2017/10/28

北八甲田黒森の山麓でのキノコ採りを断念して藪漕ぎ黒森登山

本日の行程図(赤色点線:登り、青色点線:下り。行程線はブログ管理人の書き込み)。出典:国土地理院ホームページ。

北八甲田・黒森山麓

北八甲田黒森の山麓は、自動車道路から眺めると、歩くのに快適そうなブナの森が広がっている。
地形図を見ると、小さな沢が集結している北東向きの谷もある。
これはキノコが大量にあるのではと期待して、コンパスを合わせて山に入ったが、キノコは見当たらない。

谷をふたつばかり越えても、キノコのニオイもカケラも無い。
天気は良いし、時刻はまだ早い。
そこでキノコ採りを断念して、黒森登頂をめざすことにした。
黒森は、去年の春の残雪期にツボ足で登っている
そのとき、無雪期でもいけるのではと思ったのだが、それを実行することにした。

北八甲田黒森は国立公園の「普通地域」

黒森(標高1022.7m)の東西に張り出した稜線の北西側(市町村境界の青森市側)は、「十和田八幡平国立公園」の「普通地域」に指定されている。
国立公園の「特別地域」や「特別保護地区」では、原則として指定遊歩道以外に立入る場合は、環境省(環境大臣)などへの許可申請が必要だが、「普通地域」への立入りはその限りでは無いという。
黒森には登山道や遊歩道は無いが、自然散策目的での入山に規制はない。
またキノコ採りも、その行為自体に規制はない。
そういう「自然公園法」の「解釈」のもと、黒森藪漕ぎ登山を楽しむことにした。

尾根直下はネマガリタケの猛烈な藪

標高750mから850mぐらいまでの傾斜の緩い部分は、ネマガリタケの藪が少なく快適に登ることが出来た。
標高850mあたりから急登を強いられる。
それまで膝ぐらいの高さだったネマガリタケが、2mぐらいの丈に変わる。

足を滑らせると転落の危険があるような急斜面登高。
むしろ、丈2mの太いネマガリタケが幸いした。
両手それぞれでネマガリタケの茎を2~3本束ねて掴み、それを手掛かりにして上体を引き上げる。
一歩一歩確実に斜面を踏んで、足場を確保し高度を稼ぐ。
三点支持の方法で、ハシゴを登るように斜面を這い上がった。

66歳には思えない程、バカなことを楽しんでいる。
もがきながら藪漕ぎしてると、やがて前方が開けてきた。
稜線がすぐそこに。
斜度は緩くなり、ネマガリタケの丈も低くなる。

尾根の上で一呼吸。
急斜面を登っているときは、2~3度引き返そうかなと思ったが、登りきってしまったら気分は爽やか。
ひと仕事終えた気分。
体が活性化して四肢に力が漲っている。
尾根に上がれば、山頂は目前。
山頂までは、膝ぐらいの藪漕ぎだった。
のんびりと尾根歩きを楽しんだ。

黒森山頂風景

残雪期の黒森山頂は見晴らしが良かったが、今は樹間から高田大岳や雛岳を遠望するしかない。
横長の山頂部分は藪に覆われていて、腰を下ろすスペースもない。
山頂部には、イヌツゲに似た葉の、低木の群落があった。
あとで調べたらアカミノイヌツゲという常緑樹だった。
その群落近くで、黒森の三角点を発見。

アカミノイヌツゲ

この木は主に北海道、本州中部以北に分布しているという。
高さは2mほど。
  1. 亜高山帯の尾根筋の岩場や湿原の周辺に生える。
  2. 類似するイヌツゲとの相違点は、葉の中間から上縁にかけて鋸歯があること。
上記2点が同定の決め手。
この低木に赤い実がついていれば同定は確実なのだが、私が見た範囲内では赤い実は見当たらなかった。
アカミノイヌツゲは雌雄異株で、私が見たのは雄株だけだったのではと思っている。
もっと山頂付近を見回れば、赤い実を目撃できたかもしれない。

「八甲田黒森」という名の火山

国立研究開発法人産業技術総合研究所の地質調査総合センターのホームページ>研究紹介>地質情報データベース>カテゴリから探す>火山>日本の火山データベース>第四紀火山>火山名称で探す>D:本州(東北)>八甲田黒森と進むと下の画像のページに行き当たる。


