2017/03/31

句のリズム作り「たがために夜るも世話やくほととぎす」

共有しうる観念世界との対話

江戸時代の俳諧のイメージに、どっぷりとひたりたくなるときがたまにある。
趣向が違っても、こういう傾向は多くの人々にあるのではないだろうか。
人は、その人特有の想いの世界を持っている。
そして多くの人が、日々の暮らしのなかで自身の想いにひたって過ごすことは、ときとしてあるのだ。
好きな音楽を聞いたり、詩や小説や漫画を読んだり、映画や芝居を見たり。
そういう創作文化と触れ合うなかで、人はその人固有の想いと対話しているのだと思う。
自身と共有しうる観念世界との対話。
その対話が、感想という形で文章になる。
感想は、その人固有の観念世界の表れであるのかもしれない。

2017/03/28

凡兆の高みの見物「枝に居てなくや柞のほととぎす」

「柞(ははそ)」をインターネットで調べると、コナラやミズナラやクヌギの総称であると記されている。
また、マンサク科のイスノキの別名であるとも言われている。
古典的な和歌の世界では、「柞(ははそ)」の「は」の2音が同じことから、母(はは)の意にかけて用いられることがあるという。

枝に居てなくや柞(ははそ)のほととぎす
野沢凡兆

2017/03/24

凡兆の「京はみな山の中也時鳥」と芭蕉の「京にても京なつかしやほととぎす」

登芳久氏著の「野沢凡兆の生涯(芭蕉七部集を中心として)」に、凡兆の謎のような句が載っている。

京はみな山の中也(なり)時鳥(ほととぎす)
野沢凡兆

巷間では、ほとんど話題にのぼらない句である。
その理由は、あまりにも唐突で、解釈に困る句だからではないかと私は思っている。
登芳久氏もこの句については、なんの言及もされていない。
「野沢凡兆の発句」という項目に、「あかさたな」順に、資料として羅列されている句のひとつに過ぎない。

2017/03/22

はなちるや伽藍の樞おとし行

京都には、桜の名所となっているお寺が多いという。
お花見は、庶民の楽しみ。

仁和寺、東寺、清水寺、醍醐寺が、江戸時代においても名高い桜の名所だったらしい。
他に、善峯寺、天龍寺などもあげられている。
花の季節に凡兆は、そんな寺巡りを、奥様の羽紅と楽しんでいたのかもしれない。

はなちるや伽藍(がらん)の樞(くるる)おとし行(ゆく)
野沢凡兆

終日、花めぐりに興じていたら、もう夕刻になっていた。
最後のお寺に差し掛かると、お坊さんが山門の扉を閉めているのが見えた。

せっかくだからと門に近づいたら、扉が閉まって、戸の桟から敷居に「樞(くるる)」をおとしこむ音がコトンと鳴った。
はい、おしまい。
桜の花びらが夕暮の風にのって、境内の外へ舞い出ている。

いつのまにか日中の賑わいが消えて、静かな夜が来ようとしている。
僧侶が立ち去る静かな物音。
凡兆も羽紅も季節の移ろいを感じて、無言で落花を眺めている。
動かないふたりの影に花びらが舞い込む。

「伽藍(がらん)」とは、寺院の建物のこと。
「樞(くるる)」とは、戸締まりのため、戸の桟から敷居に差し込む木片や金物のこと。

「る」と「ゆ」の音がきれいな句である。
それがこの句に、美しいイメージを与えているように思う。
また、「る」と「ゆ」の音に、私は、回転するイメージを感じる
それに「く」の音が加われば、くるくると舞いまわるイメージだ。

桜の花びらがくるくると舞いながら散る。
お寺の山門やお堂や塔の扉が、くるくると回転するように閉じられる。

回転するイメージは、季節の移ろいにつながる。
扉が閉じられるイメージは、季節の終わりにつながる。
そんなふうに感じとることは、思い入れが過ぎるだろうか。

そして「おとし行」には、連続する動作のイメージがある。
夕暮になって、次々と閉じられていく寺院の扉。
「伽藍」の中へ消えていく僧侶たち。
日常の終わり。
ひょっとしたら、扉を閉めるのは寺男や小坊主の仕事かもしれないが。

