2020/04/26

「山は逃げない」か?

「山は逃げない」というお言葉。
山歩きを楽しんでいる方なら、一度は耳にしたことがある「文句」ではないだろうか。
気の利いた「文句」として使っている方も多いと思われる。

教訓なのか、諺なのか、故事なのか。

いずれにしても、「山が」に対して「逃げる」とか「逃げない」とか、ちょっと変な感じだと私は思っている。
なんて言うと、「言葉尻をとらえて言いがかりをつけている」と怒鳴られそうだが。

悪天をついて頂上を目指すクライマーもいる。
登山の障害となる雨や風や吹雪をものともせず、果敢に頂上アタックをする。
悪天の中を、まるで獲物を追いかけるように山に登るピークハンター。
そんな無茶をやる登山者の姿勢を戒めるために「山は逃げない」という言葉が生まれたように受け取れないこともない。

だが私は、こんな物語を思いついている。
深追いする若いマタギの行動を戒めるために、マタギの長老が言った言葉ではあるまいかという物語。
熊や鹿や兎は逃げるが、獣の棲み家である山は逃げない。
だから、「無理をするな」ということ。

対比である。
逃げる獣と動かない山を対比させた言い回し。

獲物を逃したからって深追いすることはない。
次回のために作戦を練って、上手くやればいいんだから。
ただがむしゃらに追いかければ、消耗するだけだ。
方角を失ったり、怪我をしたり。
そんな事態にもなりかねない。

無理をして消耗するよりも、楽をして獲物を捕らえる作戦が大事。
というマタギの長老の教訓ではあるまいか。
「山は逃げない」とは、そんな先人の知恵の言葉なのだと思う。
たぶん。

ところで、「新型コロナウイルス禍中」における、自粛すべき不要不急の外出の範疇に、登山も入っているとか。
それは、日本の山岳四団体(公益社団法人日本山岳・スポーツクライミング協会、日本勤労者山岳連盟、公益社団法人日本山岳会、公益社団法人日本山岳ガイド協会)が、2020年4月20日付で、新型コロナウィルスによる登山自粛に関する共同声明文を発表したことによる。

「新型コロナウイルス禍」に閉じ込められて息苦しさを感じたとき、山へ逃げ込んだらさっぱりした気分になる。
山歩きを趣味にしている多くの人は、きっとそう思っているに違いない。

こんな恐ろしいことは言いたくないが、人間が新型コロナウイルスに「狩られている」のが現状である。
こんな恐ろしい情況のなかで、私は新型コロナウイルスの手の届かない山に逃げたいと思う。
「新型コロナウイルス禍」が終息するまで、山に閉じこもって暮らしたいと思うことがある。

しかし、それは無理。
仕事もあるし「家庭」もあるし。

だから、仕事が休みの日はちょっとだけ山へ逃げる。
山へ逃げて残雪をスキーで滑って、英気を養う。
新型コロナウイルスに対して、強い抵抗力を発揮するために英気を養うのである。
新型コロナウイルスに狩られないために力を蓄えるのである。

マタギなら、ほとんど毎日のように山へ入るから、「山は逃げない」と言える。
ところが、週イチ山スキーヤーにとっては、山は逃げる。
残雪の雪解けが進む。
残雪の雪解けに伴って、雪山はどんどん逃げていく。

また、登山者が年老いていくに従って山は逃げる。
頂上が遠くなる。

山は逃げるから、健康で丈夫なうちに山を楽しもう。
趣味を全うして、人生に満足を得よう。

八甲田山は、酸ヶ湯温泉、ホテル城ヶ倉、八甲田山荘、八甲田ロープウェイなどが休業。
まだ雪が残っているが、スキー場も終了。
八甲田山ガイドクラブなどのスキーツアーガイドも、今季の営業を終了している。

きっと今度の連休は、地元スキーヤーだけの静かな山になっているはず。
「山は逃げない」と言って、活動を自粛する地元スキーヤーもいらっしゃるかもしれないが。

でも許される環境なら、活動しても良いのではと私は思っている。
八甲田山は、青森市の目の前にある。
自宅から八甲田山の登山道までは、マイカーで出かけるので「三密(密集、密閉、密接)」無し。
広い残雪の山の中は、「三密」とは無縁の世界。

そういう許される環境にありながら、なんでもかんでも「自粛」では、身も心も萎縮してしまう。
萎縮した人間こそ、人間を狩る新型コロナウイルスのいいカモである。

この連休に私は、静かな山でのんびりとスキー散歩するつもり。
新型コロナウイルスとは隔絶された世界で、よりいっそうの身体の活性化を図ろう。
身動きできない大都会(感染拡大地域)の春スキー愛好者には申し訳ないが・・・

というわけで、「山は逃げない」は、私にとって反語である。
「山は逃げない」か?
いや、山は逃げる!

