み吉野の山の嵐の寒けくにはたや今夜も我ひとり寝む
宮滝遺跡。Wikipediaより転載(パブリックドメイン)。 |
帝のお供で吉野に来た。
官人たちは宮殿に入ったが、吾はずっと手前の藁屋根の小屋で、またしても警護の任につくことになった。
世の中が平定してきたから、警護と言っても形だけのもので、今回の番人は吾だけである。
夜になると吉野の山から吹き下ろす寒い風に身が冷え込んだ。
唸るような叫ぶような山おろし。
二合あてがわれた酒を急いで飲んで、布団にくるまった。
寒いのは山おろしだけではない。
この小屋の霊気が、吾を震えさせている。
風の合間に、宮殿から宴の曲がもれて聞こえる。
小屋のそばを流れる吉野川のさざ波の音も聞こえる。
それらに交じって、またもや、男たちのすすり泣きが聞こえだした。
先の戦乱で大海人皇子は、ここ吉野から挙兵した。
そのとき従った兵士のうち農夫の者たちは、この掘っ立て小屋に寝起きして出軍を待った。
地位のある侍や衛士は、宮殿の近くの檜皮葺の陣屋に待機していた。
この小屋から出軍し、戦場で討たれた兵士たちの霊が、この小屋に戻っている。
出陣を前にして、小屋の中で酒を酌み交わし、歌ったり踊ったりした懐かしい記憶を頼りに、この小屋にたどり着いた霊たち。
その霊たちが、毎晩、土間の隅ですすり泣いているのだ。
このことを、初めての警護のときに、年老いた同僚から聞いたのだった。
彼らが出現すれば、布団をかぶって知らんふりをするしかない。
怖がったり逃げ出したり、下手にかまったりしたら憑りつかれてしまう。
何も聞こえないし、何も見えない。
布団にこもっているのは、吉野の山の風が寒いからである。
布団の中で、ここにいるのは「我ひとりだ」と繰り返し念じて寝るのが無事なのだ。
み吉野の山の嵐の寒けくにはたや今夜も我ひとり寝むみよしのの やまのあらしの さむけくに はたやこよひも わがひとりねむ
作者不詳(万葉集・巻一・七十四)
大行天皇(さきのすめらのみこと・文武)が吉野に行幸したもうた時、従駕の人の作った歌。
文武天皇の作という説もあるが、斎藤茂吉著「万葉秀歌(上)」の解説に従って「作者不詳」とした。
文武天皇の作という説もあるが、斎藤茂吉著「万葉秀歌(上)」の解説に従って「作者不詳」とした。
■参考文献
斎藤茂吉著「万葉秀歌(上)」 岩波新書
この文章は歌の意味や解釈を記したものではありません。ブログ管理人が、この歌から感じた、極めて個人的なイメージを書いただけのものです。