2017/11/29

馬ぼくぼく我を絵に見る夏野哉

芭蕉は時々、自身の姿を離れた位置から眺め、その姿を句に表現している。
自身の姿を客観視しつつ、句に登場させるというスタイル。
たとえば、「冬の日や馬上に凍る影法師」という句。
自身が身を置いている光景を叙景句として詠み、それを進行している「劇」のように読者に見せる。
読者に想像させる。
そして読者は、その「劇」の登場人物としての芭蕉の「抒情」に触れて感動する。

以前記事にした「埋火や壁には客の影法師」は、もっと間近で自身と応対している芭蕉の句。
ときに荒野を舞台に、ときには庵を舞台に、芭蕉は自身の「劇」を読者に示してきたように私は感じている。
「秋深き隣は何をする人ぞ」の句においても、そんな印象を持ったのだった。

2017/11/27

公園のフジの木から出ているキノコは天然のエノキタケか?

雪をかぶったキノコ

11月22日のキノコの状態

22日に愛犬の散歩で公園に寄ったら、パーゴラに絡んでいるフジの幹からキノコが出ていた。
幹の上の方は、なかば雪におおわれながら顔を出している状態。
このフジからキノコが出ているのを見るのは初めてである。
じっくり見たら、どうやら天然のエノキタケに似ている。
天然のエノキタケは、以前金木の山で採ったことがあり、私には馴染みのキノコ。
おいしい食菌である。


雪のなかからこんにちは。


キノコの傘裏のヒダの様子がエノキタケに似ている。
全体の雰囲気もエノキタケ。
と言っても、スーパーで売っている栽培物の白く細長いエノキタケしか見たことがない人にはピンとこないかもしれませんが。

天然のエノキタケのいちばんの特徴は、柄(茎)にある。
柄の表面は、細かい毛で被われて、ビロードの感触。
柄の色のポピュラーなスタイルは、柄の上部が茶色。
それが下に行くほど色が濃くなり、柄の根元は黒褐色になる。
柄全体が黒いビロード状の場合もある。
これが、エノキタケの同定の目安。

次に特徴があるのは傘の裏のヒダ。
色は白色から乳白色。
ヒダの間隔は密ではない。
よく見ると、大きなヒダの間に小さなヒダがある。
これも、エノキタケを同定するときに注意する点である。

さて、このフジの幹についたキノコはというと、ヒダの特徴はエノキタケに酷似している。
問題は、いちばんの決め手である柄の特徴。
柄の表面を細かい毛が被っているかどうかは、ちょっと確認しがたい。
毛があるような無いような・・・。
柄の色については、黒い部分がない。
柄の色は、一様に茶色である。
株の中には黒っぽい柄の個体もあるにはあるのだが。

過去に採ったことのあるエノキタケは、柄がすべて黒いビロード状だった。
というか、そういうキノコでなければエノキタケと認めていないのが私の選択基準であった。
このフジの木のキノコは、はたしてエノキタケであるのかどうか。
インターネットで検索して、写真を調べてみると、柄の色がこのフジのキノコに似たエノキタケもたくさんあった。

柄に細かい毛が生えていて、柄の色が茶色から黒っぽい茶系なら、ほぼエノキタケに間違いなしということなのだろう。
であるから、柄の色に関して言えば、このキノコがエノキタケであってもおかしくはない。

エノキタケに似たキノコに、猛毒のコレラタケがある。
コレラタケのヒダの色は、傘の色とほぼ同じである。
これがエノキタケとコレラタケを見分けるポイントのひとつ。
コレラタケは、傘の中央部に突起のような膨らみがあるものもあり、これが判別のポイントであるが、膨らみの無いものもあるので要注意である。

なお、コレラタケの傘の表面は平滑だが吸水性がある。
傘が湿っている時は暗褐色で縁部に条線が見える。
しかし、乾けば中央部から縁部に向かって淡色となる。
この吸水性のため、傘の中央部と縁部で色の濃淡があらわれる。
エノキタケは傘の表面に粘性が見られる場合があるが、コレラタケは湿っていても粘性は無い。
それと、コレラタケの柄の色は、淡黄土色ないしは、淡粘土色である。

