雑談散歩

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櫓声波を打って腸氷る夜や涙

春は「新人」の季節。
「新人」とは、新社会人だったり新入学生だったり。
その中には、新しい土地で新しい生活を始める「新人」も少なくない。
新しい住居に引っ越してきて、初めての夜をむかえる気分は複雑である。
希望と不安、喜びと寂しさ。
華やいだ気持ちと侘しい気持ち。
いろいろな感情を胸に抱いて眠りに就かなければならない。

「新人」芭蕉

江戸の都心部から深川村に移り住んだ芭蕉も、年度始めの春ではないが、新しい生活を始める三十七歳の「新人」として、そんな気分だったのではあるまいか。

俳諧の新境地を開こうという新鮮な意志と、先行き不安な俳諧師としての生活。
三十七歳といえば、若い頃ほど向こう見ずな生活はできない年頃。
だが、芭蕉の「寒夜の辞」にあるような「枕によりては薄きふすまを愁ふ」ばかりであったとも思えない。
ちなみに「ふすま」とは漢字で「衾」と書き、今で言う掛け布団のようなものだったらしい。

芭蕉の二重音

櫓声(ろせい)波を打って腸(はらわた)氷る夜や涙
松尾芭蕉

この漢詩調の句は前回の「消炭に薪割る音か小野の奥」の続き。
「芭蕉年譜大成(著:今榮藏)」によれば、「寒を侘ぶる茅舎の三句」の「其三」と前書きされた句である。
芭蕉が、延宝八年の冬に深川村の草庵(第一次芭蕉庵)に入居直後の発句とされている。

「櫓声」とは舟の櫓を漕ぐ音のこと。
「船頭さん」という童謡の歌詞にある「ギッチラギッチラ」という音なのだろう。
舟を操作するために動かしている櫓が、川の波に触れてまた音を出す。
とすれば「櫓声波を打って」で芭蕉は二重の音を表現していることになる。
船頭の手元の音と川面の音。
読者はステレオ放送を聞くように、櫓舟の音を想像する。

芭蕉の覚悟

「深川三股のほとりに草庵を侘びて」と「寒夜の辞」にあるように、第一次芭蕉庵は川の辺にあった。
芭蕉は、移住当初から櫓舟の「ギッチラギッチラ」という音を聞いていたと思われる。
だが、掲句の「櫓声」は、夜に芭蕉が耳にした音では無いかもしれない。
芭蕉自身が、夜に舟を漕いで川をゆくという心境を現したものではないかと私は感じている。
深川村に移り住んだ芭蕉の、俳諧に対する冒険的な覚悟を「櫓声波を打って」という二重音で、立体的に強調したのではあるまいか。

芭蕉庵のあった場所は隅田川に小名木川が合流するあたり。
「深川三股のほとり」である。
ここは、河口に近い場所。
満潮になれば、このあたりまで海の潮が遡上する。
そうなれば、川の波の動きは複雑になり、「櫓声波を打って」という櫓舟の航行は危険極まりないものになる。

芭蕉は自身の生き方を、闇夜に荒波をゆく櫓舟に喩えたのだ。

劇的な調子付け

まさに「櫓声波を打って」の冒険に、腸(はらわた)を氷らせている自身を、芭蕉は劇の舞台に上げている。
その覚悟は、後の「野ざらしを心に風の」「旅人と我が名呼ばれん」に見られる劇的な宣言と共通のものだったに違いない。
「芭蕉庵」入庵以前にも「発句也松尾桃青宿の春」のような、劇的な調子付けの片鱗は現れていた。

その「劇的な調子付け」は、「芭蕉庵」以後に高まっていると私は感じている。
掲句においても、その感が強い。
芭蕉の発句を劇として読者に観せて、読む者に臨場感を抱かせる芭蕉のテクニックであると思う。
立体的な音響効果みたいに。

芭蕉の冒険の船出

闇のなかを漕ぎ出した芭蕉の舟。
掲句は、肝を冷やす冒険の旅が今始まったのだという芭蕉の宣言である。
芭蕉は、冒険の喜びに息を弾ませてむせび泣く。
「夜や涙」の涙は感涙であると私は思っている。

腸を氷らせたり感涙したり。
芭蕉庵で、初めての夜をむかえる「新人」の気分は複雑である。
希望と不安、喜びと寂しさ。

深川村の芭蕉庵で暮らし始めてから四年後、貞享元年八月に芭蕉は初回の「俳諧行脚」に出かける。
「貞享甲子秋八月、江上の破屋を出づるほど、風の声そぞろ寒げなり」と書いて旅立った「野晒紀行」の旅である。
「江上の破屋」とは、第二次芭蕉庵のこと。

だが芭蕉の旅は、芭蕉庵に移り住んだ夜に「櫓声波を打って腸氷る夜や涙」と詠ったときから始まっていたのではあるまいか。

「茅舎の三句」のまとめ

「草の戸や茶を木の葉かくあらし哉」で芭蕉は、掻き集めた木の葉を焚きながら、希望に燃え。
「消炭に薪割る音か小野の奥」でイメージを広げ、西行を思慕し。
「櫓声波を打って腸氷る夜や涙」で冒険の旅に出る。
これら「寒を侘ぶる茅舎の三句」は芭蕉の「此道」のスタート地点の句であると私は感じている。
深川村の芭蕉庵は、桃青を芭蕉たらしめた「茅舎」であったのだ。

※桃青は芭蕉を名乗る前の俳号。「芭蕉庵(最初の庵号は泊船堂)」に入った当初は、まだ桃青を名乗っていた。

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