出典:地質調査総合センターデータベース


北八甲田連峰の東の端っこにちょこんとある小さな山だけれど、「黒森溶岩」で出来た成層火山だったのだ。
ちなみに北八甲田連峰は「北八甲田火山群」
南八甲田連峰は「南八甲田火山群」となっている。

大岳も小岳も高田大岳も、「北八甲田火山群」として一括りにされているのに、黒森だけが「八甲田黒森」と言う名の独立した火山として扱われている。
黒森は、特別な存在であるらしい。
八甲田連峰の山の名前は、「○○岳」とか「〇ヶ峰」とか「〇〇倉」とかいうのがほとんど。
そのなかで「黒森」という控えめな名前。
千メートルちょっとという低い山。
登山道も無く、人に見向きもされない山。
国立公園の区域ではあるけれど、「普通地域」という普通っぽい区分け。
そんな印象の山だが、「黒森」よおまえは、ひょっとしたら大物?

黒森峠方向にピンク色の目印テープ

下山にどこを下ろうかと、頂上直下の斜面を眺めていたらピンクの目印テープが目に入った。
そのテープは、10~15メートルぐらいの間隔で高田大岳方向に続いている。
おそらく黒森峠から登ってきた登山者(好き者)の目印なのだろう。
しばらく目印を辿って下りてみたが、こちらのルートの方が腰ぐらいの藪で歩きやすい。
斜度も、登ってきたルートよりも緩い。
標高900mぐらいまで目印を頼りに下山し、そのあとは徐々に右手に方向を変えて、のんびりブナの森を散策し、自動車道路に出た。

まとめ

黒森峠の入山口(標高818m)は、私のスタート地点(標高735m)よりも83mぐらい標高が高い。
黒森登山は、黒森峠からの方が幾分楽。
急登と尾根歩きを楽しむなら、今日の私のルート。
そんな感想を持った黒森山行だった。

それにしても非火山性の山地だと思っていた黒森が火山だったとは。
この事は下山後にインターネットで調べて知ったことなのだが、意外な事がわかって面白い山歩きだった。
「人は知らじな火を噴きし山のあととも」
であったのだね。


キノコを探して、黒森北側山麓に入る。ご覧の通り、開けていて歩きやすそうなブナの森。

千手観音の雰囲気を持ったブナの巨木。

キノコの気配は、まったく無し。

頂上に近い尾根を目指して、藪のない山麓を登る。

登るにしたがって斜度が増す。

最後は、2メートルを越える丈のネマガリタケの密林を、壮絶に藪漕ぎ。

尾根で一息ついて、田代方向を眺める。

東西に長い尾根の東方向を見下ろす。

尾根続きの黒森山頂方向を見上げる。

山頂付近の藪。イヌツゲに似た灌木の群落がある。奥のこんもりとしたところが山頂か。

アカミノイヌツゲの群落。

三角点発見。

黒森山頂の樹間から高田大岳(左)と雛岳(右)を眺める。

頂上直下にピンクの目印テープがあった。

山頂付近の目印テープは、10~15メートルぐらいの間隔で高田大岳方向に続いている。

2017/10/26

秋の風情、アオギリの黄葉と白鳥の飛来

アオギリの黄葉が見頃な公園。
平和公園の側から東に延びている 「遊歩道緑地」という名の公園。
その公園で、愛犬と朝の散歩をしていたら、アオギリの黄葉がきれいだった。
緑の幹と黄色い葉の組み合わせが、絵のようで美しい。
アオギリの緑色の樹皮が、とても滑らかだった。
なんとアオギリは、この緑色の樹皮でも光合成を行っているというからオドロキだ。
紅葉しながら光合成も?
春から夏にかけては、全身で光合成。
それでアオギリは、成長が早いのだろうか。

2017/10/21

滝沢の神堤山登頂ルート偵察とヒバの森を散歩

【下折紙沢。】


台風21号が接近していて、この先2~3日の天気が芳しく無いという予報。
今日は曇り空ながら、なんとかお天気がもちそうな空模様である。
明日の日曜日は、仕事が入っている。
それならば今日は近場の山へ散策に出かけよう、ということに。


【林道から地獄沢に入る。】


神堤山(かみつつみやま:標高465.6m)は、青森市滝沢地区では地図に名前が記されている希少な山のひとつ。
滝沢地区の秀峰であると私が思っている734ピーク681.3ピークは、地形図に名前が記されていない。
滝沢地区で、地図に名前のある山と無い山とではどんな違いがあるのだろう。
前から気になっていたことだ。
尾根のひとつのピークとしてではなく、大毛無山のように遠くからでも山の姿形が目立つものの名前が残っていて、それが地図に記される形で今に伝えられているのだろうか。
たぶん、それはない。