「伽藍の樞」を落としながら去って行く者と散る花びら。
「伽藍の樞」も花びらも夕暮も人々も、天から地へと落ちていくように、夜の闇の底へ。

まるで映画のワンシーンのような句である。
もっとも、江戸時代には映画という概念は無い。
するとこれは、ワンシーンで完結する物語のような句であると言うべきか。
たぶん、ストーリーの時間を描いているのではなく。
奥行きの深さを描いている句なんだろう。

「樞」という、生活の「物」であり「道具」であるもの。
またしても凡兆は、「物」で美しい詩情を描こうとしているようだ。
その「物」を「おとし行」という何気ない動作が、句を読む者を物語へと導いていく。

はなちるや伽藍の樞おとし行


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2017/03/19

青森市滝沢地区、平沢林道「平沢の橋」経由で高地場山へ

【青天の平沢林道。】


今日は、先週とは別ルートで高地場山(標高459メートル)へ登った。

平沢林道を東方向に進む。
やがて、左手の平沢沿いに池のようなプールがあらわれる。
そのプールと、盛り土された丘の間の平地を進んで三面護岸の平沢に向かう。
ちょっと歩くと、コンクリート製の橋が目に入る。

ガードレールが両側についている立派な橋。
橋を渡って、対岸を沢沿いに上流に向かって進む。
すると、平沢に流れ込んでいる枝沢に突き当たった。

枝沢を渡って、急な尾根を登り、647峰へ登りたいところ。
だが、雪の消えかかった急峻な痩せ尾根は、あまりおススメではない。

そこで枝沢の手前でスキーを外して、杉林の急斜面をツボ足で登った。
4~5分登ったら、山腹を横切るゆるい登りの林道を発見。
この林道が杉林の管理道であるとしたら、さっきの橋から続いているはず。
とりあえずこの林道を辿って行けるところまで登ってみよう。
林道は、ちょっと沢へ下ってから、ゆるい登り道となっている。

杉林を抜けると、小規模なヒバの林。
その横を通って、さらに進むと、すり鉢状の小さな谷に出た。
カールのミニチュア版みたいな谷。
その愛らしい谷で林道は終わっている。

谷の小沢を横切って、ゆるい傾斜の尾根に上る。
歩いていて気分の良い尾根で、ブナの木も現れ出した。
尾根は徐々に急傾斜に。
登っていると、消えかかったスキー跡が目に入った。

「これは、ひょっとしたら・・・。」と思いながら登ると、尾根は平坦に。
見覚えのある地形。
「やっぱりこれは、先週オラが歩いた跡だった。」
オラが歩いたオラコース。
案の定、見覚えのある高地場山の山頂に到着。
あたりをうろうろ歩き回ったスキーの跡が、まだ残っていた。

ここで、今日は時間切れ。
帰って、雑務を片付けなくては。
それにしても良いコースを見つけた。
林道という「人口造作施設」を利用しなければならないのは癪にさわるが。
滝沢地区の山は急峻な斜面がほとんどなので、致し方ない。
このコースなら、先週よりも断然快適。
谷あり山ありで、地形に変化があって、登っていて面白い。

しかし、このコースもスキー滑降コースには適していない。
木が混み過ぎな急斜面。
林道も、思うように滑れないもんだ。

やはりスキーやスノーシュー、カンジキでのハイキング向きコースである。
積雪期ハイキングコースとして高地場山へ登るなら最適であると思った。
ただし、クマの足跡があったので、クマに出あう可能性は高い山である。
「クマに注意」などというありきたりな文句しか思い浮かばない。
クマがいるところには近づかない方がいい。

でも、行きたい山歩き。
このコースで647峰へ登ってみたい。
647峰から平沢へ下る周遊ルートも探してみたい。
そう思いながら、転びつつ、スキーで滑って下りたのであった。


折紙山へ続く尾根を振り返る。


山奥にガードレール付の立派な橋。その手前にクマの足跡。


杉林の急坂を登る。下を振り返る。


あ、林道めっけ。


林道がすり鉢状の谷へ続いている。


すり鉢から尾根に上がる。


この尾根が高地場山へと続いている。


高地場山山頂。


山頂の立木の向こうに葉抜橋山。


647峰。


平沢対岸の734峰(中央)


