雑談散歩

    山スキーやハイキング、読書や江戸俳諧、山野草や散歩、その他雑多なことなど。

吉幾三のふたつの津軽海峡の歌

尻屋埼灯台の寒立馬 著作者くろふね CC 表示-継承 4.0 
Wikimedia Commons経由

当ブログ運営者の知る限りでは、吉幾三にはふたつの津軽海峡の歌がある。

それは、「海峡」と「北限海峡」のふたつ。

吉幾三の「海峡」は、石川さゆりの「津軽海峡・冬景色」と同様に、恋が成就しなかった女性の歌となっている。

そして、吉幾三の「海峡」と石川さゆりの「津軽海峡・冬景色」には共通点がいくつかある。

●津軽海峡が歌の舞台になっている。
●失恋した女性が北へ向かう歌である。
●心情の象徴としてカモメが登場する。
●連絡船に乗って津軽海峡を渡る。
●船上で泣いている。
●津軽海峡に面した津軽(青森)のご当地ソングではない。

「津軽海峡・冬景色」は、恋に見切りをつけて北海道に帰る女性の歌であると、以前記事に書いた。

それでは、吉幾三の「海峡」はどうであろうか。

昔から「北へ行こうと決めていた」女性が、恋に敗れて、津軽海峡を渡り、北海道に行く歌である。
そして、昔から北で死のうと決めていたように、北海道に永住して人生を全うしようとする。
北の地(北海道)にあこがれている女性が、北の地で幸せを見つけて暮らそうという決意の歌なのである。

そういう決意がありながらも、女性の心は微妙に揺れている。
もう一度やり直せるなら、このまま帰り船に乗るというように、未練たっぷりの心情が伺い知れる。

未練たっぷりながらも、もう遅いと諦めている。

そこが「津軽海峡・冬景色」とは違うところである。

「津軽海峡・冬景色」の女性には、未練が感じられない。
「さよならあなた 私は帰ります」と男に別れを告げている。

吉幾三は、恋を諦めて北海道に渡る女性の涙歌を情感たっぷりに歌い上げている。
「海峡」は津軽賛歌ではなく、「隠れ北海道賛歌」なのである。

一方「北限海峡」は、あきらかに下北半島のご当地ソングになっている。
ご当地ソングをめざして作った歌のように思える。
下北半島の観光目玉である「寒立馬(かんだちめ)」や「尻屋灯台(尻屋埼灯台)」を歌詞に盛り込み、「下北半島」と陽気に歌い上げている。

厳密にいえば、この歌は、尻屋崎のご当地ソングと言った方が合っている。

下北半島には、半島の西側の北端である大間崎と東側の北端である尻屋崎という、ふたつの大きな岬がある。
観光地としては、本州最北端の地である大間崎の方が、おみやげ店や食堂が並んでいて賑やかだ。
また、大間はマグロの一本釣りの町としても有名である。

それ比べて尻屋崎はマイナー。
マイナーな尻屋崎を盛り上げようという地元の依頼に、吉幾三が応じたのかもしれない。

ところで、どうして「北限海峡」なのだろう。
三番目の歌詞にある「尻屋崎とは北限海峡」とはどういう意味なのだろう。

日本列島の北限には宗谷海峡や根室海峡がある。
これらの海峡の方が、「北限海峡」の呼び名にふさわしいのではなかろうか。

宗谷海峡や根室海峡の向こうはロシアである。
事実上の国境線になっているので「国境海峡」とも言える。

もしかしたら吉幾三の脳裏には、下北半島の「北限のサル」があったのではなかろうか。
ニホンザル、ツキノワグマ、二ホンリス、ニホンカモシカの北限の境界線(ブラキストン線)が津軽海峡となっている。

きっと吉幾三は、ニホンザルやツキノワグマのことを思い浮かべながら、「尻屋崎とは北限海峡(の地)」と歌い上げているのだろう。

そんな尻屋崎の歌は、冬から夏への季節の移り変わりを寒立馬の目で追うというスタイルで作詞されている。

「海峡」が失恋した女性の歌なら、「北限海峡」は、風雪に耐えて生きる寒立馬を下北半島で生きる人々のメタファーとして描いた尻屋崎賛歌になっていると当ブログ運営者は感じている。

Next Post Previous Post

広告