「何の木の花とはしらず匂哉」松尾芭蕉
この句を読んだとき、「なんじゃもんじゃの木」のことが頭に思い浮かんだ。
「なんじゃもんじゃ」とは、見慣れない立派な植物、怪木や珍木に対して地元の人々が付けた愛称だと、ウィキペディアにある。
明治神宮外苑にある「なんじゃもんじゃ」が有名。
これは、ヒトツバタゴというモクセイ科の樹木で、「なんじゃもんじゃ」はその別名であるとか。
何(なに)の木の花とはしらず匂哉
松尾芭蕉
この句を作ったとき、芭蕉の脳裏に「なんじゃもんじゃ」という木のことが、あったかなかったか。
この句について「なんじゃもんじゃ」という、呪文のような呼び名の木との関係性を示す解説は見あたらない。
「なんじゃもんじゃ」という言い方には「これは、何ものだろう」という問いかけが感じられる。
だが芭蕉は、「何の木の花」と問いかけているようではない。
その花の木の名前は知らなくても、花の香りに感動することはできる、というメッセージのように聞こえるのだ。
そのメッセージは、「私たちは、芭蕉の思想や、交友関係や、句が作られた背景を知らなくても、その句のイメージを感じ、楽しむことができる。」と言っているようにも受け取れる。
「何の木の花とはしらず匂哉」の句は、西行の「なにごとの おはしますかは 知らねども かたじけなさに 涙こぼるる」、という伊勢神宮参拝の時の歌を、芭蕉が踏まえて作ったと言われている。
芭蕉は、「野ざらし紀行」の旅でも伊勢神宮を訪れている。
このとき、仏門の僧と間違えられて、神前参拝を許されなかったという。
その昔、伊勢神宮を訪れた西行は、出家して僧侶になった身であるから、神前に入ることが出来なかった。
伊勢神宮は仏門に入った者を神前には通さなかった。
伊勢神宮の正式名称は、地名のつかない「神宮」。
「神宮」の主祭神は、内宮(ないくう)が、天照坐皇大御神 (あまてらしますすめおおみかみ)。
外宮(げくう)は、豊受大御神 (とようけのおおみかみ)。
「何の木の花とはしらず匂哉」の句の前書きとして、「伊勢山田」とあるから、芭蕉は「笈の小文」の旅のときは、伊勢山田に位置する外宮の「僧尼拝所」から参拝したことになる。
「僧尼拝所」とは、五十鈴川の外に設けられた、僧侶、総髪の医者のための参拝施設のこと。
伊勢神宮では、明治時代まで、僧侶の姿で神前に接近することは許されなかったという。
内宮にも、内宮用の「僧尼拝所」が用意されていたらしい。
このとき芭蕉が、内宮も参拝したかどうか、そのことを知らなくても、この句にイメージを抱くことはできる。
自分は仏門の僧であるから、神道や天照大御神のことはよく知らないが、ここで遙拝していると、ありがたい思いでいっぱいになって涙が出てくる、と西行は、その昔、歌に詠んだ。
それに対して芭蕉は「何の木の花とはしらず匂哉」という句を作った。
「その木は何という名の木なのか、どういう色や形の花を咲かせるのかを、私は知らない。その木がどこに植えられているのか検討もつかない。だが、それらのことを知らなくても、ありがたいことに、こうして良い香りを楽しむことが出来る。」というイメージが思い浮かぶ。
伊勢神宮を遙拝しながら、この句を作ることで、芭蕉は、西行と同じ感情に近づこうとしたのかも知れない。
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◆松尾芭蕉おもしろ読み:芭蕉俳諧についての記事のまとめページです。興味のある方はどうぞ。
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明治神宮外苑にある「なんじゃもんじゃ」が有名。
これは、ヒトツバタゴというモクセイ科の樹木で、「なんじゃもんじゃ」はその別名であるとか。
何(なに)の木の花とはしらず匂哉
松尾芭蕉
この句を作ったとき、芭蕉の脳裏に「なんじゃもんじゃ」という木のことが、あったかなかったか。
この句について「なんじゃもんじゃ」という、呪文のような呼び名の木との関係性を示す解説は見あたらない。
「なんじゃもんじゃ」という言い方には「これは、何ものだろう」という問いかけが感じられる。
だが芭蕉は、「何の木の花」と問いかけているようではない。
その花の木の名前は知らなくても、花の香りに感動することはできる、というメッセージのように聞こえるのだ。
そのメッセージは、「私たちは、芭蕉の思想や、交友関係や、句が作られた背景を知らなくても、その句のイメージを感じ、楽しむことができる。」と言っているようにも受け取れる。
「何の木の花とはしらず匂哉」の句は、西行の「なにごとの おはしますかは 知らねども かたじけなさに 涙こぼるる」、という伊勢神宮参拝の時の歌を、芭蕉が踏まえて作ったと言われている。
芭蕉は、「野ざらし紀行」の旅でも伊勢神宮を訪れている。
このとき、仏門の僧と間違えられて、神前参拝を許されなかったという。
その昔、伊勢神宮を訪れた西行は、出家して僧侶になった身であるから、神前に入ることが出来なかった。
伊勢神宮は仏門に入った者を神前には通さなかった。
伊勢神宮の正式名称は、地名のつかない「神宮」。
「神宮」の主祭神は、内宮(ないくう)が、天照坐皇大御神 (あまてらしますすめおおみかみ)。
外宮(げくう)は、豊受大御神 (とようけのおおみかみ)。
「何の木の花とはしらず匂哉」の句の前書きとして、「伊勢山田」とあるから、芭蕉は「笈の小文」の旅のときは、伊勢山田に位置する外宮の「僧尼拝所」から参拝したことになる。
「僧尼拝所」とは、五十鈴川の外に設けられた、僧侶、総髪の医者のための参拝施設のこと。
伊勢神宮では、明治時代まで、僧侶の姿で神前に接近することは許されなかったという。
内宮にも、内宮用の「僧尼拝所」が用意されていたらしい。
このとき芭蕉が、内宮も参拝したかどうか、そのことを知らなくても、この句にイメージを抱くことはできる。
自分は仏門の僧であるから、神道や天照大御神のことはよく知らないが、ここで遙拝していると、ありがたい思いでいっぱいになって涙が出てくる、と西行は、その昔、歌に詠んだ。
それに対して芭蕉は「何の木の花とはしらず匂哉」という句を作った。
「その木は何という名の木なのか、どういう色や形の花を咲かせるのかを、私は知らない。その木がどこに植えられているのか検討もつかない。だが、それらのことを知らなくても、ありがたいことに、こうして良い香りを楽しむことが出来る。」というイメージが思い浮かぶ。
伊勢神宮を遙拝しながら、この句を作ることで、芭蕉は、西行と同じ感情に近づこうとしたのかも知れない。
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