「平沢の橋」を渡った右手に、灌木に隠れた林道の始点があった。


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2017/03/13

芭蕉の松島の句「島々や千々に砕きて夏の海」

「おくのほそ道」に、松尾芭蕉の松島の句は載っていない。
一説によると、芭蕉は松島の風景を前にして、そのあまりの素晴らしさに言葉も無く、句も思い浮かばなかったと言われている。

今榮藏氏の「芭蕉年譜大成」には、芭蕉が松島を詠んだ句として「蕉翁全伝附録」にある句を載せている。

日付は、五月九日。
随行の「曾良」の日記によれば、この日の行程の概略は以下の通りである。
  1. 塩竈明神を参拝。
  2. 塩竈より出船。
  3. 千賀の浦、籬(まがき)島、都島を見物。
  4. 牛の刻、松島に着船。
  5. 瑞巌寺、北条時頼の無相禅窟、その他名所を巡覧。
  6. 松島の久之助方に宿泊。
この日のものとして下の句が「芭蕉年譜大成」に記されてある。
ただ、この句には前文があったらしいが、「芭蕉年譜大成」では省略されている。

島々や千々に砕きて夏の海
松尾芭蕉

前回、一茶の記事を書いたのだが、ちょっとお説教じみた一茶の句の「口直し」に、何か爽やかなものはないかと探していたら芭蕉の掲句に行き当たった。

なんだ芭蕉さん、松島の句を作っているじゃありませんか。
これは、あっさりとしていて私の好み。
何よりも表現が平易。
やさしくてわかりやすいことはいいことである。

しかも雄大なイメージ。
目の前に展開する島々。
その島の磯を噛んで砕ける白波。
遠くに広がる夏の太平洋。
同時に、荒波によって千々に砕けたような島々。

押し寄せる波を、迎え撃つように砕く磯の岩。
そして、荒波が磯の岩を砕き島を砕く。
そういうふたつのイメージを喚起しているような句である。

遙か昔から今現在までの時の移ろい。
その繰り返される波によって、このような造形ができたのではあるまいかという驚きも込められている。
空間と時間の広がりが感じられる雄大なイメージを、この句は持っていると思う。

「千々に」という句は、「数が多い」という意味では島々を表している。
「たくさん」という意味では、たくさんの時間ということで悠久の時を示していると思われる。
そして「千々に」が、変化に富んでいるさまという意味では、松島の風景全体を表している。
平易な句だが、バラエティーに富んだ句でもある。
そのバラエティーは、そのまま松島の景勝地の印象につながる。

淡々とした味わいと、凝縮されたイメージ。
僭越ながら、芭蕉の技巧の一端を垣間見るような句になっていると思う。

尚、随行の「曾良」の句「松島や鶴に身をかれほととぎす」が「おくのほそ道」に掲載されている。
「曾良」の句のあとに、芭蕉は「予は口を閉ぢて眠らんとしていねられず。」と続けている。
これが、「芭蕉は、松島の句が思い浮かばなかった」というように解釈されているようだ。

また、芭蕉は「そもそも、ことふりにたれど・・・」と書きはじめ、「・・・その気色窅然として、美人の顔を粧ふ。ちはやぶる神の昔、大山祇のなせるわざにや」と、松島の景色に対して称賛の辞をならべている。
そのあとに、「造化の天工、いづれの人か筆をふるひ、詞を尽くさむ。」と結んだ。
自身で松島に対する称賛の言葉を書いておきながら、この天の造形美をいったい誰が絵や詩で表現し得ようかとまとめている。

現在で言う「あまりに素晴らしくて、称賛の言葉もありません」という、地元の有力者に対する挨拶文のようなものなのだろうか。
そうしながらも、芭蕉はひそかに句を詠んでいる。

島々や千々に砕きて夏の海

<このブログ内の関連記事>
◆見やすい! 松尾芭蕉年代順発句集へ

2017/03/12

青森市滝沢地区の高地場山経由で681.3峰へスキーハイキング

県道123号線、青森市滝沢下川原付近より「みちのく有料道路」方向を眺める。写真中央奥の山が681.3峰。右側奥の小さな三角山が647峰。


好天に恵まれた本日は、以前とん挫した計画を実現すべく滝沢地区へ向かった。
とん挫した計画とは、青森市滝沢地区の高地場山を経由して681.3峰へ登ろうというもの

681.3峰は、青森市滝沢下川原付近の県道123号線を東方向に走ると正面に大きく見える山。
以前から気になっていた山だった。

それにしても、こんなに目立つ山が無名とは・・・・・。
無名と言っても、地図に山名が記載されていないだけなのかもしれない。
地元では、この山の呼び名があることだろう。
こんなに堂々とした山なのだから。


