2021/05/09

「エイクマンの短篇集」を読んだら、以前読んだ石川桂郎の短編小説「少年」を思い出した

石川桂郎「少年」のページ

怪なこと

石川桂郎(いしかわ けいろう 1909~1975)は家業の理髪店を継いで理容師として働きながら俳人として活躍した人物であるらしい。
俳句を作る傍ら、小説も書いていた。
理髪店時代に書いた短編集「剃刀日記(かみそりにっき)」が有名だが、現代では一般にはあまり知られていない。

かくいう私も、おととしぐらいまでは知らない作家だった。
ちくま文庫に「名短篇ほりだしもの(北村薫・宮部みゆき 編)」というアンソロジーがあって、その中に石川桂郎の短編小説がいくつか収められている。
おととしの秋にそれを読んで、はじめて石川桂郎という面白い小説家を知ったのだった。

このあいだロバート・エイクマン短篇集を読み終えたとき、石川桂郎の「少年」という短編小説を読んだ記憶がふつふつと甦った。
私は、ロバート・エイクマンは日常に潜む「怪なこと」を、深い霧で覆うように幻想的に書き著す作家であると感じている。
そう感じたとき、石川桂郎もまた日常に潜む「怪なこと」を描いていたのではないだろうかと思い始めたのである。
「名短篇ほりだしもの」に収められているなかでは「少年」にそういう作風が顕著だと感じた。

「少年」は服毒自殺による一家心中の物語である。
小説の表題となっている少年は、この物語の陰の部分にしか登場しない。

なお、この物語は、「私」すなわち理容師である石川桂郎の体験談のように描かれているが、そうではないらしい。
「名短篇ほりだしもの」の「解説」には、すべて石川桂郎によるフィクションである旨が記されている。

謎その一


旧藩主邸の大広間で、養子縁組みの見合いの宴が行われた。
という書き出しで「少年」の物語が始まる。
この見合いの席に座っていた帝大卒のD氏(のちの柏氏)は、相手の娘が美しく家も裕福なので婿養子を承諾。
結婚式の晩に二人きりになったとき、はじめてD氏は花嫁が白痴であることを知る。

しかしD氏は、思うところがあってそのまま柏家にとどまる。
白痴であることを知らされていなかった故、この婚姻を無効にすることもできたろうに、D氏の思うところとは何なのか。
不気味と言えば不気味である。
それは、物語のなかでは明かされていない。

「私」と柏氏

結婚して三年経った時、白痴だった夫人が病死する。
柏氏は、夫人の妹を娶(めと)り、新夫人との間に三人の子どもができる。
姉と妹と末の弟(少年)である。

柏氏親子が尾張から上京することになり、友人(松田)の紹介で「私」と知り合うことになる。
知り合ってから以後が、「私」という「主人公」が語る「私」と柏氏親子との物語の始まりとなる。
「私」と柏氏は、銀座の料理屋を飲み歩く仲になる。
新橋、赤坂、柳橋の待合を二人で遊び歩いたりする。
いわゆる豪遊して散財するのだが、お金を払っていたのは柏氏だと推測できる。
定職にも就かず、のんべんだらりと、ただ遊び暮らしている柏氏のお供として「私」が選ばれたということだろう。
もっとも「私」は、そういう関係をしだいに疎ましく感じるようになる。

謎その二

柏氏親子が軽井沢旅行に出かけるため、「私」は柏邸の留守居を頼まれる。
「私」が使用する部屋以外の五部屋は、旅立つ寸前に大工によって鍵が作られ施錠されてあった。
「ひとを馬鹿にしてやがる。留守番を頼む俺が信用できなくて鍵なんか作りやがるなら、空家にして出ればいいんだ・・・・・」
「私」はそう思ったが、旅先の柏氏とは連絡がとれそうにない。
結局、理髪店の仕事を終えてから小一時間かけて、留守居のために柏氏邸に通い続ける。

何のために五部屋を堅く施錠して出かけたのか、この物語では明かされていない。
柏氏が手をつけていない柏家の資産が、まだ柏邸に残っていたのだろうか。
「柏家の財産を無一物にした時、あの男は自殺するつもりだった」という松田の推測通りなら、もう柏家に資産は残っていないはずである。
この五部屋に隠された秘密も謎のままである。