折紙山は、滝沢地区ではいちばん名前の知られた山である。
しかしその山容は、尾根の連なりのなかの平ったいピーク。
どこがそれやらなかなか判別しがたい。
この山に登った者でなければ、あれが折紙山だと指差して示すことは困難である。
滝沢地区の最高峰ではあるけれど、山容が目立つ山ではない。
今年の春の残雪時にスキーで登った高地場山も、そんなに明瞭な山容では無い。
しかし681.3ピークは、滝沢下川原付近から大きく立派に見える山なのに、地図に名前がついていない。

山に名前がついているのと、山容が明瞭であるかどうかは、あまり関係が無いようである。
名前が有るか無いかは、その山が麓の住民に親しまれているかどうかなのだろう。
とすれば、遠くから眺めることができる山容も、少しは関係があるのかもしれない。

滝沢地区の山に、遊歩道のあるハイキングコースは無い。
私が藪の少ない尾根ルートを散策しながら、独り山歩きを楽しんでいる国有林の山々である。
自然公園ではないから、すべてのピークの名前を記す必要は無いのだろうが、自分が登っている山に名前が無いのは寂しい。

そんなことを考えながら「神堤山」という立派な名前を持つピークの登頂ルートを偵察。
神堤山山麓で、キノコを探しながら小沢を登ったり尾根を歩いたり。
のんきな偵察山行である。


【地獄沢を登る。】


滝沢地区の山の魅力は、ヒバの林が豊富であること。
ヒバの巨木に出会えること。
青森県のヒバ林は、日本三大美林のひとつに数えられている。
青森ヒバの標準名はヒノキアスナロ。
ヒノキアスナロはアスナロの変種で、寒冷地で生息するタイプである。
その分布は津軽半島や下北半島が中心となっている。

ヒバの森を通るハイキングコースとして有名なのは野辺地の烏帽子岳
この山で登山者は、ヒバの天然林を眺めることができる。
一方滝沢地区のヒバ林はほとんど話題に上らない。
だが、滝沢地区の青森ヒバの天然林も見事である。
山の中にひっそりと立っているヒバの巨木には神々しさを感じる。
知られざるヒバの聖域と言っても過言ではないと私は思っている。


【チョロ滝岩。】


下折紙林道にクルマを乗り入れ、2~3分進むと、二股に出合う。
そこの広場にクルマを止めて、下折紙沢に架かっているコンクリート製の橋を渡り林道を歩く。
しばらく歩くと左手に「地獄沢」と書かれた小さな看板が立っている。
火山でも無いのに「地獄沢」とは、神堤山の神にひっかけたダジャレなのか。
などと思いながら沢を登る。
沢の周辺に転がっている倒木や立ち枯れの老木にムキタケが付いていたので頂戴した。


【神堤山の紅葉。】


沢の傾斜が急になったので、斜面を這い上がって細い尾根に逃れる。
ネマガリタケの藪もなくて、歩くのに快適な尾根筋。
他の尾根もだいたい似たようなものだろうと見当をつけて山を下りた。
去年の春に登った葉抜橋山の尾根も歩きやすかった。
細めの尾根にネマガリタケの藪が無いのが滝沢の山の特徴なのだろう。
神堤山も葉抜橋山同様、楽しく登頂できそうな感じである。


【ムキタケ。】
山を下りてから下折紙沢の河畔を散歩した。
下折紙沢は渓流あり渓谷ありで、沢の形状が変化に富んでいる。
河畔には、サワグルミなどの木に混じってヒバの木もある。
かなりの大木もある。
ヒバの森を眺め、清流を眺めてリラックスした。

ここも私好みの滝沢の景勝地である。
知られざる景勝地を堪能できる贅沢さ。
低山ハイキングの醍醐味であるなぁと独り感じ入った。
八甲田山や白神山地のブナの自然林も良いが、低山のヒバの森も素晴らしい。
日本三大美林と銘打たれた青森ヒバ林は、青森県の誇り。
その誇りが、山奥でひっそりと霊気を放っている。