2020/04/12

妖怪アマビエちゃんステッカーを作った

乗用車のリアウィンドウにアマビエステッカーを貼った。


この間描いた妖怪アマビエのイラストを修正してさらに可愛くし、それでステッカーを作った。

糊付き塩ビフィルムにラテックスプリンターでプリントし、ラミネート加工の後、プロッターにかけて輪郭カットしてアマビエちゃんステッカーのできあがり。
屋外用の上質マーキングフィルムにプリントして、UVカットのラミネートを施したので、耐候性は抜群である。

上の写真は、そのステッカーを自家用車のリアウィンドウに貼ったもの。
サイズが直径82ミリの円形で、大き過ぎず小さ過ぎず、ちょうどいい感じ。
下の写真のようにスキー板にも貼った。

ちなみに、凹凸の円形は、波立っている海を表している。
伝承によれば、妖怪アマビエは海中から出現するからである。

このステッカーは、お守りではないので、ご利益とかを期待するためのものではない。
いまや新型コロナウイルスを消滅させるためのマスコット的な存在となった妖怪アマビエを、可愛いキャラクターステッカーにして、元気を得ようというもの。

元気を得て免疫力を高め、その勢いで新型コロナウイルスに打ち克ってやろうという、いわば「元気グッズ」である。
したがって、普段から愛用している生活の道具や、趣味の道具にさり気なく貼るのが効果的かと思われる。

自身の日々の生活に対する愛着心が強ければ強いほど、疫病に立ち向かう強い力が生じてくるはず。
愛用の道具や趣味の道具は、その力を蓄える「入れ物」のようなもの。

危機的な状況を、穏やかに力強く過ごすために、妖怪アマビエは「シンボル」のひとつとなっている。
「シンボル」で日常をさり気なく飾り、生きる力を養おうというのが、このステッカーを作った目的のひとつ。

「疫病退散!」とか「ストップコロナウイルス!」とか、スローガンやキャッチコピーを加えると、どうも装飾性が落ちるような気がする。
「妖怪アマビエちゃん」のカワユサも、「叫び文句」でイマイチになる。

そこで今回は、文字無しで作ってみた。
妖怪アマビエちゃんの無言の存在感が、この危機的状況を沈静化してくれますように。


K2のテレマークスキー板のテールにもアマビエシール。

2020/04/10

神頼みよりも妖怪頼み、アマビエ様

疫病退散の妖怪アマビエのイラスト
妖怪アマビエのカワイ系。


新型コロナウイルス感染症が、全国的に拡大の一途をたどるなか、今ネットで話題になっているのが、上のイラストのような妖怪アマビエ。

上のイラストは、私がCorelDRAW2019で描いたアマビエの二作目。
これらのオリジナルは、イラスト素材集のページにアップしている。

一作目がキモコワ(気持ちが悪くて怖い)という評判だったので、二作目はちょっとカワユク描いてみた。
ネットに出没している妖怪アマビエは、どちらかというとカワユイものが多い。
ホントは怖くないと妖怪じゃないんだけど。

いつ終わるともしれない疫病に、コロナ疲れもひどくなりつつあるようで。
人々はコロナ禍を忘れるために、民話的な癒やしを求めているのでしょう。
癒やし効果で免疫力をアップさせ、コロナウイルスを一蹴しようという意気込みなのである。

神様仏様では通用しないコロナウイルス。
日本の民衆の心のなかに古より存在し続けてきた妖怪が、この時節に注目を浴びているのである。

そもそも妖怪は、その時代の人知では理解し難い「怪奇現象」を起こす「化物」や「怪物」のこと。
古代においては、人間に災いをもたらす存在であったのではなかったか。

古代のミニコミのなかで怖れられていた妖怪が、現代の発達したマスコミ世界では、人間の味方としてキャラクター化している。
神や仏をキャラクター化するのは畏れ多いから、人間と同じ地平に立っていると思わしき妖怪を人間の味方っぽくキャラ化しているのだろう。

神様の数える単位は「柱」だが、妖怪を数える単位はだいたいが「匹(ひき)」だそうで。
ちょっと見下している感が否めません。
せめて「体(たい)」で数えたらどうでしょう。
なんてことは、まあ置いといて。