余談だが、ロバート・エイクマンの短編小説「学友」にも、主人公の友人であるサリーが自分の家のすべての扉に施錠していたというシーンがあった。
サリーも奇妙なものを隠していたようだったが、その正体はおぼろげにしか語られていない。

謎その三

やがて「私」は、柏氏親子が軽井沢の空き別荘で一家五人で心中したことを知る。
柏氏の遺体の傍に、「私」あての遺書があったのだが、柏氏の親戚の者がその遺書を見て貰わないですませる方法を取ることになる。
遺書に何が書かれていたのか、これも謎のままである。

謎その四

「私」は幾度か柏邸を訪れたが、柏氏の長男である七歳の少年を見かけたのは二回しかなかった。
そのとき、姉たちも母親も言合せたように、見られてはいけないものを隠す手つきで、狼狽てて少年を連れ去ったのだった。
それまでにも、帝国ホテルの食堂とか柏邸での「別れの宴」のときに、「私」が少年に会う機会はあったのだが、なぜか少年は姿を見せなかった。
この少年の存在も「私」とっては謎なのである。

今私の脳裏に柏夫妻も娘たちもない。泰山木も合歓の木もない、が、二度三度姉や婦人の袖の陰にかくされた少年の色白の面だちだけが、謎のように残っている。
という文章で、この小説は唐突に終わっている。

奇怪な出来事

短編小説「少年」は、謎が謎のまま結末を迎える物語である。
これが、ロバート・エイクマン短篇集を読み終えたとき、石川桂郎の「少年」を思い出した所以である。
エイクマンの小説も、謎を残して終わることが多いからだ。 

「私」は柏氏と知り合うことによって奇妙な体験をすることになる。
それは理容師としては平穏な日常に、目に見えない何かがもたらされたことのようにも感じられる。
謎のような少年の存在を「怪なこと」とすれば、代代尾張某藩の家老職をつとめてきた旧家の存在も「怪なこと」である。
この物語には、旧家の存在が陰のように見え隠れする。
物語の作者は、その陰を意識的に読者にチラ見させているのだ。
「旧藩主邸」とか「家老職」とか「柏家に伝わっている刀(国宝指定を受けている)」とかをさりげなく書き記すことで。

平穏な日常の視点からみれば、この心中事件は不幸な出来事である。
日常に潜む「怪なこと」の視点で見れば、帝大卒のD氏が白痴の娘を花嫁にしたまま、代代尾張某藩の家老職をつとめてきた柏家に居座ったこと。
その怪しげな動機が招いた奇怪な出来事なのかもしれない。
その奇怪な出来事が、理容師の平穏な日常の陰に隠れてしまって、目に見えるのは「わけのわからない謎」という結末を迎えたのだろう。

復讐劇?

物語の底には、「前途の希望にもえた帝大卒業の学士様が、偽られて白痴娘の婿になった」ことに対する復讐劇という流れも見える。
理容師の庶民的な視点からは、代代家老職にあった旧家にかけられた呪いではないかという見方(読み方)も大ありではないだろうか。
過去の怨念によって復讐されたのは旧家である柏家とその婿殿ということになる。
こういう読み方をすれば、石川桂郎の「少年」は怪奇小説的な一面を持っていると言えるだろう。
小説のなかで柏家の施錠された部屋の様子が、不気味に描写されていればなおさらなのだが。

エイクマンの「奥の部屋」も、主人公が「人形の家」の人形たちに復讐される物語であるが、童話的で和やかな一面がある。
それに比べると、「少年」の復讐劇は生々しくて恐怖的である。

ロバート・エイクマンが描く「わけのわからない謎」は、それを説明しようとすること自体が、物語にとって無意味なことのように思われる。

石川桂郎の「少年」は体験談風に描かれた物語である。
題材が「一家心中」という重い題材だけに、「わけのわからない謎」を解明しようとすれば、物語の面白みから遠ざかることになるかもしれないと言ったら不謹慎だろうか。

※上記文中赤字部分は石川桂郎著「少年」からの引用。