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句のリズム作り「たがために夜るも世話やくほととぎす」

共有しうる観念世界との対話 江戸時代の俳諧のイメージに、どっぷりとひたりたくなるときがたまにある。
趣向が違っても、こういう傾向は多くの人々にあるのではないだろうか。
人は、その人特有の想いの世界を持っている。
そして多くの人が、日々の暮らしのなかで自身の想いにひたって過ごすことは、ときとしてあるのだ。
好きな音楽を聞いたり、詩や小説や漫画を読んだり、映画や芝居を見たり。
そういう創作文化と触れ合うなかで、人はその人固有の想いと対話しているのだと思う。
自身と共有しうる観念世界との対話。
その対話が、感想という形で文章になる。
感想は、その人固有の観念世界の表れであるのかもしれない。

凡兆の高みの見物「枝に居てなくや柞のほととぎす」

「柞(ははそ)」をインターネットで調べると、コナラやミズナラやクヌギの総称であると記されている。
また、マンサク科のイスノキの別名であるとも言われている。
古典的な和歌の世界では、「柞(ははそ)」の「は」の2音が同じことから、母(はは)の意にかけて用いられることがあるという。

枝に居てなくや柞(ははそ)のほととぎす
野沢凡兆

凡兆の「京はみな山の中也時鳥」と芭蕉の「京にても京なつかしやほととぎす」

登芳久氏著の「野沢凡兆の生涯(芭蕉七部集を中心として)」に、凡兆の謎のような句が載っている。

京はみな山の中也(なり)時鳥(ほととぎす)
野沢凡兆

巷間では、ほとんど話題にのぼらない句である。
その理由は、あまりにも唐突で、解釈に困る句だからではないかと私は思っている。
登芳久氏もこの句については、なんの言及もされていない。
「野沢凡兆の発句」という項目に、「あかさたな」順に、資料として羅列されている句のひとつに過ぎない。

はなちるや伽藍の樞おとし行

京都には、桜の名所となっているお寺が多いという。
お花見は、庶民の楽しみ。

仁和寺、東寺、清水寺、醍醐寺が、江戸時代においても名高い桜の名所だったらしい。
他に、善峯寺、天龍寺などもあげられている。
花の季節に凡兆は、そんな寺巡りを、奥様の羽紅と楽しんでいたのかもしれない。

はなちるや伽藍(がらん)の樞(くるる)おとし行(ゆく)
野沢凡兆

終日、花めぐりに興じていたら、もう夕刻になっていた。
最後のお寺に差し掛かると、お坊さんが山門の扉を閉めているのが見えた。

せっかくだからと門に近づいたら、扉が閉まって、戸の桟から敷居に「樞(くるる)」をおとしこむ音がコトンと鳴った。
はい、おしまい。
桜の花びらが夕暮の風にのって、境内の外へ舞い出ている。

いつのまにか日中の賑わいが消えて、静かな夜が来ようとしている。
僧侶が立ち去る静かな物音。
凡兆も羽紅も季節の移ろいを感じて、無言で落花を眺めている。
動かないふたりの影に花びらが舞い込む。

「伽藍(がらん)」とは、寺院の建物のこと。
「樞(くるる)」とは、戸締まりのため、戸の桟から敷居に差し込む木片や金物のこと。

「る」と「ゆ」の音がきれいな句である。
それがこの句に、美しいイメージを与えているように思う。
また、「る」と「ゆ」の音に、私は、回転するイメージを感じる
それに「く」の音が加われば、くるくると舞いまわるイメージだ。

桜の花びらがくるくると舞いながら散る。
お寺の山門やお堂や塔の扉が、くるくると回転するように閉じられる。

回転するイメージは、季節の移ろいにつながる。
扉が閉じられるイメージは、季節の終わりにつながる。
そんなふうに感じとることは、思い入れが過ぎるだろうか。

そして「おとし行」には、連続する動作のイメージがある。
夕暮になって、次々と閉じられていく寺院の扉。
「伽藍」の中へ消えていく僧侶たち。
日常の終わり。
ひょっとしたら、扉を閉めるのは寺男や小坊主の仕事かもしれないが。

