蜻蛉や取りつきかねし草の上

蜻蛉(とんぼう)や取りつきかねし草の上
松尾芭蕉
元禄三年七月、大津の幻住庵在庵中の発句と「芭蕉年譜大成(今榮藏著)」にある。
この句を読むと、野沢凡兆の句「蜻蛉の藻に日を暮す流れかな」が思い浮かぶ。
凡兆の句は、動的である。
水の流れに揺らいでいる藻の動きを、じっと追っている「蜻蛉」の動きが感じられる。
なんとしても藻に卵を産みつけてやろうという「蜻蛉」の執念すら感じられる。
そうしなければ一日を終えることはできないのだという生活者の思いである。
これに対して芭蕉の「蜻蛉」は、風に揺れ動く草に取りつこうと、揺れる草の上でホバリングしている姿である。
そして、取りつきかねている。
草の上に取りつくことができない「蜻蛉」は、やがて草から離れて野を彷徨う。
芭蕉は、「蜻蛉や・・・」を作った年の三年前、貞享四年十月、「笈の小文」の旅に出ている。
その序文に「空定めなきけしき、身は風葉の行末なき心地して」と記した。
「空模様は雨になりそうな不安定な様子で、この身は、風に飛ぶ木の葉のように行く末が定まらない心地がして」と述べている。
この【「空定めなき」の「空」(天)】と【「行末なき心地」の「心地」(地)】との対比が、次に続く発句にそのまま受け継がれている。
「旅人と我が名呼ばれん初時雨」の【「時雨」(季節・天)】と【「旅人」(地)】との対比という形で受け継がれていると思われる。
私はこのブログで、「天」と「地」を対比させている句が、芭蕉には多いと書いてきた。
それは芭蕉独自のテンプレートに沿って書かれたものではないかとも憶測したりした。
そういう視点で「蜻蛉や取りつきかねし草の上」を読むと「草の上」が「天」であり「草」が「地」となる。
しかし、「草の上」が「天」では、無理がある。
「草の上」が「天」では、距離がありすぎる。
「空」でもまだ遠い。
では「草の上」とは何か?
ひょっとしたら「草の上」とは「虚空」のことではないだろうか。
そう思ったとき、芭蕉が詠ってしまったのは、「蜻蛉」でもない「草」でもない、句の言葉に無い「虚空」なのでは、と思い至った。
芭蕉は、「蜻蛉」が「草の上」に止まったら、何か風雅な句でも詠んでやろうと待ち構えていたのではあるまいか。
だが、取りつきかねた風雅が飛び去った後の、「草の上」の空虚感にうたれる。
風雅が消えた「虚空」。
風雅が去った「草の上」は…
松尾芭蕉
元禄三年七月、大津の幻住庵在庵中の発句と「芭蕉年譜大成(今榮藏著)」にある。
この句を読むと、野沢凡兆の句「蜻蛉の藻に日を暮す流れかな」が思い浮かぶ。
凡兆の句は、動的である。
水の流れに揺らいでいる藻の動きを、じっと追っている「蜻蛉」の動きが感じられる。
なんとしても藻に卵を産みつけてやろうという「蜻蛉」の執念すら感じられる。
そうしなければ一日を終えることはできないのだという生活者の思いである。
これに対して芭蕉の「蜻蛉」は、風に揺れ動く草に取りつこうと、揺れる草の上でホバリングしている姿である。
そして、取りつきかねている。
草の上に取りつくことができない「蜻蛉」は、やがて草から離れて野を彷徨う。
芭蕉は、「蜻蛉や・・・」を作った年の三年前、貞享四年十月、「笈の小文」の旅に出ている。
その序文に「空定めなきけしき、身は風葉の行末なき心地して」と記した。
「空模様は雨になりそうな不安定な様子で、この身は、風に飛ぶ木の葉のように行く末が定まらない心地がして」と述べている。
この【「空定めなき」の「空」(天)】と【「行末なき心地」の「心地」(地)】との対比が、次に続く発句にそのまま受け継がれている。
「旅人と我が名呼ばれん初時雨」の【「時雨」(季節・天)】と【「旅人」(地)】との対比という形で受け継がれていると思われる。
私はこのブログで、「天」と「地」を対比させている句が、芭蕉には多いと書いてきた。
それは芭蕉独自のテンプレートに沿って書かれたものではないかとも憶測したりした。
そういう視点で「蜻蛉や取りつきかねし草の上」を読むと「草の上」が「天」であり「草」が「地」となる。
しかし、「草の上」が「天」では、無理がある。
「草の上」が「天」では、距離がありすぎる。
「空」でもまだ遠い。
では「草の上」とは何か?
ひょっとしたら「草の上」とは「虚空」のことではないだろうか。
そう思ったとき、芭蕉が詠ってしまったのは、「蜻蛉」でもない「草」でもない、句の言葉に無い「虚空」なのでは、と思い至った。
芭蕉は、「蜻蛉」が「草の上」に止まったら、何か風雅な句でも詠んでやろうと待ち構えていたのではあるまいか。
だが、取りつきかねた風雅が飛び去った後の、「草の上」の空虚感にうたれる。
風雅が消えた「虚空」。
風雅が去った「草の上」は…