夕べにも朝にもつかず瓜の花

若い頃は、実によく眠った。
朝でも昼でも夜でも。
ほんとうによく眠れたものだった。
眠りすぎて人生を棒に振った、と私に話した人がいた。

人生は野球ボールか、と私は思った。

そういう私もよく眠ったものだった。
休日の昼食後、眠気におそわれて、こんこんと眠る。
目が覚めたとき、あたりは薄明るい。

はたして今は、夕暮れなのか明け方なのか。
「夕べにも朝にもつかず」
寝ぼけ頭は、完全に時刻の感覚を失っていた。

夕べにも朝にもつかず瓜の花
松尾芭蕉

元禄三年の夏の句。
前書きに、「幻住庵にこもれるころ」とある。

元禄二年九月に、奥羽の旅(おくのほそ道)と北陸の旅を終えた芭蕉は、二十五ヶ月の長期に渡って上方地方にとどまる

そのうち大津の幻住庵では、三ヶ月半の閑居生活を送った。
掲句は、このときに詠んだものである。

江戸時代で「瓜」と言えば、マクワウリのことだったらしい。
マクワウリは、ウリ科の蔓性植物。
花の色は黄色で、キュウリの花によく似た合弁花である。
花冠は5裂している。

句のイメージは、その「瓜の花」が、夕方とも朝方とも言えない時間帯に咲いている。
「瓜の花」は、他の夏の花と違って、咲く時刻が決まっていないようだという芭蕉の感慨を詠ったような発句である。

幻住庵で芭蕉は、俳文「幻住庵記」の執筆に傾注していた。
文章の創作に、昼も夜も無い日もあったのではあるまいか。
案外、時間に不規則な執筆生活を、「瓜の花」が咲いている様に喩えたのかもしれない。

咲く時間帯が定まっていない「瓜の花」。
それに対応する夏の花が、この句の隠し味になっているように思われる。

「夕べにも」の句に隠れているのは白い夕顔の花。
夕顔は、「瓜(マクワウリ)」同様ウリ科の蔓性植物。
夏の夕方に咲いて翌朝には萎んでしまう。

「朝にも」の句に隠れているのは、色とりどりの朝顔の花。
朝顔は、ヒルガオ科サツマイモ属の蔓性植物。
夏の早朝に咲いて、昼前には萎んでしまう。

「瓜の花」は夕顔や朝顔に似て合弁花であり、茎も蔓性である。
これら3つは、花の形は似ているが、咲く時間帯が違う。

芭蕉は、夕顔や朝顔と違って、定めの無い咲き方をする「瓜の花」に、夏のいっときの気ままな自身の時間感覚を重ねたのではないだろうか。

芭蕉は、夏のけだるい眠りから覚めた。
草庵の中に、ぼんやりと薄明かりが射している。
庭に出ると、曇天で太陽は見えない。
軒下の夕顔も、垣根の朝顔も咲いていない。
「はて、夕なのか朝なのか・・・・」
垣根の手前に瓜畑があって、濃い緑の葉の陰に、幻のように黄色い星が見えた。
「夕べにも朝にもつかず瓜の花」


<このブログ内の関連記事>
◆見やすい! 松尾芭蕉年代順発句集へ

◆今まで書いた記事一覧(この文字をクリックすると展開します。)

もっと見る

スポンサードリンク