慣れていれば、エノキタケとコレラタケの違いは容易に見分けられるという。
しかし、私はコレラタケを見たことがない。
なので、今回のフジの幹のキノコを、これはコレラタケでは無いという自信は無い。

エノキタケは、ナメコのように深山のキノコではなく里のキノコである。
庭の、柿の木の切り株から出たり。
それぐらい人間の生活の場のすぐ近くで発生したりするキノコである。
また発生時期は、秋の終わりごろから冬を経て、初春の頃まで。
他のキノコが出なくなるころ、ようやく出始めるキノコなのだ。
エノキタケは、雪の下からでも出てくるので、ユキノシタという別名があるほど。
そういう訳で、疑問を残しながらも、この日はフジの幹のキノコは、エノキタケである可能性が高いと感じたのだったが・・・。
(下へ続きます。ここまでお読みいただいたのなら、写真群の下にある記事もお読みください。)


幹の割れた溝から発生している。

ヒダの様子もエノキっぽい。

幹の下の方は株状に発生。大きなヒダの間に小さなヒダが見える。見れば見るほど美味しそうなキノコ。

柄(茎)の色がいまいち。

フジの絡まるパーゴラ。手前の幹のこちら側にキノコがついている。

11月27日のキノコの状態

公園のパーゴラでキノコを発見してから5日経った。
今日(27日)、また公園へ寄ってみた。
すると、例のキノコは、全体的に傘の色が黒っぽく変色している。
水分を吸って色が濃くなっている状態に見える。
傘の表面にヌメリ感は無く、平滑感が目立つ。
あんなに美味しそうだったのに、今日のキノコの外観は不味そうな印象に変わってきている。
昨日は雨模様だった。
雨に濡れて傘が変色しているということは、このキノコはコレラタケのように吸水性があることになる。
それに、湿っているせいなのか、22日には見えなかった条線が傘の縁にあらわれている。

22日には、エノキタケと同定しかけたのだが、今日の観察で、いまいち不明となってきた。
エノキタケに似たキノコが雪の降るこの時期に発生したら、それはエノキタケであると言いたいところだが、正体は不明。
キノコ採りは食中毒を伴う危険な遊び
確信があってもミスを犯してしまうのがキノコ採りなのである。
毒キノコの中には、致死性の毒をもったキノコも数多く存在している。
採り慣れたキノコであっても、採集の現場で何か違和感を覚えたら、そのキノコは採らないことが肝心。
そういう思いを強くした「公園のキノコ観察」であった。


傘の縁に条線っぽいものが見える。

ヒダの色は変色していない。

すっかり不味そうな色具合に変わってしまった。

2017/11/21

雑水に琵琶聴く軒の霰哉

「琵琶」で真っ先に思い浮かぶのは平家物語。
平家物語といえば、琵琶法師である芳一が登場する「耳なし芳一」の話。
芳一が得意とするのは平家物語の「壇ノ浦の段」の弾き語りであった。

子どもの頃、その怪談話の映画をテレビで見て震え上がったものだった。
以来、「琵琶」という楽器に対しては、どちらかというと暗いイメージを抱いていた。
子どもの頃のイメージが払拭されたのは、NHK-FM放送の「邦楽百番」で琵琶の豊かな音色を聴いたときだった。
今にして思えば至極当然。
映画「耳なし芳一」での琵琶による劇中演奏は、子どもが怯えるほどに怪談らしく脚色されたものだったのである。

2017/11/20

まだ11月なのに突然の大雪、青森の街は一夜にして真冬の景色に

クルマはすっぽり雪をかぶり。


天気予報通り大雪となった青森市。
クルマも駐車場も雪に覆われて、この冬最初の雪かきとなった。
昨晩から今朝にかけて30cmちょっとの降雪。
昨日の朝はほとんど雪が積もっていなかった青森市が、一夜明けたら真冬状態になった。
最深積雪値32cmは、この時期にしては大雪である。


