2017/11/29

馬ぼくぼく我を絵に見る夏野哉

芭蕉は時々、自身の姿を離れた位置から眺め、その姿を句に表現している。
自身の姿を客観視しつつ、句に登場させるというスタイル。
たとえば、「冬の日や馬上に凍る影法師」という句。
自身が身を置いている光景を叙景句として詠み、それを進行している「劇」のように読者に見せる。
読者に想像させる。
そして読者は、その「劇」の登場人物としての芭蕉の「抒情」に触れて感動する。

以前記事にした「埋火や壁には客の影法師」は、もっと間近で自身と応対している芭蕉の句。
ときに荒野を舞台に、ときには庵を舞台に、芭蕉は自身の「劇」を読者に示してきたように私は感じている。
「秋深き隣は何をする人ぞ」の句においても、そんな印象を持ったのだった。

馬ぼくぼく我を絵に見る夏野哉
松尾芭蕉

天和三年、芭蕉四十歳のときの句。
この年の前年の暮、天和二年十二月二十八日、「江戸駒込大円寺を火元とする大火のため、芭蕉庵類焼す。その後当分の居所詳らかならず。」と「芭蕉年譜大成(著:今榮藏)」にある。
この「天和の大火」は、有名な「八百屋お七」が後に放火事件(ボヤ騒ぎ)を起こす動機につながる江戸の大火である。
芭蕉は川に飛び込んで、かろうじて助かったと伝えられている。

そんな大火の年が明けて天和三年の夏に、芭蕉は甲斐国谷村に逗留していた。
掲句は、そのときの作であるという。
「芭蕉年譜大成」によると、掲句は「種々改案され」て定まったものとのこと。
初案の句は「夏馬の遅行(ちこう)我を絵に見る心かな」というもの。
この初案の句は説明的であり、イメージの広がりが感じられない。
それに比べると掲句は、「夏野」の空間的な広がりが印象的である。

「ぼくぼく」とは。ゆっくりと歩く様子の擬態語。
現代で言うオノマトペ。
以前記事にした「ほろほろと山吹ちるか滝の音」とか「梅が香にのつと日の出る山路哉」とか「あかあかと日は難面くも秋の風」もオノマトペが用いられている句である。
これらの句のオノマトペには、時の流れが感じられて面白い。

馬がゆっくりと歩く時間の流れと、馬の歩みの背景となっている「夏野」の空間的な広がりがこの句の魅力である。
炎天下を行く馬とその馬に乗っている旅人。
ギラギラと輝く太陽を受け入れている夏の野と、暑さに喘いでいる人と馬。
その絵のような光景を眺めている芭蕉。
馬に乗って旅をしている自身を眺めているのである。
猛暑に喘いでいたとしても、のどかさが感じられる情景であると思う。

「我を絵に見る」とは、馬に乗って旅をしている今の自身の姿を、まるで絵を見るように、離れた位置から眺めているというイメージ。
さらに「我を絵に見る」には、将来の自身の姿をも絵に思い描いている。
そんなイメージも重なっているように思える。
いったい芭蕉は、どんな「我」を「絵」に見ていたのだろうか。

掲句を作った年の九月に、「多数の知友の喜捨を得て(芭蕉年譜大成)」深川の貸長屋の一戸に新芭蕉庵(第二次芭蕉庵)が成る。
芭蕉は、この年の冬から新芭蕉庵に入る。
明けて貞享元年八月、芭蕉は初回の俳諧行脚の旅に出る。
「野ざらしを心に風のしむ身哉」と詠って旅立った「野晒紀行(甲子吟行)」の旅である。
これ以後芭蕉は、没するまでの十年の間に、合計四年九ヶ月を旅に暮らすことになる。
旅人としての境涯をおくることになるのだ。
そんな未来の自身の姿を、芭蕉は見ていたのだろうか。

馬ぼくぼく我を絵に見る夏野哉

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