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浮橋「起きてみつ寝てみつ蚊帳の広さかな」

「国立国会図書館デジタルコレクション」より。

加賀千代女の作ではない

起きてみつ寝てみつ蚊帳の広さかな
浮橋

私は長い間、この句を加賀千代女の作と思い込んでいた。
ところが最近、たまたま訪れた齋藤百鬼氏(故人)のブログで、加賀千代女の作ではないことを知った。

齋藤百鬼氏も、「岡本松濱句文集」を読むまでは、このことを知らなかったという。

「岡本松濱句文集」によれば、以下の通りである。
加賀千代女の生誕よりも六~七年前も早く、この句は、元禄七年出版の俳諧集「其便(そのたより)」に、遊女・浮橋の句として明記されていたという。

俳諧集「其便」が出版された元禄七年は、松尾芭蕉の没年にあたる。

そこで「其便」を「国立国会図書館デジタルコレクション」のサイトで検索してみた。
すると、「日本俳書大系. 第2巻(芭蕉時代第2) (蕉門俳諧前集)」というページにたどり着いた。
このなかに俳諧集「其便」があった。

ちなみに、「日本俳書大系. 第2巻(芭蕉時代第2) (蕉門俳諧前集)」は大正時代の末から昭和の初めころの刊行であるらしい。

以下が「日本俳書大系. 第2巻(芭蕉時代第2) (蕉門俳諧前集)」にある「其便」のなかの、浮橋の句が掲載されているページの画像である。

俳諧集「其便」にある浮橋の句(国立国会図書館デジタルコレクションより)。

右端の「八橋」には「遊女」の肩書があるが、「浮橋」には「遊女」の肩書がない。
「仝」は前に同じという意味の同上記号である。

浮橋の句

このページには「遊女・八橋」の句が三句、「浮橋」の句が二句掲載されている。
「浮橋」の二句のなかの一句が掲出句である。
前書きに「物おもふ比(ころ)」とある。

(1)、「物おもふ比」とは、「物思いにふけっているとき」とか「思い悩んでいるとき」などの意味。
(2)、あるいは、「好きな男のことを思っているとき」という雰囲気かもしれない。

(1)の場合は、自身の身の上を思いながら、蚊帳の広さを見つめているという状況であろう。
目が覚めて蚊帳の内側に目を向ければ、眠ったときと同じ広さ(狭さ)で、私の人生も変わりようがないなあという嘆き。

(2)の場合は、起きた時も眠るときも好きな男がそばにいないので、狭い蚊帳の内なのにガランとして、心が虚ろになってしまうという嘆き。

いずれにしても、川柳的な面白味は感じられるが、芭蕉の俳諧にみられるイメージの広がりはない。

「浮橋」も加賀千代女も蕉門

掲出句が、どうして「浮橋」以後の時代に登場した加賀千代女の句として人口に膾炙したのだろう。
私には知る由もない。

加賀千代女といえば、「朝顔につるべ取られてもらい水」という句で有名な女流俳人である。
元禄十六年(1703年)生まれで、17歳(享保五年)のとき「蕉門十哲」のひとりとして知られる各務支考に弟子入りしたとWikipediaにある。

「朝顔につるべ取られてもらい水」にも、私は川柳的な面白味を感じている。
そして、「浮橋」の掲出句同様にイメージの広がりは感じられない。

「浮橋」は蕉門の俳諧集である「其便」に句が掲載されているので、蕉門の流れを汲む者と見てよいだろう。
加賀千代女も、各務支考の弟子であるから蕉門の流れを汲む者に違いない。

大輪靖宏氏は「なぜ芭蕉は至高の俳人なのか」で、芭蕉亡き後の蕉門の衰退を以下のように述べている。
芭蕉没後、蕉風と呼ばれる芭蕉一派はだんだん振るわなくなる。芭蕉の直接の弟子はなかなかすぐれた人材が多かったのだが、その末流になると芭蕉を表面的に真似るだけになる。芭蕉は晩年に「かるみ」ということを大切にしたのだが、この「かるみ」を表面だけ真似ると、平板とか平凡ということにつながる。
芭蕉の「かるみ」に対する私の理解については、「猿雖『荒れ荒れて末は海行く野分かな』への芭蕉の付句」で書いた。

「機知に富んだ作風」という共通点

「浮橋」も加賀千代女も、大輪靖宏氏いうところの芭蕉の「末流」にあたる。
「起きてみつ寝てみつ蚊帳の広さかな」も「朝顔につるべ取られてもらい水」も日常の発見を面白く描いてはいるが、「軽み」のなかに芭蕉が追求したダイナミックなイメージは見られない。

二人の女流俳人に共通している機知に富んだ作風が、いつのまにか二人を混同させてしまったのではとトーシロの私は感じている。


■参考文献
「なぜ芭蕉は至高の俳人なのか」 大輪靖宏著 祥伝社

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