本日の行程図(赤色点線:登り、青色線:下り。行程線はブログ管理人の書き込み)。出典:国土地理院ホームページ。


8時30分に、みちのく有料道路料金所手前の駐車ポイント(路駐)を出発。
すぐ北側の急斜面を登る。
斜面を西方向へ斜登高して林の中へ。
林の中を急登して、小さな尾根に出る。
雪はモナカ雪。
深く潜らないので、ラッセル不要でいい感じだ。


登り口の斜面。駐車ポイントのすぐ側の斜面を、向かって左手に斜登高する。


細い木々が茂る雑木林の中を急登。


送電線の鉄塔へ向かう小尾根。


尾根は吹溜りで小さく波打っている。
この吹溜りで尾根の雪面が波打っているのが、滝沢地区の山の特徴。
つい最近降り続いた雪のおかげで、山の積雪深は充分。
八甲田山の酸ヶ湯温泉では、3月10日にこの冬最高の383センチの積雪深を記録している。
3月下旬頃の、春のザラメ雪になれば、この吹溜りの波も崩れて、もっと歩きやすくなることだろう。

9時10分、尾根伝いに緩い傾斜を進むと、鉄塔の広場に到着。
鉄塔の広場を越えて、やや急な斜面を登る。
標高380メートル付近で平坦な森。
その森から、緩い斜面を登る。
途中、下の写真のように、右手方向に展望の開ける場所があった。
734峰が大きく見える。
無雪期有雪期も出かけた山だから、愛着がある。
この角度から眺めれば、なかなかカッコいい。
その奥に、標高736.5メートルの大毛無山がこじんまりと控えている。


高地場山へ向かう尾根の途中で、大毛無山(左)と734峰(右)を眺める。


10時5分、高地場山山頂部の南端に到着。
高地場山山頂部は、南北に長い平坦な尾根。
その尾根上に小高い丘があって、そこが山頂になっている。
このあたりから、雪がモナカ雪から湿雪に変わった。
ラッセルの深さは足首ぐらい。
まだ、たいしたことはない。


高地場山山頂尾根の南端に到着。


高地場山の平坦な尾根。来た方向を振り返る。


高地場山山頂へ続く平坦な尾根。


高地場山山頂へ到着。樹間の奥に見えるピークは、734峰。


10時20分、高地場山山頂。
山頂は、平坦になった南北の尾根と、平坦な西尾根が交差している地点にある。
そのせいか、広場のようになっている。
ここを目的地にすれば、ゆっくりと昼食を楽しめるポイントだ。
ただ残念なことに樹木が混んでいて、展望はあまり得られない。
山頂に立っている木々の間から、周囲の山を覗き込むしかない。


高地場山山頂広場を後にする。


高地場山から北方向へ延びている尾根の途中で青森市街と陸奥湾が見えた。


しだいに尾根の東側の展望が開けてくる。


進むにしたがって尾根の東側の展望が得られるようになった。
平沢対岸の尾根を眺めながら歩みを進める。
このあたりから、スキーシールに雪が附着するようになった。
シールにワックスをかけてこなかったから、嵩高く附着している。
こうなると、楽なスライド歩行は無理で、脚を上げながらの登高になる。
スキー靴とスキーとシールに付着した雪。
推定6キログラム前後。
その重量を持ち上げながら登るのだから大腿部の筋肉にかかる負荷はちょっとしたもの。
街なかでは筋力トレーニングになるが、山では苦行。
苦行でも体力のあるうちは楽しい。


雰囲気の良い場所。気分は最高。尾根の平坦部で、林の奥に681.3峰の山影が見える。


11時10分、下の写真の広場が現れた。
681.3峰の前広場である。
なんと気分の良い原っぱ。
林の向こうの、647峰がカッコイイ。
広場の際の林は、細い木で混んでいる。
進むうちにブナの太い木が目立ちはじめ、ブナ純林のような様相。
木の間隔も比較的開けていて、この斜面は、今までの行程のなかで唯一のスキー滑降適地となっている。
本日のコース全体を通して、貴重なスキー滑降適地であった。