【標高100メートルぐらいにブナの木。】


【倒木にムキタケ。】


【立ち枯れの木にムキタケ。】


【ヒバの巨木。】


【下折紙沢の河畔にヒバの巨木。】


【下折紙沢の渓流風景。】


【根が露出してしまった河畔のヒバ。】

2017/10/19

「ナメコの森」でナメコ採り

いつもの滝。
ナメコが多く出ているので、今年の秋はナメコ採りに精を出している。
今日は平日だが、仕事の切れ間。
そこで、「ナメコの森」へ出かけてみた。
「ナメコの森」とは、十年ぐらい前に、私が大量にナメコを採った場所のこと。
キノコ採りなら、そういう「ナメコの森」をふたつかみっつ探し当てているもの。

2017/10/17

海士の屋は小海老にまじるいとど哉

「いとど」とは昆虫の名で「カマドウマ」のこと
コオロギに似ているが「カマドウマ」は羽根を持たず、長い後ろ足で跳びはねる。
背が曲がっているので「海老蟋蟀(えびこおろぎ)」という異名もあるという。
現代では「便所コオロギ」と呼ばれたりしている。

海士(あま)の屋は小海老にまじるいとど哉
松尾芭蕉

掲句は、前回記事にした「病雁の夜寒に落ちて旅寝哉」の「姉妹句」のような句であると私は感じている。
芭蕉は、琵琶湖西岸の堅田から木曾塚(義仲寺)へ戻る途中、風邪の症状が悪化して「蜑(あま)の苫屋に旅寝を侘び」た。
そこで「病雁の・・・・」の句を詠み、続けて掲句を詠んだものと思われる。
「芭蕉年譜大成(著:今榮藏)」には、この二句が同時期の作として、並んで掲載されている。

琵琶湖の名物で、小さな食材として知られているスジエビ。
この海老漁は現在でも行われているという。
芭蕉が堅田を訪れたときは海老漁以外の漁も盛んに行われていたのかもしれない。
「蜑(あま)の苫屋」も琵琶湖沿岸に数多くあったことだろう。

掲句が作られたのは晩秋の頃。
獲ってきたスジエビは寒いときによく跳ねるという。
体調を崩したとはいえ、芭蕉が閑寂な旅寝を楽しんだ「蜑(あま)の苫屋」

その土間では、獲れたての「小海老」が籠からとび出てピチピチと元気に跳ねている。
よく見ると、「小海老」のなかに「いとど」も混じって一緒に跳ねている。
そんな様子を詠った句である。
「蜑(あま)の苫屋」に立ち寄らなければ見ることや想像することが出来なかった光景である。

そんな光景を楽しんだから芭蕉は蜑(あま)の苫屋に旅寝を侘びて風流さまざまの事共に御座候。」と茶屋与次兵衛宛の書簡に記したのだろう。
「風流」とは、「病雁の・・・」の句と「海士の屋・・・」の句を漁師小屋で詠んだことではあるまいか。

「病雁」を想定して、その雁に自身を重ねて不安な旅の心情を描いた。
次に、小海老に混じって跳びはねるユーモラスな「いとど」を想定して、つかの間の安堵感を描いた。
小海老は、やがて人間に食べられる存在である。
一緒に跳びはねていると「いとど」も小海老と一緒に人間に食われてしまうぞという芭蕉のブラックユーモアなのかもしれない。
いずれにしても、芭蕉が偶然に立ち寄った「海士の屋」は、不安と安堵と、ユーモラスな生き物が混在している空間だった。

そして、空の「雁」と土間の「小海老にまじるいとど」とが天と地の対照的な関係にあるように、「病雁の・・・・」と「海士の屋は・・・」のふたつの句自体も対照的であると私は感じている。

「なぜ芭蕉は至高の俳人なのか(著:大輪靖宏)」や「芭蕉(著:伊藤善隆)」を読むと、「病雁の・・・」の句と「海士の屋は・・・」の句についてのエピソードが書かれている。
このふたつの句を芭蕉が、向井去来(むかい きょらい)と野沢凡兆(のざわ ぼんちょう)に提示して、この二句のうちどちらを蕉門の句集「猿蓑」に入れたら良いか意見を尋ねたというのだ。
このエピソードは去来が著した「去来抄」に書かれている。
去来と凡兆は、芭蕉が任命した「猿蓑」の編者である。
この芭蕉の問掛けに対して、去来は「病雁の・・・」を支持し、凡兆は「海士の屋」の句を支持したという。
しかし結論が出ずに、結局は両方とも「猿蓑」に入集させたとのこと。
その後芭蕉は、「病雁を小海老などと同じごとく論じけり」と言って笑ったという。