「伽藍の樞」を落としながら去って行く者と散る花びら。
「伽藍の樞」も花びらも夕暮も人々も、天から地へと落ちていくように、夜の闇の底へ。

まるで映画のワンシーンのような句である。
もっとも、江戸時代には映画という概念は無い。
するとこれは、ワンシーンで完結する物語のような句であると言うべきか。
たぶん、ストーリーの時間を描いているの…

青森市滝沢地区、平沢林道「平沢の橋」経由で高地場山へ

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今日は、先週とは別ルートで高地場山(標高459メートル)へ登った。

平沢林道を東方向に進む。
やがて、左手の平沢沿いに池のようなプールがあらわれる。
そのプールと、盛り土された丘の間の平地を進んで三面護岸の平沢に向かう。
ちょっと歩くと、コンクリート製の橋が目に入る。

ガードレールが両側についている立派な橋。
橋を渡って、対岸を沢沿いに上流に向かって進む。
すると、平沢に流れ込んでいる枝沢に突き当たった。

枝沢を渡って、急な尾根を登り、647峰へ登りたいところ。
だが、雪の消えかかった急峻な痩せ尾根は、あまりおススメではない。

そこで枝沢の手前でスキーを外して、杉林の急斜面をツボ足で登った。
4~5分登ったら、山腹を横切るゆるい登りの林道を発見。
この林道が杉林の管理道であるとしたら、さっきの橋から続いているはず。
とりあえずこの林道を辿って行けるところまで登ってみよう。
林道は、ちょっと沢へ下ってから、ゆるい登り道となっている。

杉林を抜けると、小規模なヒバの林。
その横を通って、さらに進むと、すり鉢状の小さな谷に出た。
カールのミニチュア版みたいな谷。
その愛らしい谷で林道は終わっている。

谷の小沢を横切って、ゆるい傾斜の尾根に上る。
歩いていて気分の良い尾根で、ブナの木も現れ出した。
尾根は徐々に急傾斜に。
登っていると、消えかかったスキー跡が目に入った。

「これは、ひょっとしたら・・・。」と思いながら登ると、尾根は平坦に。
見覚えのある地形。
「やっぱりこれは、先週オラが歩いた跡だった。」
オラが歩いたオラコース。
案の定、見覚えのある高地場山の山頂に到着。
あたりをうろうろ歩き回ったスキーの跡が、まだ残っていた。

ここで、今日は時間切れ。
帰って、雑務を片付けなくては。
それにしても良いコースを見つけた。
林道という「人口造作施設」を利用しなければならないのは癪にさわるが。
滝沢地区の山は急峻な斜面がほとんどなので、致し方ない。
このコースなら、先週よりも断然快適。
谷あり山ありで、地形に変化があって、登っていて面白い。

しかし、このコースもスキー滑降コースには適していない。
木が混み過ぎな急斜面。
林道も、思うように滑れないもんだ。

やはりスキーやスノーシュー、カンジキでのハイキング向きコースである。
積雪期ハイキングコースとして高地場山へ登るなら最適…

芭蕉の松島の句「島々や千々に砕きて夏の海」

「おくのほそ道」に、松尾芭蕉の松島の句は載っていない。
一説によると、芭蕉は松島の風景を前にして、そのあまりの素晴らしさに言葉も無く、句も思い浮かばなかったと言われている。
今榮藏氏の「芭蕉年譜大成」には、芭蕉が松島を詠んだ句として「蕉翁全伝附録」にある句を載せている。
日付は、五月九日。 随行の「曾良」の日記によれば、この日の行程の概略は以下の通りである。 塩竈明神を参拝。塩竈より出船。千賀の浦、籬(まがき)島、都島を見物。牛の刻、松島に着船。瑞巌寺、北条時頼の無相禅窟、その他名所を巡覧。松島の久之助方に宿泊。 この日のものとして下の句が「芭蕉年譜大成」に記されてある。
ただ、この句には前文があったらしいが、「芭蕉年譜大成」では省略されている。
島々や千々に砕きて夏の海 松尾芭蕉