尾根の広場から、秀麗な姿の647峰が見える。またもや気分は最高。


標高500メートルあたりからブナの太い木が目立つようになった。木々の間隔も広くなり、本コース唯一のスキー滑降に適した斜面。


681.3峰の尾根から北側の平内の山並が見える。


シールへの雪の附着が最後までつきまといそうな雪質が続く。
11時50分、気分の良いブナ森の斜面をゆっくりと登って、681.3峰の東西に長い尾根の背に上がる。
ここもまた気分の良い尾根。
尾根好きにはたまらない尾根である。
そこから山頂までの短い急登が楽しい。
初見の風景に出会う楽しみに心が躍る。


681.3峰山頂への心地よい急斜面。


12時20分、苦行の末、681.3峰山頂到着。
スタートから4時間を要した登りだった。
吹溜りで波打つ尾根とシールに付着して剥がれない雪塊に苦労した。
だが、山頂で風景を眺めたい一心で老体に鞭打った、と書けば幾分大げさになるが。

晴れた雪山の、ルートファインディングの楽しさ。
変化に富んだ風景に出あう楽しさ。
急登あり、緩い尾根のゆるゆる歩きあり。
森あり原っぱあり、広い尾根あり痩せ尾根あり。
今の私にとって滝沢の山は、山歩きで得られる楽しみの宝庫となっている。


681.3峰山頂。シールに付着した雪塊が苦行を物語っている。


681.3峰の山頂部は、東西に細長い平坦な地形になっている。
南側に展望が開けていて「滝沢山地」の主要な山を一望することができる。
折紙山方面の向こうに、遠く北八甲田連峰も見える。
なんとすばらしい風景。
これを見るために、ここまでやってきた。

山頂尾根の北側は、木が立て込んでいて展望がきかない。
風除けの屏風があると思えば、これも一興。
50分ほど休憩して、のんびりと風景を楽しんだ。

いつまでもとどまっていたい山頂。
去りがたい山頂だったが、郷愁の頂を後にした。
帰りは湿雪スキーイング。
テレマークターンあり、開脚アルペンターンあり、キックターンあり、斜滑降あり・・・・。
ありとあらゆるスキーの方法で、安全に下ってきた次第。
高地場山山頂までの長い平坦な尾根では、帰りの歩きもあった。

振り返ってみると本日の行程は、スキー滑降を好む方には、まったく適さないコース。
八甲田のような大斜面滑降はない。
木が立て込んだ急斜面の、スキー滑降困難な場所を、どうにかこうにか滑って帰るというスキーハイキングコースである。
スノーシューハイキングには、向いていると思う。
でも、なんだかんだ苦労しても、帰りはスキーの方がスノーシューよりも断然速い。
13時頃山頂を出発して、駐車ポイントに帰り着いたのが14時前だった。


681.3峰山頂から平沢対岸の尾根を眺める。大毛無山や734峰が見える。この角度から眺めると秀峰734峰は尾根に溶け込んでいて目立たない。


734峰の無立木山頂(中央)をズーム撮影。


この方角からはピラミダスな山容。大毛無山をズーム撮影。


681.3峰山頂から折紙山方面を眺める。遠くに、うっすらと北八甲田連峰が見える。


折紙山(中央奥、白い斜面の上部)をズーム撮影。


折紙山方面の尾根の奥に北八甲田連峰の小岳(左側)と高田大岳(右側)が見える。


山頂の北西側は立木に覆われて展望がきかない。


南西方向をズーム撮影。遠くの横長の白い斜面は、モヤヒルズのスキー場。

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2017/03/07

津軽の春を告げる食材、帆立稚貝(ほたてちがい)

帆立稚貝のみそ汁。具は帆立だけ。
2月の初めから3月の終わりごろまで、青森地方に帆立稚貝(ほたてちがい)が出回る。
帆立稚貝のみそ汁は、津軽の春の味。
山菜のフキノトウに先駆けて味わうことができる早春の味覚である。
帆立稚貝は、「わかおい」のおにぎりと並んで、私の好きな津軽の食べ物のひとつ。