ネットでは、アマビエに「様」をつけておすがりしている有様である。
窮したときの妖怪頼み。
どうかご利益がございますように。

ところで伝承では、アマビエは豊作や疫病の流行を予言する妖怪であるとのこと。
海中から現れて、それらのことを予言して立ち去っていく妖怪であるらしい。

「良い予言と悪い予言がある。先にどっちから聞くかね?」てな調子だろうか。
コロナウイルスのせいで、日本の経済が破綻しそうである。
豊作の予言はないのかね。

そういえば、中国の武漢市で未知のコロナウイルス感染症患者が見つかったとき、アマビエ様は、今の日本の状況を予言したのだろうか。
その頃は、誰もアマエビ様を見かけていない。

私の姿を描いた絵を、人々に早々に見せよ」というお言葉を聞いた方は、いらっしゃらなかったのではないかしらん。

ともあれ、日本の厚生労働省がアマビエのイラスト入り「ステッカー?」を作ったとのこと。
下の画像がそれである。
厚生労働省ではコレを「啓発アイコン」と読んでいるが、「啓発アイコン」て何?

私に言わせれば、「啓発」よりも「ご利益」でしょ。





アマビエのイラスト入りステッカー
厚生労働省ホームページより。

2020/04/08

さらば愛しき女よ

「オイ!なめるんじゃねーよ!」

すぐ耳のそばで怒鳴り声が聞こえた。
私は、身構える余裕もなく、声の出どころを目で追っていた。
しかし、私のすぐそばにも、あたりにも人影はなかった。

探偵を生業にしていると、この手の脅し文句を浴びる機会は多い。
そんな文句に慣れてはいるものの、耳のすぐそばで怒鳴られるとたじろいでしまう。

私は、小説に出てくる探偵のように、タフじゃないし、肝もすわってはいない。
臆病で、疑り深くて、慎重な調査員なのだ。
そのおかげで、今日までこの仕事を続けてこられた。

「おいキョロキョロしてんじゃねーよ」

「ねーよ」を長く伸ばす口癖に聞き覚えがあった。
あれは、誰だったろう。

私は唾を飲み込んだ。
三ヶ月ほど前から、右下顎の奥歯がグラグラ動いていた。
正確には、第二大臼歯。

その揺れの幅が、だんだん大きくなっている。
私が、動く奥歯を気にして、舌でいじるせいもあって、奥歯のグラグラはどんどん酷くなっていた。

唇をなめた舌が、また、その奥歯へ触れた。

「オイ!なめるんじゃねーよって言ってんだろう!」
やはり、怒鳴り声は耳のすぐ近くから聞こえる。
私は、姿の見えない男に向かって言った。

「いったいあんたは誰なんだ、どこにいるんだ」

「忘れたかい、スエだよ」
スエという呼び名と「ねーよ」という口癖がつながって、私の懐かしい記憶が蘇った。
スエは私の中学時代の同級生で、その地方一帯に悪名がとどろいた不良だった。
その乱暴さ、その残虐さにおいてピカイチの不良中の不良だったのである。

私は中学時代、スエによくいじめられた。
殴られたり蹴られたりしたのだったが、私に対するそんな暴行があるときを境にパッタリと止んだ。

それは北国の村にドカ雪が降った日だった。
スエは、雪の降り積もった田んぼで、私を殴ったり蹴ったりしたのだったが、その日はそれで収まらなかった。

倒れた私の体に馬乗りになって、私の首を締めはじめたのだった。
首を締めながら、グイグイと私の頭を雪の中へ押し込んだ。
このままだと、スエに殺されてしまうと思った。

私は、首に力を入れて、雪に埋まった頭を左右に激しく振った。
スエの手から逃れようと必死に抗ったのだ。

すると、スエの上体のバランスが崩れ、私の首を締めていた右手の親指が、私の口の端にずれてきた。
私は、その親指に思いっきり噛みついた。

「ギャーッ!」という悲鳴が、広い雪原に響いた。

スエは手をプラプラさせながら、ヨロヨロと立ち上がった。
スエの親指の根元から血があふれて、私の顔に滴り落ち、私の周囲の雪を赤く染めていた。


翌日の早朝、スエを従えた彼の母親が私の家に怒鳴り込んできた。
スエの母親は、村の人たちからトミエさんと呼ばれていた。

トミエさんは、村いちばんの美人だった。
その美貌は、全国レベルでも通用するものだと囁かれていたほどだった。
背が高くてスタイル抜群。
彼女のスラリと伸びた白い脚は、村の若者達の羨望の的だった。
子どもの頃の私は、何度その美しい脚を盗み見したことだろう。