前回、一茶の記事を書いたのだが、ちょっとお説教じみた一茶の句の「口直し」に、何か爽やかなものはないかと探していたら芭蕉の掲句に行き当たった。

なんだ芭蕉さん、松島の句を作っているじゃありませんか。
これは、あっさりとしていて私の好み。
何よりも表現が平易。
やさしくてわかりやすいことはいいことである。

しかも雄大なイメージ。
目の前に展開する島々。
その島の磯を噛んで砕ける白波。
遠くに広がる夏の太平洋。
同時に、荒波によって千々に砕けたような島々。

押し寄せる波を、迎え撃つように砕く磯の岩。
そして、荒波が磯の岩を砕き島を砕く。
そういうふたつのイメージを喚起しているような句である。

遙か昔から今現在までの時の移ろい。
その繰り返される波によって、このような造形ができたのではあるまいかという驚きも込められている。
空間と時間の広がりが感じられる雄大なイメージを、この句は持っていると思う。

「千々に」という句は、「数が多い」という意味では島々を表している。
「たくさん」という意味では、たくさんの時間ということで悠久の時を示していると思われる。
そして「千々に」が、変化に富んでいるさまという意味では、松島の風景全体を表している。
平易な句だが、バラエティーに富んだ句でもある。
そのバラエティーは、そのまま松島の景勝地の印象につながる。

淡々とした味わいと、凝縮されたイメージ。
僭越ながら、芭蕉の技巧の一端を垣間見るような句になっていると思う。

尚、随行の「曾良」の句「松島や鶴に身をかれほとと…

青森市滝沢地区の高地場山経由で681.3峰へスキーハイキング

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好天に恵まれた本日は、以前とん挫した計画を実現すべく滝沢地区へ向かった。
とん挫した計画とは、青森市滝沢地区の高地場山を経由して681.3峰へ登ろうというもの

681.3峰は、青森市滝沢下川原付近の県道123号線を東方向に走ると正面に大きく見える山。
以前から気になっていた山だった。

それにしても、こんなに目立つ山が無名とは・・・・・。
無名と言っても、地図に山名が記載されていないだけなのかもしれない。
地元では、この山の呼び名があることだろう。
こんなに堂々とした山なのだから。




8時30分に、みちのく有料道路料金所手前の駐車ポイント(路駐)を出発。
すぐ北側の急斜面を登る。
斜面を西方向へ斜登高して林の中へ。 林の中を急登して、小さな尾根に出る。
雪はモナカ雪。
深く潜らないので、ラッセル不要でいい感じだ。








尾根は吹溜りで小さく波打っている。
この吹溜りで尾根の雪面が波打っているのが、滝沢地区の山の特徴。
つい最近降り続いた雪のおかげで、山の積雪深は充分。
八甲田山の酸ヶ湯温泉では、3月10日にこの冬最高の383センチの積雪深を記録している。
3月下旬頃の、春のザラメ雪になれば、この吹溜りの波も崩れて、もっと歩きやすくなることだろう。

9時10分、尾根伝いに緩い傾斜を進むと、鉄塔の広場に到着。
鉄塔の広場を越えて、やや急な斜面を登る。
標高380メートル付近で平坦な森。
その森から、緩い斜面を登る。
途中、下の写真のように、右手方向に展望の開ける場所があった。
734峰が大きく見える。
無雪期有雪期も出かけた山だから、愛着がある。
この角度から眺めれば、なかなかカッコいい。
その奥に、標高736.5メートルの大毛無山がこじんまりと控えている。




10時5分、高地場山山頂部の南端に到着。
高地場山山頂部は、南北に長い平坦な尾根。
その尾根上に小高い丘があって、そこが山頂になっている。
このあたりから、雪がモナカ雪から湿雪に変わった。
ラッセルの深さは足首ぐらい。
まだ、たいしたことはない。










