雑談散歩

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浮世の重み「我が雪と思へば軽し笠の上」

宝井其角の句で、作者の意図とは別に、人生訓や「ことわざ」や格言として親しまれているものに「あの声で蜥蜴(とかげ)食らうか時鳥(ほととぎす) 」がある。
この句が有名な「ことわざ」になったのは、リズミカルで平明な作風が江戸の庶民に愛されたせいなのだろう。

才気煥発でありながら、放蕩に明け暮れたと言われている宝井其角。
松尾芭蕉の代表的な門人として知られた其角。
その暮らしぶりが、「伝説」となり、其角の言葉(句)が「伝説の人」の名言のように巷間に伝わったから、其角の句は庶民のあいだで「ことわざ」としてもてはやされたのかもしれない。

我が雪と思へば軽し笠の上
宝井其角

掲句は、其角編集の俳文集である「雑談集(ぞうたんしゅう)」に収録されている。
「雑談集」は元禄5年の発刊。
この年に第三次芭蕉庵が完成し、芭蕉は、江戸を離れることになる元禄7年5月までの2年間をそこで過ごした。

芭蕉が大坂(大阪)で亡くなったのは元禄7年(1694年)10月、51歳だった。
関西を旅行中であった其角は、芭蕉の「いまわの際」に立ち会うことができた。
江戸の門人のなかでは、唯一、師の最期を看取ったとされている。
その其角は、宝永4年(1707年)に47歳の若さで病没。
永年の飲酒癖が祟ったと言われているが、定かではない。

掲句も「あの声で蜥蜴食らうか時鳥 」同様、人生訓として人口に膾炙している。
人生訓としての句は、「我が物と思えば軽し笠の雪」と「変形タイプ」になっている。
このほうが人生訓としてより分かりやすいからなのだろう。

この句も、口伝えで江戸の庶民の間に広く知れ渡ったと思われる。
人から人へ伝わるうちに、リズムが良くて覚えやすい句に変えられてしまったのかもしれない。
しかし、「我が雪と思へば軽し笠の上」と「我が物と思えば軽し笠の雪」ではイメージがだいぶ違う。

「我が物と思えば軽し笠の雪」は、ある種の人生訓やことわざに特有な、単眼的な主張になっている。
笠に重く積もった雪も、自分の物だと思えば重く感じることはない、という意味なのだが。
さらに飛躍して、苦しいことや辛いことは、それが自分のためになることだと思えば気にならないものだ、という内容に変化している。

当時の江戸っ子は、ためになる俳諧を探して、浮世の「教訓」を導き出そうとしていたのだろうか。
生活の役に立たなければ、俳諧の存在意義は無いと、多くの人々が思っていたのかもしれない。

本来の句である「我が雪と思へば軽し笠の上」はどうだろうか。
以前、服部嵐雪の「梅一輪いちりんほどの暖かさ」の記事で私は『俳諧師にとっては、厳冬の季節に対する畏怖の念はあっても、「冬が嫌い」などという言動は禁句なのではあるまいか。本音はともかくとして、四季に対しては悪感(あっかん)を抱かない。それが、日本の四季を愛する俳諧師の建前となっているのではないだろうか。』と書いた。

このことは、其角の「笠の上」の句にも言えると思う。
「我が雪と思」うことは、其角が俳諧師としての生き方を選んだ以上、ごく自然な考えである。
四季をはじめとして、俳諧の題材となるものは、すべて其角にとって創作意欲をかきたてるもの。
雪が重いから辛いという不平不満は有るはずがない。
しかし其角は、「雪が重いから辛い」という庶民の生活も知っている。

其角が書く「笠の上」とは、雪を降らせている上空のことだと私は感じている。
庶民の暮らしを圧迫する天候のことを「笠の上」と表現しているのではないだろうか。

江戸の庶民感情では、生活が制限されるから「雪は嫌だ!」ということになる。
だが其角にしてみれば、雪は俳諧のネタ。
「我が雪」なのである。
そう思えば「笠の上」のことは、其角にとってあまりしんどいことではない。
「軽し」なのだ。

では、何に比べて軽いのだろう。
それは、浮世(憂き世)の暮らしに比べたら、笠の上の雪など軽いものだと言っているように聞こえる。
江戸っ子に支持され、庶民とともに生きている其角にとっては、現実に起きている地平の出来事の方が重大である。
抑えきれない欲望や、人との争い事や、浮世のいざこざや・・・・・。

笠の上の雪などたいしたことではない。
笠の下の現実が重いのだと、詠っているように私には聞こえる。
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