トミエさんは、美しい顔を妖しくゆがめて、私の父に食ってかかった。
「うちのスエはおたくのガキのおかげで、指を失くすとこだったんだよ。七針も縫ってこのザマさ、どうしてくれんだよ!」

スエの腕をとって、それを父の目の前に差し出しながら、そう怒鳴った。
スエの腕は、手首から指の先まで白い包帯でグルグル巻かれていた。
包帯のいちばん膨らんだあたりに、うっすらと血が滲んでいた。

スエは黙って、彼の母親に腕をあずけたまま、じっと上の方を眺めていた。
気の弱い私の父は、スエの母親に相当額のお金を払ったらしい。
父は「おまえはワレを殺す気か」と涙声で私に嘆いた。
スエの父親のタカはヤクザ者であるという村の評判だった。

それから中学を卒業するまで、スエとは目立った接触はなかった。
私に対するスエの暴行は、ぱったりと止んだのだ。

トミエさんとは村の道路ですれ違ったりしたが、トミエさんは相変わらず美しかった。
私は、あの事件以来、トミエさんをより身近に感じていた。
私はトミエさんに憎まれながらも、なぜかトミエさんに認められたような気になっていた。

あれから何年たっただろう。
私は、またこうしてスエと出会う羽目になったのだ。
ところで、そのスエはどこにいるのか。

「キョロキョロすんじゃねーよ、ここだよここ。おめえの汚い口の中だよ」

「えっ!」
スエの声が耳のすぐそばで聞こえていたのはそういうことだったのか。
私は、グラグラ動いている奥歯を、舌でそっと押してみた。

「なめんなって言ってるだろう!」
スエの怒鳴り声が耳に響いた。
まちがいない。
私の第三大臼歯がスエの声の出どころだった。

でも何がどうしたことだろう。
「そんなこと知るかよ!」とスエが怒鳴った。

そうだろう。
こんな事態は、ただ乱暴なだけのスエに理解できるはずがない。
突然奥歯にのりうつられた私にだって理解できない。
私が中学生の頃、スエの親指を奥歯で噛み切ろうとしたことに関係があるのかもしれない。

それはそうと、のりうつったってことは、スエはもうこの世の者じゃないのか。
そう思ったとき、スエは「そうよ、オレは撃たれちまって、とっくの昔にオダブツさ」と静かに言った。

後で知ったことだが、スエは北海道でアウトローのような生活を送っていたが、札幌でもめごとを起こして東京へ逃げたということだった。
おそらく逃亡先がバレて、スエはそのスジの者に消されてしまったのだろう。

「こうしてオレが出てきたのは、探偵のおまえに頼み事があるからよ」
私が探偵業をやっていることは、裏社会で生きてきたスエにはお見通しだったようだ。

「へえ、探偵に頼み事って、あんた金があるのかい。こう見えても俺の調査料は高いぜ」
私は、奥歯を舌で弄びながら優位感を楽しんだ。
「おい、こらてめえ、なめてんじゃねーぞ!てめえが俺の母ちゃんに色目使ってたのは知ってんだからな!」
「何を言っているんだ、色目なんて。ガキの時分の話じゃないか」
私は、ドギマギしながらも平静を装った。

「いいか、頼みってのは、オレの母ちゃんと父ちゃんのことを調べてくれってことさ」
スエは中学三年生になってから、学校へ来ることが少なくなっていた。
中学を卒業することもなく家を出て北海道に渡ったのだった。
以来実家とは、まったく連絡をとっていなかった。
自分の母親と父親が、今どうやって暮らしているのか調べてほしいというのだ。

それっきりスエは黙ってしまった。
私が舌で奥歯をグラグラさせても、もう怒鳴ることもなかった。
スエも人の子だったのだ。
殺されて仏ゴコロがついたのだろう。
一人っ子だったスエは、年老いた親の身を案じているのだ。


私には、このところ仕事らしい仕事は入っていなかった。
かなり暇だった。
私の仕事を成り立たせている要因のひとつは、好奇心である。
スエに言われて、私は忘れていたトミエさんのことをなつかしく思い出した。
トミエさんに対する興味が、以前にも増して湧いてきたのも事実だった。