2017/03/06

一茶の観察眼「やれ打つな蠅が手をすり足をする」

小林一茶と言えば、松尾芭蕉や与謝蕪村と並んで江戸時代を代表する俳諧師とされている。

しかしこれは、江戸時代当時の評価ではなく、明治時代に正岡子規が一茶を広く世に知らしめたことによるという。

明治時代から遠く離れた現在、一茶の世に知られている印象は、芭蕉や蕪村のとはちょっと異なる。
世間に広まっている一茶の印象は、小さなものや弱いものに対して思いやりをもって接する心を俳句にしたというもの。

そういう人物像の方が、俳諧よりも前面に出ている。
俳諧そのものよりも、一茶の句から感じられる作者の「性格」の方が、世間の好評を得ているのだ。

そういう優しい心の持ち主の一茶だから、こういう優しい句を作れるのだという評判が、先行してしまっているように感じられる。
そこが、芭蕉や蕪村に対して抱かれる世間の印象とは、ちょっと異なるところ。

これは、自然描写を基調とした芭蕉や蕪村の作風と比較して、一茶の作風が、強い慈愛の感情を表に出している一面が目立つことによるのかもしれない。

「やせ蛙(がへる)まけるな一茶これにあり」とか「我ときて遊べや親のない雀」とかの人口に膾炙している句が、一茶の孤独だが心優しい人物像を象徴しているように評されている。

やれ打つな蠅(はえ)が手をすり足をする
小林一茶

掲句も同様。
蝿だって一生懸命に生きているのだからむやみに殺してはいけない。
そういう弱者に対する思いやりの気持ちが込められている句であるという感想が一般的だ。

手足を擦り合わせて、必死に命乞いをしている姿を強調して、「やれ打つな」と殺生をする者を戒めている。
私も以前は、そういう見方をしていた。

もちろん蠅が命乞いをしているわけではないし、一茶が蠅を擬人化して描いているわけでもない。
一茶の句を読んだ後世の人々が、そういう注釈を加えているに過ぎない。

私は、芭蕉の句を読み進める作業を続けるなかで、「独自の観点」で句を読むようになった。
その「独自の観点」で照らすと、一茶の掲句には、別な影が現れる。

私は以前、芭蕉の「よく見れば薺花咲く垣根かな」という句について書いた。
その記事で、私はこの句にふたつのイメージを感じたと書いている。
  1. 「周囲に有るモノをよく見て句を詠みなさい」という芭蕉の教え。
  2. ただ漫然と生い茂っているようなナズナの群生が、実は垣根を形成していたという意外な驚き。
(1)のイメージも(2)のイメージも、「よく見れば」という視点で貫かれている。
その視点は、一茶の「やれ打つな」にも貫かれているように思う。
見ることにおいては、ロングショットもクローズアップも思いのままの芭蕉だった。

それに比べて「やれ打つな」で使った一茶のカメラレンズはマクロっぽい。
一茶は、そのマクロレンズ的な観察力で様々な小動物・昆虫を見つめ句にしている。
芭蕉を「眺める詩人」と仮定すれば、一茶は「仔細に見つめる詩人」と言えるかもしれない。

蠅はたしかに不潔で汚らしい虫だが、叩いてしまえばもっと汚くなってそれでお終いである。
俳諧を志さない者ならそれでいいかもしれないが、俳諧師はそれではいけない。
目の前のものを観察する目を持たなければいけない。
こんな蠅だってよく見れば、手足を擦って興味深い動作をしている。
よく見れば、顔だってちょっと可愛い。

対象を「打つ」という一言で片づけてしまわないで、もっと好奇心を持って、いろんな角度から見てみろよ。
打たないと何が見えてくるのか、そこをもっとよく見ることが大切だ。
そういう一茶の声が聞こえそうな句であると感じている。

一般の人が気づかないところを注視する。
そういう冷徹な観察を行うのが俳諧師なのだという強いメッセージが感じられる。

「やせ蛙まけるな一茶これにあり」や「我ときて遊べや親のない雀」、そして「やれ打つな蠅が手をすり足をする」などに共通しているのは、憐みの情だけではないだろう。
この戯画的な光景を描いているのは、ほのぼのとした好人物の憐憫の情ではなく、冷徹な観察力なのではあるまいか。

