月光の滝から急登して東岳山頂へ
「月光の滝」手前の看板。「ネギ類又は肉食された方は入山しないでください」と書かれてある。 |
東岳ハイキングに、「月光の滝コース」があることは以前から耳にしていた。
そのコースが段々と整備されてきたとネットで話題になっていたので、歩いてみることにした。
宮田からのコースは、登山口駐車場までの自動車道路が途中から酷いダートだった。
月光の滝登山口へは、一般道から入れて、駐車場も広い。
といっても、この駐車場は「月光の滝大神様」への参拝客のためのもの。
駐車車両は、私の一台だけだったが、じゃまにならないように端っこの方へ止めた。
この山は、青森市の東側に位置するから東岳(あずまだけ)と命名されたように思われる。
そうだとしたら、命名されたその昔、浅虫や平内や野辺地の住人は、この山を何と呼んだのだろう。
これらの地域からは西側に見える山なので、「東岳」とは呼びにくい。
そう思ってインターネットで色々調べた。
そうしたら、江戸時代の紀行作家である菅江真澄の「すみかの山」という著述に、宮田村の銀杏のことが書かれていて、東岳に該当する山を「吾妻山」と記しているという。【東洋文庫版 菅江真澄遊覧記3 寛政八年(一七九六年)四月二十日の日記より】
なるほど、「吾妻山」なら浅虫や平内や野辺地の住人達も納得することだろう、たぶん。
ところで、夏泊半島付近はアイヌ語に由来する地名が多いように思っている。
先住民が「あつま」とか「あづま」とか呼んでいた山に、和人が「吾妻」と漢字をあてた可能性は、大いにありそうだ。
などと空想。
それはそうと、今日の「月光の滝コース」はどうだったか。
大変楽しかった。
稜線までは急登だったが、道が良いので、快適に登りを楽しむことが出来た。
傾斜の緩い部分も適度にあって、急登の割には疲れなかった。
と感じていたのだが、大平山に向かう途中で、膝の調子が悪くなりそうだったので引き返した。
引き返したが、「青森のマチュピチュ」と呼ばれている東側の展望所も見たかったので、そっちへ向かった。
東岳山頂から、ゆるい傾斜を30分ほど下って、東の展望所に着いた。
ここからの滝沢山地の眺めがすばらしい。
過去に歩いた滝沢山地の尾根が思い出されて、眺めていて楽しかった。
本家のマチュピチュを有するインカ帝国は、スペインの征服によって滅びた。
「青森のマチュピチュ」を有する東岳は、「青森のマチュピチュ」が象徴する鉱山開発によって滅びるのではあるまいか。
「青森のマチュピチュ」は郷愁と哀愁の場であった。
山頂から大平山に向かったり東の展望所に向かったりは、けっこうなアップダウンだった。
累計高低差は、北八甲田の酸ヶ湯から大岳へ登るよりも大きかった。
東岳は、低い山だがハードなコースも選べる面白い山になっていた。
稜線までは急登だったが、道が良いので、快適に登りを楽しむことが出来た。
傾斜の緩い部分も適度にあって、急登の割には疲れなかった。
と感じていたのだが、大平山に向かう途中で、膝の調子が悪くなりそうだったので引き返した。
引き返したが、「青森のマチュピチュ」と呼ばれている東側の展望所も見たかったので、そっちへ向かった。
東岳山頂から、ゆるい傾斜を30分ほど下って、東の展望所に着いた。
ここからの滝沢山地の眺めがすばらしい。
過去に歩いた滝沢山地の尾根が思い出されて、眺めていて楽しかった。
本家のマチュピチュを有するインカ帝国は、スペインの征服によって滅びた。
「青森のマチュピチュ」を有する東岳は、「青森のマチュピチュ」が象徴する鉱山開発によって滅びるのではあるまいか。
「青森のマチュピチュ」は郷愁と哀愁の場であった。
山頂から大平山に向かったり東の展望所に向かったりは、けっこうなアップダウンだった。
累計高低差は、北八甲田の酸ヶ湯から大岳へ登るよりも大きかった。
東岳は、低い山だがハードなコースも選べる面白い山になっていた。
月光の滝。落差は約5m。 |
祠の後ろの尾根が登山道。 |
急登個所にはトラロープがあった。 |
傾斜の緩い個所は快適な尾根道。 |
登山者に愛されているブナの奇形樹。 |
東岳の稜線。 |
東岳山頂。標高683.9m。 |
「住吉」と呼ばれている展望所。どうして住吉なのかな? |
大平山への道。雰囲気の良い森のなかを歩く。 |
東岳山頂から東の展望所へ続く快適な尾根道。 |
「青森のマチュピチュ」と呼ばれている東の展望所。 |
今日の行程。 |