2016/07/05

菊の香や庭には切れたる履の底

私が子どもの頃、津軽地方の農家では、藁で編んだ「靴」を、冬場に「つっかけ」として使っていた。
これは、雪の積もった家の外へ、ちょっと出るときなどに、手軽で便利な履物だった。
たとえば、外の小屋へ漬物を取りに行くときなど、わざわざゴム長靴を履くのが面倒なので、藁で編んだ「つっかけ」を履いて出たものだった。
この藁の「つっかけ」は、スリッパのように足の先だけが筒状の藁で覆われていた。
着脱が簡単で、しかも冬場でも温かい履物だった。

菊の香や庭には切れたる履(くつ)の底

元禄6年10月、芭蕉50歳のときの作。
これも晩年の作である。

芭蕉の友人の山口素堂が、一月遅れの「重陽の宴」を開いた。
その宴に招かれて、芭蕉が詠んだ句とされている。
なお山口素堂は「目には青葉山ほとゝぎす初がつほ」という有名な句を詠んだ人物。
漢詩の素養が非常に深い教養人であったと言われている。

芭蕉の「菊の香や」の句は、「軽み」の作風が濃い俳諧集「続猿蓑」におさめられている。
句の中にある「履(くつ)」は草履のことで、それをわざわざ「履」と詠んだのは、宴の主人である素堂が漢学に通じていたので、芭蕉が草履を唐風に「履」と表現したという説明をよく目にする。

だが私は、この句に接するたびに、「履」とは、昔の津軽地方で使っていたような「藁製つっかけ」ではなかろうかという思いにとらわれている。
「藁製つっかけ」のほうが草履よりも「履」に近い。
草履とかの藁製品の履物が庶民にとって一般的であった江戸時代に、つかいみちに応じて作り込まれた「藁製つっかけ」もあったに違いない。

ところで「履の底」とは、どの部分を指すのだろう。
靴には「底」と呼ばれている部分が2箇所ある。
足を入れる容器としての靴のボトム部分。
つまり足の裏が接する部分で、これは中底と呼ばれている。
これに対して、地面と接する部分は本底と呼ばれている。

掲句の「履」が草履であったか、「藁製つっかけ」であったか。
さらに、「履の底」が、中底であったか本底であったかによって、この句のイメージは異なってくる。

仮に素堂が、学問に秀でた割には整理整頓に無頓着な人であったとしても、客人が眺める庭に草履をひっくり返したままにしておくだろうか。
しかも「重陽の宴」であるから菊を観る庭に、擦り切れた草履を転がしておくとは考えにくい。

私の想像は、こうである。
近寄って庭の菊を観るお客のために、素堂は縁側の沓脱石の上に「藁製つっかけ」をそろえて用意したのではないか。
草履よりも「藁製つっかけ」を選んだのは、季節的に足元が温かいほうが良いと言う素堂の配慮だろう。
芭蕉が庭に出ようとして「つっかけ」に目を落とすと、中底の藁が擦り切れている。
使い古したものと見えて、底の藁の色も黒ずんでいる。

菊の香りが漂う閑静な庭に、芭蕉は素堂の「生活臭」を感じた。
そのとき芭蕉は、「菊の香り」と「生活臭」とを句に詠もうとしたのではないだろうか。

ひょっとしたら、「藁製つっかけ」は庭ではなく、庵の入口に置かれていたのかもしれない。
時期的に冬が近いので、素堂が物置から取り出して、入口の隅に備えておいたのだ。
その「つっかけ」を、庵を訪れた芭蕉が何気なく目にした。
芭蕉は、もう雪の季節になるなぁという感慨に、あらためておそわれる。
と同時に閃く。
この「藁製つっかけ」を「菊の香」との「取り合わせ」にしてみてはどうだろう、と。
そして、芭蕉は「藁製つっかけ」を菊の香る庭に「幻出」させたのだ。

いっそのこと、使い古して、底の藁が擦り切れた「つっかけ」の方が、通常の俳諧的抒情とは外れた趣がある。
その方が、ブルースっぽくていいや、と芭蕉が思ったかどうか・・・・。

「炉開きや左官老い行く鬢の霜」
芭蕉は晩年になって上記の句のように、身近な出来事や感情を、俳諧に盛り込もうとしていた向きがあると私は感じている。
「履の底」の句も、その例にもれない。
やがて菊の花が散れば、この「藁製つっかけ」が必要な雪の季節になる。
そういう生活の感情を、創作のモチベーションにしようとした。
そして、風雅な「菊の香」と、世俗な「履」とを、この句のなかで「調和」させようとしたのではあるまいか。

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