吉村昭の長編小説「間宮林蔵」を読んだ感想
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| 【吉村昭著「間宮林蔵」講談社文庫】 |
長谷川伸著「相馬大作と津軽頼母」での間宮林蔵
以前読んだ長谷川伸のノンフィクション小説「相馬大作と津軽頼母」にも、間宮林蔵が登場している。
その小説には、「間宮と下斗米大作とが別懇な仲である」と記されている。
「下斗米大作」とは「相馬大作(下斗米秀之進)」のことで、「別懇」とは「特に懇意である」との意。
「相馬大作と津軽頼母」によると、大館での襲撃(弘前藩主・津軽寧親襲撃未遂)に失敗した後、相馬大作は江戸へ逃れて、新居で平山流「講武実用」指南の道場を営んだとある。
その新居に、46(?)歳前後の間宮林蔵が足繫く通っていた。
間宮と大作は、帝政ロシアによる日本侵出を警戒して「北方警備」を堅固にすべきであるという情勢分析を共有し、「私設樺太防衛隊」を立ち上げる計画を練っていたという。
江戸幕府の役人である間宮林蔵は、相馬大作の津軽寧親襲撃未遂事件を、大作の口から聞いて知っていたと書かれている。
大作の動機には謎が多い。
津軽候襲撃は、津軽(弘前)藩と南部藩に、「北方警備」の強化を促すための大作のデモンストレーションであったという説もある。
林蔵は、大作の大義が「北門堅壁の事業」であると確信していた。
そのため間宮林蔵は、相馬大作の「北海渡航の実現」に奔走していたという。
長谷川伸は、年上の間宮林蔵を、相馬大作の理解者であり、蝦夷地を始め樺太など北方の情報を大作に教える「師」のような存在として描いている。
相馬大作を護ろうとしている間宮林蔵の姿が思い浮かぶような内容である。
これが、長谷川伸著「相馬大作と津軽頼母」での、間宮林蔵に関するおおよその記述である。
吉村昭著「間宮林蔵」での間宮林蔵
吉村昭の小説「間宮林蔵」にも、「相馬大作」についての短い記述がある。当時、幕府隠密として活動していた間宮林蔵は、幕府からの「密命」を受けて、相馬大作の潜伏先を探っていたと記されている。
その任務を成し遂げたのかどうか。
小説には「やがて、十月八日、秀之進は、かくれ家をつきとめられて召捕られ、後に小塚原で首をはねられた。」という記載があるだけである。
水戸藩との交流
吉村昭の作には、天保4年頃から、林蔵(54歳)は水戸藩主の徳川斉昭や藩士である藤田東湖と交流を持つようになったとある。水戸藩では、異国船の出没を憂いていた。
そのため、海防意識が強く、蝦夷地に対しての関心も大きかった。
徳川斉昭は、蝦夷地についての正確な知識を得るために、北方に精通していた間宮林蔵を呼び寄せたのだった。
そして、林蔵が持っている蝦夷地の多方面にわたる知識に満足し、林蔵を手厚くもてなしたという。
斉昭からの度重なる呼び出しに応じ、林蔵は斉昭から謝礼をもらい優遇されたと記されている。
このシーンに登場する藤田東湖(28歳)は、少年の頃、相馬大作事件を見聞し、後に大作のとった行動を称賛した「下斗米将真伝」を著している。
林蔵は、東湖との交流の中で、北方警備に意欲的だった相馬大作のことを東湖から聞かされていたことは、充分考えられる。
慎重な役人
だが、吉村昭は、小説でそのことに触れていない。吉村昭が描いている間宮林蔵は、大胆な探検家であると同時に、幕府の「お咎め」を受けないように慎重に行動する役人の一面を持っている人物でもある。
幕府の意向に忠実であろうとし、自身の上役の期待に応えようと懸命に働いている間宮林蔵が描かれている。
そういう小説の流れのなかでは、謀叛を働いた相馬大作との交流はあり得ない。
幕府が与えた隠密任務
幕府は、樺太探検で実証済みの行動能力と調査能力を利用して、命に危険のある内偵の任務を間宮林蔵に与えた。これは、学識と経験を備えた貴重な人材に対して、使い捨て同様の扱いをしたと言える。
実務に忠実な林蔵は、危険な隠密の仕事でも功績を残した。
浜田藩(現在の島根県)が行なっていた密輸を摘発した。
また暗殺されるのを覚悟の上で薩摩藩の密貿易に関する内偵などにあたっていた姿が描かれている。
林蔵は、旅の俳諧師や乞食に変装して、内偵活動を遂行していたとある。
水戸藩の重用
いっぽう、水戸藩主・徳川斉昭や、「水戸学」の代表的な学者であった藤田東湖は、「アイヌの生活、信仰、和人との関係、蝦夷地の気象状況、動植物、生産物、道路、航路、商業、農漁業、風俗」についての知識を得、林蔵を重用した。また林蔵が重い病(梅毒)に伏せったとき、徳川斉昭は「天下国家に役立つ有用な人材である」として、南蛮渡来の薬を藤田東湖に届けさせたという。
消費される才能
長谷川伸著「相馬大作と津軽頼母」では、間宮林蔵が相馬大作を「北方警備」に役立つ人材として導こうとした。吉村昭著「間宮林蔵」では、水戸藩主が間宮林蔵を、北方警備に役立つ人材として庇護した。
両者の間宮林蔵に共通するのは、「北方警備」という一貫したテーマだった。
吉村昭は、林蔵の活動を事細かく描き、林蔵の愚直な生涯を浮き彫りにした。
それによって、当時の江戸幕府の国内・国外に対して抱いた「憂慮」も浮き彫りにした。
北方情勢に国内で唯一精通していた貴重な学者でありながら、幕府はその「内憂外患」のために、間宮林蔵を「お庭番」として使いまわした。
長谷川伸が描いた間宮林蔵は、志を共有する者同士の連帯によって幕府を動かそうとする人物像である。
それに対して吉村昭が描いたのは、幕府という政治体制に組み込まれ、その有能さゆえに消費される「才能」の姿であった。
史実という同じ材料からでも、作家が何に焦点を当て、何を語るかによって、登場人物の生きた意味は姿を変え得る。
そこに、歴史を題材とした物語の、興味深さがあるのだろう。