「去来抄」の原典は、「国文学研究資料館」のサイトの「国文学研究資料館トップ 」> 「電子資料館 」>「  日本古典籍総合目録データベース 」> 「国文研所蔵資料」>「統一書名、よみを入力して探す」の検索ボックスに「去来抄」と入力することで探して見ることができる。
さて、どうして芭蕉は自作の句を「小海老などと」といって笑ったのだろうか。
気になるところである。

寛文十二年、芭蕉二十九歳のとき、『春 江戸に下る。古伝によれば離郷に際し、友人への留別として「雲と隔つ友かや雁(かり)の生き別れ」の吟を残したという(竹人「蕉翁全伝」等)。ただし句は存疑。』と「芭蕉年譜大成(著:今榮藏)」にある。
もし「雲と隔つ・・・」の句が芭蕉の作であるなら、芭蕉は友人との別れを雁の別れにたとえてこの句を詠んだことになる。
そして芭蕉自身をも、旅立つ雁にたとえたのだ。
雁(かり・かりがね)は万葉集や古今和歌集に題材としてよく登場する鳥のひとつ。
その雁を俳諧の題材として用いることは、その句の格調を高める効果がある。
「雲と隔つ・・・」の句が「存疑」であっても、芭蕉が雁と自身とを重ね合わせて雁の句を詠んでいたかもしれないということが、「病雁の・・・」の句を読む上でヒントになっている。

雁は冬の時期を日本で過ごし、春になると北方へ帰る渡り鳥。
芭蕉にとって雁は、旅人としての自身と重ね合わせることができる代表的な存在なのではあるまいか。
堅田の地で、体調が優れない地上の芭蕉は、琵琶湖の空を飛ぶ「落雁」の群れに「病雁」を仮想して、その雁に自身を投影しようとした。
芭蕉にとって「病雁」は、自身の心情が通じる存在なのである。

一方「小海老」や「いとど」は、芭蕉にとっては心情を通じ合わせるような存在ではない。
今まで句に詠んできた「蛙」「白魚」「蝶」などのように、雅なイメージも持ってはいない。
芭蕉は、ユーモラスな形をした「小海老」や「いとど」との、旅先での奇遇に安堵を覚えた。
だが芭蕉の心情は、空を旅している「病雁」の方に向けられていたのだろう。
芭蕉は、このふたつの対照的な句そのものよりも、「病雁」と「小海老」という題材について去来と凡兆が言及していることに対して笑ったのではあるまいか。

一方凡兆は、「小海老」や「いとど」で構成された「海士の屋」の空間感覚に興味を持ったのではないだろうか。
「ナメクジ」「蠛(うんか)」「剃刀の錆」「かうの物」を題材に取りあげながら独特な空間感覚や抒情を展開してきた凡兆にしてみれば、弱々しい「病雁」よりも「海士の屋」での「小海老」や「いとど」の生命の躍動感がある句を選んだのは、トウシロながら私にも肯ける。
生命の躍動感は、凡兆の詩のテーマのひとつである「生への賛歌」につながるのだと思う。

おそらく芭蕉は、去来と凡兆の議論を大いに楽しんだことだろう。
私には対照的に感じられる「病雁の・・・・」と「海士の屋は・・・」のふたつの句。
それぞれの句を推した去来と凡兆もまた対照的な「俳人」であったのかもしれない。
また対照的な「俳人」であったからこそ、芭蕉はふたりを「猿蓑」の編者に任命したのではあるまいか。
などと、またしてもトウシロの空想が過ぎたようだ。

<このブログ内の関連記事>
◆見やすい! 松尾芭蕉年代順発句集へ

2017/10/15

紅葉が枯れかかった山でナメコ採り

紅葉が終わりかけの山。
今日も、城ヶ倉渓谷近辺の山でナメコ採り。
城ヶ倉渓谷の紅葉は、枯れ葉色が目立っていて、もう終わりかけの頃。
それでも、城ヶ倉大橋にはたくさんの観光客がおいでだった。
枯れ葉色の山に望遠レンズを向けるカメラマン達。
もしかしたらその先に、美味しいナメコが生えているかもしれませんぜ。