駐車場も雪に埋もれた。


一日の平均気温は昨日に引き続きマイナス。
最低気温が-2.5℃。
最高気温は0.8℃。
体がまだ寒さに慣れていないので、強く寒さを感じた一日だった。

夕方6時頃のテレビニュースでは、「青森で80cm 北日本で大雪」というテロップが出た。
アナウンサーは「今日は青森県の酸ヶ湯(すかゆ)で80cmの積雪を記録」とおっしゃる。
青森のことをよく知らない人が聞いたら、「青森県の酸ヶ湯っていう町で、もう80cmも雪が積もったんだって。青森って、スゲー雪の多いところだねえ」とたまげるに違いない。
確かに青森は雪の多い所である。
でも、酸ヶ湯っていう町は無い。
酸ヶ湯という住所も無い。

酸ヶ湯は、北八甲田山中標高890mの場所にある一軒家の温泉地のこと。
酸ヶ湯温泉という宿以外に、民家は一軒もない。
一軒の民家も無いのに、なぜ毎年酸ヶ湯の積雪が話題になるのか。
それは、ここに「アメダス」と呼ばれる気象庁の無人観測施設があるから。

青森では、山に雪が大量に降るのはあたりまえ。
こんな集落もないところの積雪情報が何の役に立つんだい、と思われる方も多いかもしれない。
そう、そう。
でもこの情報は、北八甲田山の冬山を滑る山スキーヤーにとっては貴重な情報となっているのだ。

それは、さておき。
酸ヶ湯温泉の住所は、「青森県青森市荒川南荒川山国有林酸湯沢50番地」。
八甲田山の山の中とは言え、青森市内なのである。
なので、まだ11月20日なのに「酸ヶ湯で80cmの積雪を記録」とくれば、それは、まだ11月20日なのに「青森市で80cmの積雪を記録」となるのである。
厳冬期に入って、「酸ヶ湯で4mの積雪を記録」とくれば、それは「青森市で驚異の4mの積雪を記録」となる。
これが、青森市は世界一の豪雪都市という説に拍車をかけている。

世界には、青森市よりももっと雪が降り積もる山間部の町や村がたくさんある。
でも人工が30万人クラスの都市では、その降雪量において青森市は世界一になるらしい。
酸ヶ湯抜きでも、そうなるらしい。

こんな雪の降る土地に人間が30万人も暮らしているなんて。
別の言い方をすれば、その条件下での都市機能が世界一ということなのかな・・・。
青森市民の雪に対する対応力が世界一ということなのか・・・。
それは定かではない。
まあ、雪のある時期が2ヶ月半ぐらいだからね。
30万人都市でも、なんとかやっていけるのさ。

しかし、以下のことは確実に言える。
この冬も、酸ヶ湯という名の幻の巷に、全国のテレビ視聴者を仰天させるほどの大雪が降り続ける。


とりあえずこの冬最初の雪かき。


近くの中学校では、急遽、除雪機で雪片付け。


一面の白。街は真冬の様相。


雪が積もっても、無表情な愛犬。


雪道を登校する小学生。

2017/11/19

晩秋のドウダンツツジの紅葉に白い雪

雪をかぶったドウダンツツジの紅葉。


青森上空に強い寒気の流れ込みがあり。
そのせいで、今日も少し雪が降った。
気象庁発表の今日の降雪は18cm。
最深積雪値も18cm。

青森市内の初雪は、先一昨日の16日だった。
去年より十日遅いという。
今年は雪の降るのが早いなあと思っていたのだが、平年と比べても十日も遅いとか。

愛犬の散歩で公園を歩いたら、ドウダンツツジの紅葉に白い雪がのっかっていた。
白い雪がかぶさると、紅葉の赤が一層鮮やかに見える。
紅葉の始まりの頃は、ドウダンツツジの葉は褐色がかった色で、あまりきれいではない。

