殿の内にはイルカの「ねぶた」が安置されている。

河口から離れたこんな場所まで、イルカが遡ることがあるのだろうか。
実は、現在の青森市栄町一丁目に移転する前は、もっと河口に近い堤川の中州(現在の青柳橋付近)に鎮座していたらしい。

弘前藩の藩政時代のことである。
その当時は、「青森開港」の計画が推し進められていた。
諏訪神社の御祭神が航海安全の神様であることから、「青森開港」計画の責任者が、青森港の近くに神社を移転させたと言われている。

青柳橋付近なら、河口からわずか1キロぐらいである。
満潮のとき、イワシの群れを追ってイルカが中洲付近まで遡ってきた可能性はある。




諏訪神社の御祭神は、「武御名方神(たけなみなかたのかみ)」。
この神様は、出雲の大国主神の御子であるという。 他に、「猿田彦神」、「護国の英霊達」が御祭神であると諏訪神社のホームページに記されている。

これらの神々は、商売繁盛、海上安全、農工漁業繁栄の守護神として信仰を集めているとのこと。
なるほど、宵宮が大賑わいなわけである。
諏訪神社の氏子による焼き鳥や生ビールの販売。
「諏訪そば」と呼ばれている発泡スチロールのお椀に入った「かけそば」も、氏子によって販売されている。

参拝客たちは、境内に設置されたテーブルや敷きゴザで、それらを飲食できる。
また舞殿(神楽殿)では、奉納芸能や奉納民謡大会が催され、これが参拝客の動員力にもなっている。
こんな風に、「諏訪の宵宮」がイベントとして成功しているのは、神社側の企画力と商売繁盛の御祭神のおかげなのだろう。

堤川沿いの小路には、たくさんの屋台が出ていて、「祭り」を盛り上げている。
きっと露天商の方々の懐には、多くの現金と諏訪神社のお守りが入っているに違いない。






















成田山青森寺の大祭「流燈会」の灯篭流しを見物

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今日は、成田山青森寺(せいしんじ)の大祭が行われる日。
「流燈会(りゅうとうえ)」と呼ばれている灯篭流しを見物した。
「流燈会」は隣接する諏訪神社の宵宮と同日に行われる。
したがって、青森寺や諏訪神社の前の通りは、たくさんの人出で大変な賑わいだった。

成田山青森寺については、寺院のサイトに以下の内容の記載があった。
成田山青森寺は、真言宗智山派のお寺で、千葉県成田市にある大本山成田山新勝寺の青森分院となっている。

明治21年に、成田山新勝寺に参拝することを目的とした「成田講」の信徒が中心となり、青森市青柳に不動堂を建立したのが起源とされている。
明治23年には新勝寺の御分霊をこの不動堂に奉安し、「青森成田山」と称した。 明治41年に本堂を、現在の地である青森市栄町に移転し今に至っている。
ご本尊は不動明王である。
ご詠歌に「鈴をふり 詠歌ささげん 青森寺 川面にうつる 御堂清らか」とある。 しかし、現在は堤川の川岸はコンクリートで高く護岸されていて、この寺院が川面に映ることは無い。 それに、川面も昔ほど清らかでは無い。
尚、成田山青森寺は、津軽弘法大師霊場の第17番札所となっている。




お寺の北隣に諏訪神社があるが、ブロック塀で仕切られていて、境内はつながってはいない。
青森寺の境内の東側奥には、鎮守稲荷堂が鎮座している。
稲荷堂の横には猿田彦大神の石碑があったり、龍神宮があったり。
これが「神仏習合(神仏混淆)」という状態であるのかどうか、私には不明。
ただ、諏訪神社と成田山青森寺は、境内がしっかりと仕切られているので「神仏習合」という関係では無いようである。




さて、「流燈会」の灯篭流しは、参拝者の諸願成就と亡くなられた方々の供養のために行われる。
たくさんの灯篭が初夏の川面に漂う景色は、青森の短い夏を彩る風物詩のひとつとなっている。
コンクリート護岸の堤防に並んで、手を合わせる人々。
その人々に呼応するかのように灯篭の灯が波に揺れてきらめく。
そんな川岸の風景は、現代の信仰を描いた絵巻のようであった。

灯篭流しを見物していたら、昔読んだ寺山修司さんの俳句が頭に浮かんだ。

流すべき 流灯(とうろう)われの 胸照らす 寺山修司
灯篭を流そうと夕暮の川岸にしゃがんだら、灯篭のほのかな灯りが自分の胸を照らしている。 それは、まるで何かを語りかけているような。 感慨がこみ上げ…

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