気晴らしに生まれ故郷へ帰ってみるか。
私は、千住の雑居ビルにある事務所を出て、駐車場に向かった。
飲食店街の埃っぽい駐車場の奥に、私の愛車であるオールズモビルスーパー88コンバーチブルクーペを置いてある。

私はいつも、この車の運転席でハードボイルドな気分を味わうのである。
首都高から川口ジャンクションを経て東北自動車道へ、オールズモビルスーパー88コンバーチブルクーペを走らせた。

生まれ故郷の村の通りを、私の愛車は一気に駆け抜けた。
三十年前と変わらない寂れた佇まい。

村の人の話だと、スエの両親は、私やスエが村を出てしばらくしてから、この村を離れていた。
この村のずっと北にある半島の突端で、トンネル工事が始まって、全国から工事関係者が小さな町に押し寄せたのである。

トミエさんは、これをチャンスと思ったのだろう。
夫のタカを説き伏せて、タカとともにトンネル工事の町でスナックを開いたのだった。

美人ママのいる店として、たちまちトミエさんのスナックは評判になった。
現場作業員や工事の監督や資材会社の営業マンでトミエさんの店は繁盛した。
タカも、金回りが良くなったので喜んでいたらしい。

しかし、そんな日々も長くは続かなかった。
トミエさんは、常連客の若い男と恋仲になったのだ。
その男は、大学の工学部を出た掘削機械のエンジニアだった。

スエが都会の雑踏に憧れたように、トミエさんは都会的なシャレた物言いに惹かれたのだ。
タカにはまったく感じられないインテリ風なムード。

タカもまたスエ同様、自分の衝動を抑えられない破滅的な男だった。
タカは、トミエさんとエンジニアの逢引の現場に乗り込んで刃物を振り回した。
トンネル景気に湧いている北端の町に起こった凄惨な事件。
血だらけの若者がアパートの階段を転がり落ちる。
トミエさんは寝間着のまま、二階の窓からツツジの植え込みに飛び降り、海の方へ逃げた。

初冬の黒い雪雲が、強風に飛ばされて、海峡の空を西から東に脱兎のごとく走っていく。
時おり射し込む陽の光が、黒い岩でゴツゴツした断崖に濃い影を作っていた。
岬に白い雪片が舞う頃の、この地方特有の暗い景色である。

荒れた海に突き出た丘。
その丘を襲う強風が、トミエさんの寝間着を剥ぎ取ろうとしている。
鈍色の世界で、白い肌をあらわにしたトミエさんに血だらけの出刃包丁を構えたタカが迫り寄る。

目撃者の話では、「トミエーッ」と叫んだタカがトミエさんに体当たりし、二人は断崖から姿を消したということだった。
一瞬の出来事だったという。

海流は、大蛇のように海峡の中をウネリながら、日本海から太平洋に向かって流れている。
ここから海へ飛び込んだ者の遺体は、上がったことがなかった。

こうしてスエの両親の物語は北端の地で果てたのである。
それが、私なりの調査の結果だった。
私には、その事件の中心にいたトミエさんの姿が目に見えるようだった。


私は、岬の断崖に立って、スエの反応を待った。
だがスエは、私達が東京を出たときから黙ったままだった。

私が舌で奥歯を強く揺り動かしても無言だった。
スエは両親の末路の地を見届けて成仏してしまったのだろうか。
「な、どうなんだ、スエよ」
私は、断崖のはるか下の岩を喰む白波を見下ろしながら、そうつぶやいた。

私が舌で軽く奥歯を押したとき、それはポロリと抜けて、私の口の中に横たわった。
口の中にポッカリと広がった空虚感。
抜け落ちた歯は、抜け落ちたことで存在感を顕にしていた。

歯槽の溶解がかなり進んでいたのだろう。
歯が抜け落ちたとき、痛みはなかった。

私は奥歯を口の中から吐き出して手のひらに乗せた。
しっかりした大きな第二大臼歯だった。
失うにはもったいないほどの頑丈できれいな歯だった。

私はその奥歯を海峡の海に放り投げた。
白い歯は小さくなって、すぐに見えなくなった。

「トミエさんよ、タカよ、スエよ、成仏してくれよ」
私は心の底から、そう祈った。

祈りながらしょんぼりと佇んでいたとき、昔読んだチャンドラーの小説の題名が、私の脳裏をよぎった。
「さらば愛しき女(ひと)よ」

「けっ、マーロウ気取りかよ」
空耳か風の音か、スエの声が聞こえたような気がした。


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