10時20分、高地場山山頂。
山頂は、平坦になった南北の尾根と、平坦な西尾根が交差している地点にある。
そのせいか、広場のようになっている。
ここを目的地にすれば、ゆっくりと昼食を楽しめるポイントだ。
ただ残念なことに樹木が混んでいて、展望はあまり得られない。
山頂に立っている木々の間…

津軽の春を告げる食材、帆立稚貝(ほたてちがい)

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2月の初めから3月の終わりごろまで、青森地方に帆立稚貝(ほたてちがい)が出回る。
帆立稚貝のみそ汁は、津軽の春の味。
山菜のフキノトウに先駆けて味わうことができる早春の味覚である。
帆立稚貝は、「わかおい」のおにぎりと並んで、私の好きな津軽の食べ物のひとつ。

一茶の観察眼「やれ打つな蠅が手をすり足をする」

小林一茶と言えば、松尾芭蕉や与謝蕪村と並んで江戸時代を代表する俳諧師とされている。

しかしこれは、江戸時代当時の評価ではなく、明治時代に正岡子規が一茶を広く世に知らしめたことによるという。

明治時代から遠く離れた現在、一茶の世に知られている印象は、芭蕉や蕪村のとはちょっと異なる。
世間に広まっている一茶の印象は、小さなものや弱いものに対して思いやりをもって接する心を俳句にしたというもの。

そういう人物像の方が、俳諧よりも前面に出ている。
俳諧そのものよりも、一茶の句から感じられる作者の「性格」の方が、世間の好評を得ているのだ。

そういう優しい心の持ち主の一茶だから、こういう優しい句を作れるのだという評判が、先行してしまっているように感じられる。
そこが、芭蕉や蕪村に対して抱かれる世間の印象とは、ちょっと異なるところ。

これは、自然描写を基調とした芭蕉や蕪村の作風と比較して、一茶の作風が、強い慈愛の感情を表に出している一面が目立つことによるのかもしれない。

「やせ蛙(がへる)まけるな一茶これにあり」とか「我ときて遊べや親のない雀」とかの人口に膾炙している句が、一茶の孤独だが心優しい人物像を象徴しているように評されている。

やれ打つな蠅(はえ)が手をすり足をする
小林一茶

掲句も同様。
蝿だって一生懸命に生きているのだからむやみに殺してはいけない。
そういう弱者に対する思いやりの気持ちが込められている句であるという感想が一般的だ。

手足を擦り合わせて、必死に命乞いをしている姿を強調して、「やれ打つな」と殺生をする者を戒めている。
私も以前は、そういう見方をしていた。

もちろん蠅が命乞いをしているわけではないし、一茶が蠅を擬人化して描いているわけでもない。
一茶の句を読んだ後世の人々が、そういう注釈を加えているに過ぎない。

私は、芭蕉の句を読み進める作業を続けるなかで、「独自の観点」で句を読むようになった。
その「独自の観点」で照らすと、一茶の掲句には、別な影が現れる。

私は以前、芭蕉の「よく見れば薺花咲く垣根かな」という句について書いた。
その記事で、私はこの句にふたつのイメージを感じたと書いている。
「周囲に有るモノをよく見て句を詠みなさい」という芭蕉の教え。ただ漫然と生い茂っているようなナズナの群生が、実は垣根を形成していたという意外な驚き。 (1)のイメージも(2)…

プラタナスよりもコルク層が厚いシラカバの樹皮

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このところの雪融けで、公園の地面に放置されている切り株や丸太の輪切りが姿を現した。
これらの切り株や輪切りは、この前の公園樹の伐採の際に生じたもの。
雪の中に潜っていたせいで、切り口がまだ新鮮である。

残雪の公園で、サンシュユの総苞片が徐々に開き始めている

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毎年この時期になると、青森市の平和公園の、サンシュユのことを記事にしている
残雪のなかで、蕾をほころばせるサンシュユ。
白い残雪に、サンシュユの黄色い蕾がよく似合う。
そういえば、春一番に咲くマンサクの花も黄色だった。

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