このまま枯れてしまうのではないかと思うくらい褐色が濃い葉もある。
それが、雪が降るくらいに冷え込むと、真紅に豹変して燃え上がる。
褐色の葉は、ドウダンツツジの紅葉がまだくすぶっている状態なのだ。

白と言えば、ドウダンツツジは春に、壺型の白く小さな花を無数に咲かせる。
まるでツツジっぽくない花だが、ドウダンツツジはツツジ科ドウダンツツジ属の植物。
八甲田山でよく見かけるウラジロヨウラク(ガクウラジロヨウラク)は白っぽい淡紅色の壺型の花を無数に咲かせる。

雰囲気が似ているので、ドウダンツツジはヨウラクツツジの仲間かなと思ったことがあったが、違うようだ。
ドウダンツツジは、ヨウラクツツジ属ではなくてドウダンツツジ属。

花は葉が出はじめてからすぐに咲くので、ドウダンツツジは、春に花の白でにぎわい、秋に雪の白で葉を落とす。
白で始まって白で終わるようなものである。

ドウダンツツジの紅葉が、この公園の最後の紅葉である。
ドウダンツツジは耐寒性に優れていると言われている。
なので雪が降るようになっても、なかなか葉を落とさないのか。

この赤い葉が散ると、公園の色彩は、だんだんとモノクロームに近づいていく。
古代中国の陰陽五行説では冬のことを「玄冬」というらしい。
「玄」は黒。
青森の都市公園のほとんどは、冬になると黒い木々に囲まれた侘しい空間になる。

ドウダンツツジの紅葉を眺めながら、ピックアップのタイヤをスタッドレスタイヤに交換した。
タイヤ交換中も、雪が舞っている。
雪片がボルトやホイールの裏につくと、ボルト締めが充分にできない。

そこで、OA機器清掃用のエアダスターで、付着した雪片を吹き飛ばしながらスタッドレスタイヤを装着。
無事終了した。
明日は大雪になるという予報。
ボリュームのあるドウダンツツジの紅葉は、今日で見納めか。


赤と白が際立つ。

紅白。

白い雪が赤く染まりそう。

2017/11/04

留主の間に荒れたる神の落葉哉

元禄二年八月二十一日に、松尾芭蕉は「おくのほそ道」の旅の最終地美濃大垣に着く。
同年九月六日、伊勢に向けて揖斐川から船出するところで「おくのほそ道」の旅を終えている。
その結びの句は、「蛤のふたみに別れ行く秋ぞ」。

芭蕉は、伊勢神宮の式年遷宮を奉拝し、そのあと伊賀上野の郷里と大津、膳所(ぜぜ)、京都を漂泊することになる。
この間、「幻住庵記」や「嵯峨日記」を書き、京都で「猿蓑」を監修し刊行している。

2017/11/03

津軽地方北西部新田開発の象徴、つがる市「銀杏ヶ丘公園」の大イチョウ

「銀杏ヶ丘公園」の門。


 つがる市にイチョウの巨樹があるというので寄ってみた。
その大イチョウは、「銀杏ヶ丘公園(いちょうがおかこうえん)」のなかに立っている。
「銀杏ヶ丘公園」の場所は、住宅地のなかにあり、ちょっとわかりにくい。

住所は、つがる市木造(きづくり)曙(あけぼの)。
国道101号線を五所川原から鰺ヶ沢に向かって走り、つがる市役所方面へ右折。
国道101号線上には、道路標識でつがる市役所方面への右折を示す交差点が2箇所ある。
「銀杏ヶ丘公園」へ行くには、そのうちの二つ目の交差点を右折したほうがわかりやすい。
右折して350mぐらい走ると五能線の踏切に出る。
踏切を越えて道なりに750mぐらい走ると右手に生垣に囲まれた公園が見えてくる。