入山時は小雨模様。
昼過ぎには良くなるという天気予報を信じて山へ入る。

2017/10/14

鉄製先芯の入ったセーフティースニーカーの寿命は一年

こんなになるまでよく履いたものだ。


去年の5月に買ったDickies(ディッキーズ)のセーフティースニーカーがオシャカになった。
一年と六ヶ月の寿命だった。
本当は、今年の五月頃でオシャカ状態だったのだが、まだしっかりした部分もあったので、もったいなくて、人目を気にせずに履いていたのだった。
もう、下の写真のような損傷状態だと完全オシャカ。
廃棄処分する以外に道はない。


先芯のエッジ部分が傷みやすい。


数人の知り合いに、作業靴は何年ぐらいで買い替えているのかと尋ねたところ、二年という答がほとんどだった。
作業靴といっても、「軽作業兼普段履き」なので二年ぐらいは持ちこたえる。
私の「軽作業兼普段履き」がなぜ一年しかもたないのかと言えば鉄製先芯入りだからである。

鉄製先芯とは、作業靴の爪先部の甲材と裏材の間に入っている鉄製の芯のこと。
作業現場で落下物から足の指を守るためのプロテクターの枠割を果たしている。
代表的なものが「安全靴」と呼ばれるJIS規格をクリアしたもの。
この安全靴ほどゴッツくなくて、見た目がカッチョいい靴がセーフティースニーカーと呼ばれている作業靴なのである。
セーフティースニーカーはJIS規格に満たないものがほとんど。
安全靴よりもずっと華奢な作りなのである。

この鉄製先芯のエッジが、足の様々な動きによって靴の甲材を擦過する。
そのために、上の写真のような損傷が、その使用頻度に伴って発生する。
私の場合は、「軽作業兼普段履き」プラス「大型犬の散歩」で、セーフティースニーカーの寿命が一年。
「軽作業兼普段履き」も「大型犬の散歩」も、そんなにハードではないから一年も持ちこたえている。
宅配便のドライバーのような激しい動きなら、華奢なセイフティースニーカーは一年も持たないであろう。
それだけセイフティースニーカーの鉄製先芯は、靴を保持する上で弱点となっている。

私はこれまで「軽作業兼普段履き」を、作業用品専門店である荒川通りのLaber(レイバー)から購入してきた。
ここは靴以外にも品揃えが豊富なので気に入っている店である。
Laberに置いてある靴は、すべて鉄製先芯入りとなっている。
作業員の安全を守る鉄製先芯入りの靴でなければ、作業靴ではないというのがLaberの考え方なのだろう。
靴がそんなに重くなく負担にならないので今まで何足か買っていたのだが・・・。


底の減り具合。


私の「軽作業兼普段履き」は、そこまで頑丈な靴である必要がない。
どちらかと言うと長持ち重視。
二年ぐらいはもってほしい。
ということで、今回は普通のスニーカーを買うことにした。
私の足にフィットして動きやすくてカッコ良くて値段が手頃なもの。
それが選択の基準である。

スポーツ店のゼビオとかいろいろ回ったが、結局東京靴流通センターで購入。
ダンロップブランドの「マックスランライト207WP」というスニーカーを買った。
ダンロップのロゴが入っているが、作っているのは広島化成という会社。
ダンロップのシューズを一手に引き受けている会社である。

「マックスランライト207WP」の値段は税込みで4,849円。
値段も手頃で、履き心地も良い。
特に土踏まずのフィット感が心地良い。
このスニーカーは防水設計モデルということ。
タグには以下の記載があった。
  1. ソールからアッパーにかけて5cmまでの位置で、6時間防水設計(広島化成社規定)。
  2. かかとには、歩行時の衝撃を和らげる衝撃吸収材を搭載。
  3. 取り外しが可能なカップインソール。
  4. 夜間歩行時の安全性を高める反射材付き。
おそらく、(1)と(2)は新品の間だけでしょうね。

まあ新品の靴も良いけれど、時が過ぎてヘタレた靴には、それはそれで感慨がわくもの。
靴は一年一年、それを履く者の人生を物語っているのかもしれない。
ありきたりな感慨ではあるけれど。

ヘタレた靴が、だんだん自分に近づいてくる。
靴の姿を見ていて、つくづくそう感じるね。
ヘタレた靴のフォームが、今の自分のフォームじゃないかなって感じるときがある。
だから、靴を新しくする。
靴を新しくするとフォームも新しくなったような気がするからね。