ほのぼのとした表情で、今にも死にそうな「やせ蛙」をじっと見つめる一茶。
親からはぐれて弱った「雀」をじっと見つめる一茶。
叩き潰されることも知らずに、手足を擦り合せることに夢中になっている「蠅」を見つめる一茶。

こういう一茶の視線に、私は哀憐の情をあまり感じない。
むしろ、どういう風に描いてやろうかという一茶の貪欲な「創作熱」みたいなものを感じている。

例によって、これも私の空想に過ぎないのかもしれないが。

2017/03/05

プラタナスよりもコルク層が厚いシラカバの樹皮

プラタナスの輪切り。
このところの雪融けで、公園の地面に放置されている切り株や丸太の輪切りが姿を現した。
これらの切り株や輪切りは、この前の公園樹の伐採の際に生じたもの。
雪の中に潜っていたせいで、切り口がまだ新鮮である。

2017/03/02

残雪の公園で、サンシュユの総苞片が徐々に開き始めている

平和公園の池に氷が張って、その上の雪が積もっている。
毎年この時期になると、青森市の平和公園の、サンシュユのことを記事にしている
残雪のなかで、蕾をほころばせるサンシュユ。
白い残雪に、サンシュユの黄色い蕾がよく似合う。
そういえば、春一番に咲くマンサクの花も黄色だった。

サンシュユの総苞片(そうほうへん)から、黄色い蕾の頭がわずかに見える。
黄色い花は、まだある。
フクジュソウも黄色。
ちょっと遅れて咲く菜の花やタンポポも黄色。

早春に咲く花は黄色が多い。
花の少ない時期だから黄色い花は、よく目立つ。
残雪におおわれている早春の森の木々は、どちらかというと黒っぽい。
黒を背景にした黄色は、遠くからでも目につく。

まだ昆虫の少ない時期に、花粉を運ぶ昆虫を多数呼び寄せるために花の色を目立つ黄色にしているという説がある。
それが、黄色い花を早春に咲かせる植物の「繁殖戦略」だというのだ。
残雪の上を飛び回る昆虫といえば、アブやハエ。
そのアブやハエが好む色が黄色だという。
なるほどアブやハエは、黄色いものによくたかる。
たとえば、ウン〇。
おっと、失礼。

たくさんの蕾が、たくさんの総苞片に格納されている。
早春に咲く花の色に黄色が多いのはなぜか。
「植物学的」には、まだ解明されていないらしい。
前述の昆虫云々は、あくまでも一般的な推測にすぎない。
早春に咲く花の花期が長いのは、早春には受粉の媒介者である虫が少ないからだと言われている。
この説も、素人の私にはわからない。
単に、花期の長い樹種だけが生き残っているだけかもしれない。

ともあれ、サンシュユには早春に早く花を咲かせなければならない事情があるのだろう。
あるいは、気温が低い中でも花を咲かせることが出来るという能力でもあるのだろうか。
その両方が備わっているのか、サンシュユはせっせと花を咲かす。
秋には、赤い果実をたくさん作る。
そして渋赤く紅葉する。
たいした働き者だ。
素人の私にも、それはわかる。
この細い樹木を支えているのは、働き者の精神なのかもしれない。

いっぽう人間にとっては、残雪の中で花を咲かせてくれるサンシュユは喜ばしい存在。
暖かい春を待ち焦がれた人たちは、サンシュユの蕾を見て、一安心する。
開きかけた総苞片の中を覗き込む。

なんとすばらしい。
春を迎えた安堵感と蕾を愛でる気持ちが呼応する。

もしかしたらサンシュユもそんな気分かもしれない。
ようやく自身の花期を迎えた安堵感。
人々に見られて賞賛されるという植物的(?)な心地良さ。

花が咲くということは人間と自然との共鳴なのだと、あらためて思い知らされる。

ただ、公園の散歩者は、早春に花を咲かせなければならないサンシュユの植物学的な事情には、とんと疎い。
花の蕾を見て、心地良さにひたるばかり。
それもまた、人と植物の良い関係。

今年もにぎやかに咲いてくれることだろう。