イチョウの巨樹。


大イチョウは、公園の西側に立っている。
敷き詰めた黄色い落ち葉のせいで、根元一面が輝いている。
イチョウを囲っている木柵に固定された看板によると、このイチョウは昭和六十年四月現在、幹の周囲は7m、樹高は25mであるという。

青森県深浦町の「北金ヶ沢のイチョウ」の幹の周囲は22m、樹高は31m。
この「北金ケ沢のイチョウ」は、日本一の大イチョウであるとされている。
さらに、青森県十和田市にある「法量のイチョウ」は日本で四番目のイチョウの巨樹であるという。

その他、青森市に「宮田のイチョウ」あり、青森県黒石市に「袋のイチョウ」あり。
ともに樹齢を重ねたイチョウの巨樹である。
言うまでもなく青森県は全国に知られたヒバ王国。
だがこうしてみると、イチョウの巨樹が県内各地に点在しているイチョウ王国でもあると言えそうだ。

これらのイチョウに比べたら「銀杏ヶ丘公園」のイチョウは小さいし、まだ若い。
若くて小さいが、間近に見ると大きい。
その存在感に圧倒される。
歴史のなかで消えずに存在し続けているという内に秘めたエネルギー。
その存在感は、大イチョウの秘めたエネルギーから伝わってくるのかもしれない。

看板によると、この大イチョウは、「新田開発の大業完成近く津軽4代藩主信政公が木作御刈屋改築の工事を起こし、これが落成した貞享元年(西暦1684年)8月自ら鍬をもって庭前(北の方)に1株お手植えされたものであります。」とある。

貞享元年八月と言えば、松尾芭蕉「野ざらしを心に風のしむ身哉」と詠って「野ざらし紀行」の旅に出た頃。
芭蕉の「俳諧行脚」はこの年から始まったとされている。
以後、生涯を終えるまでの十年間に、芭蕉は合計四年九ヶ月を旅の空の下で暮らすことになる。

その頃、弘前藩四代目藩主津軽信政が植えたのが、この大イチョウである。
イチョウは現存して、津軽地方北西部の新田開発の歴史を今に伝えている。
「銀杏ヶ丘公園」は、藩政時代の「木作代官所」の跡地であり、その敷地には藩主が巡検の際に寝泊まりする「御仮屋」も建っていたという。
「木作」とは木造地区の江戸時代の呼び名。
「銀杏ヶ丘公園」は、まるで「史跡」のような公園である。

つがる市の旧木造地区には、1944年に国史跡に指定された「亀ヶ岡石器時代遺跡」がある。
現在から見れば謎の多い縄文時代の遺構が史跡としてクローズアップされている。
その一方で、現在の津軽地方田園地帯成立の歴史の、象徴のような「木作代官所跡地」が都市公園として市民の憩いの場となっている。

やがて時が過ぎて「銀杏ヶ丘公園」の大イチョウ「公孫樹」が千歳ぐらいになるとする。
そんな時に、藩政時代の新田開発や藩主が手植えしたイチョウの木が、遠い時代の謎の象徴のようになることがあるかもしれない。
縄文時代と古墳時代が何かによって分断されたように、津軽地方の新田開発の歴史が何かによって分断される。
それまでのコミュニティが消失する。
すべては、縄文時代の土器や土偶のように破壊されて、謎の存在となる。

「銀杏ヶ丘公園」の大イチョウを見ていたら、そんな空想が湧いてきた。
近未来サスペンス映画の見過ぎだろうか。
それとも、大イチョウの霊力のせいだろうか。

イチョウは、太古より生きながらえた樹木。
氷河期をも乗り越えたと言われている樹種。
縄文時代のはるか以前からこの地に存在していたかもしれないイチョウ。
現在、その子孫が都市公園の一角で市民に親しまれている。

古代から現在まで、消失したコミュニティの時代を貫いて生きている。
そういうイチョウ類の存在に、改めて感じ入った。


「公孫樹」の看板。

太い幹。

巨樹の裏側。

分かれて伸びている幹。なにやら、霊力を感じてしまう。

粒が大きい銀杏の実。