おニューのスニーカー。

「土踏まず」のカーブが気にいっている。

靴の底。

取り外せるカップインソール(中敷き)。カップインソールとは立体的な形状のインソールのこと。

インナーソールの裏の溝。湿気抜きか。ひっくり返すと立体形状を持ったインソールであることがよくわかる。

2017/10/09

錦秋のブナの森でナメコが大量発生

城ヶ倉大橋周辺の紅葉は、ここ2~3日がピークか。


昨日は、愛犬の散歩がてら黒森近辺の、藪の無いブナの森を偵察。
収穫はムキタケが少々だった。

今日は20年近く通っている城ヶ倉近辺の山へ出かけた。
行程のほとんどがネマガリタケの藪漕ぎなので、愛犬は留守番。


ナメコ発見第一号。


山へ入ってみたら、ナメコが大量発生していた。
白っぽい早生のナメコがあちこちに。
拾い採りしながら目的の沢へ向かった。

沢に着く頃には、相当量のナメコが採れていたのでリュックが重かった。
天然のナメコは、ナラタケなどと比べると、身がギュッとしまっているので重い。
この重さが、濃厚な旨味の元であると私は思っている。
ナメコはブナ帯(落葉広葉樹林帯)の森の贈り物。
大量のナメコに出会うと、広大なブナの森が山菜文化を支えてくれているのだとつくづく感じる。
縄文人は、このブナの森に守られながら狩猟採集文化を維持していたということが容易に想像できる。

背中のリュックも重いが、昨日の疲れが残っているのか、沢を登る脚も重い。
沢を登りながら、またナメコを拾い採り。
沢から緩い傾斜の斜面に移って、今度は山を下りながらナメコの拾い採り。
ここ2、3日の雨で、まだ山が湿っているので、ナメコは特有のヌメリに包まれている。
素手でナメコを採ると、指先がナメコのヌメリでヌメヌメに。
それを軍手で拭いながら、ナメコを採取する。

以前、大量にナメコやナラタケ(サモダシ)を採ったことのある太い倒木は、もう木質の分解(腐朽)が進んでいて、今はヒョロヒョロした変なキノコしか生えていない。
今日は、一ヶ所での大量採集は無かったが、少量のナメコ発生箇所がたくさんあったので、けっこうな収穫になった。
だが、重いリュックを下ろしたり担いだりのキノコの採り方が一番疲れる。
なので、名残惜しいが早めにキリをつけて山を下りた。

今日はサモダシを見かけなかった。
ナメコオンリーのキノコ採り。
こういうことも珍しい。
この時期でも、まだサモダシが残っていても良さそうなものだが。
サモダシは九月の中頃大量発生したという。
まさに大爆発だったらしい。
残念ながら、私はその現場に居合わせていない。
仕事が忙しかったのだ。
そのとき出尽くしてしまったのか、最近はサモダシの噂をあまり聞かない。
まったくキノコは気まぐれな生き物である。

そういえば今年は、ツキヨタケを一個も見ていない。
昨日の黒森近辺の森でも、ここでも全く見ていないのだ。
ツキヨタケの成菌も、成長が終わって黒く腐った姿も見かけていないのだから、ツキヨタケが発生していないってことなのだろうか。
ツキヨタケは毒キノコではあるが、毎年秋になればブナの森のいたるところで群生するキノコなのだが。
かつて、2011年の秋にもツキヨタケが少ししか発生しなかったことがあった。
その年は、ナラタケをはじめとした食菌も不作だった。

しかし今年の秋は、ナメコが出ている。
ナメコの大量発生とツキヨタケの無発生?
それが今年の秋の特記すべき山のキノコ事情である。


白っぽい早生のナメコだが食べごろである。


傘が開きかけているナメコの成菌。


こちらも食べごろ。


倒木の下側(根元)にナメコの成菌。上の方に幼菌がポチポチ。


こんな細い枯れ枝にもナメコが付いている。


ナメコの幼菌は、色が濃い。


腐る一歩手前のナメコの成菌。グッドタイミングだった。


恵み豊かなブナの森。


急な小沢を登る。


斜面の倒木にナメコの成菌。


ブナの森に感謝。


ダケカンバの倒木からもナメコが出ている。


ツブナメコ。幼菌だが美味しい。味噌汁に最高。


大きく傘の開いたナメコ。


錦秋の谷から北八甲田大岳を望む。