消炭に薪割る音か小野の奥

私が子どもの頃住んでいた津軽地方の田舎の家には囲炉裏があった。
灰を敷き詰めた四角形の囲炉裏。
その角に、「消し壺」とか「炭壺」とか呼ばれていた陶製の蓋付き小壺が置かれていた。

消炭


この小壺は、いわゆる「火消し壷」のことで、燃えている炭を消して保存しておく道具である。
まだ盛んに熾っている炭を火箸で摘んで「消し壺」の中へ入れ、蓋をする。
すると酸素が遮断されて、炭は完全に消火する。
この一旦消火して再利用可能な炭のことを「消炭(けしずみ)」と呼んでいた。
「消し壺」はとてもエコな道具であった。
また「消炭」は火つきがよいので、新しい炭を熾すための火種としても使われていた。

芭蕉庵入庵直後の「其二」の句


消炭(けしずみ)に薪割る音か小野の奥
松尾芭蕉

この句は前回の「草の戸に茶を木の葉かくあらし哉」の続き。
「芭蕉年譜大成(著:今榮藏)」によれば、「寒を侘ぶる茅舎の三句」の「其二」と前書きされた句が掲句である。
芭蕉が、延宝八年の冬に深川村の草庵(第一次芭蕉庵)に入居して作った句である。

小野と西行


「小野」は小さい野原の意。
また、炭の名産地である京都近辺の「小野」と掛けていると思われる。
「小野」は、以前に凡兆の句で話題にした「大原」の古名であるという。
「大原」は、古くより、薪炭を生産する炭窯里としても知られていた。
そこで生産される「小野炭」は良質で、当時の京都市内で好評だったという。

また「大原(小野の里)」には、芭蕉の敬愛する西行が一時期滞在していたという言い伝えがある。
 「都近き小野大原を思ひ出づる柴の煙のあはれなるかな」は、西行が「下野の国(栃木県)」を旅したとき、炭を焼く紫の煙を見て、同じように炭焼きの煙が立ち上っていた「小野の里(大原)」を懐かしく思い出して詠った歌である。
この他にも、西行には「小野」を題材にした歌が多い。

芭蕉が囲炉裏に炭を焚べようと、「消し壺」の蓋を開ける。
ちょうどそのとき、薪を割る音が草庵の近くの野原の奥から聞こえてくる。
芭蕉はその音に、京都の「小野」の里の薪を割る音を重ねた。
芭蕉が手にした「消炭」は、「小野炭」だったのかもしれない。

西行が「小野の里(大原)」で一時期暮らしていたように、自身は深川村で隠棲を始めた。
芭蕉は、薪を割る音を聞いて、隠棲生活に対する西行の思いを共有しようとしたのではないだろうか。

芭蕉庵から広がる芭蕉の想像力


「小野」にふたつのイメージを与え、「薪割る音」にもふたつのイメージを与えたのである。
ひょっとしたら「小野」は木を切る「斧」と同じ読みであるから、「小野」に三つのイメージを盛り込んだのかもしれない。

こうして芭蕉は、深川の芭蕉庵に居ながら、いろいろと想像力を広げていたと思われる。
まさに新たな出発の地として深川の芭蕉庵を位置づけていたのだろう。
「寒を侘ぶる茅舎の三句」のうちの「草の戸に茶を木の葉かくあらし哉」と「消炭に薪割る音か小野の奥」のふたつの句がそれを物語っているように私には感じられる。

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