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2016/10/30

凡兆の予感?「日の暑さ盥の底の蠛かな」

「虫」ヘンに、軽蔑の「蔑」のツクリで蠛。
この漢字を、ウンカと読む。
蔑は、「蔑ろ(ないがしろ)」という使い方もする。
「蔑ろ」とは、無視したり軽視したりすること。

日の暑さ盥(たらい)の底の蠛(ウンカ)かな
野沢凡兆

「暑き日を海に入れたり最上川」と、夏の暑い一日を雄大な句にした芭蕉。
凡兆は、「日の暑さ」を日常の「盥の底」に入れてしまった。

ウンカは夏に飛び交う昆虫。
蝉を小さくしたような形の虫で、体長は4ミリ~6ミリぐらい。
写真を見れば、「ああ、この虫か。」と頷く方は大勢いらっしゃるはず。
大量に発生して稲の害虫となることもあると言われている。
そのウンカが「盥の底」に何匹も見える。
「盥の底」を這いまわっている。
凡兆は、これを軽んじることなく俳諧に取り上げた。
暮らしの底を這いまわっている夏の暑さである。
虫には、なにか忌まわしいイメージがつきまとう。

「漂泊の詩人」である芭蕉は、自然を題材にして俳諧を作ることが多かった。
「都市の詩人」である凡兆は、「物」を描くことで何かを表現しようとした。
「市中は物のにほひや夏の月」の「物」。
「時雨るるや黒木つむ屋の窓明り」の「黒木」。
「灰汁桶の雫やみけりきりぎりす」の「灰汁桶」。
「物の音ひとりたふるる案山子かな」の「物」と「案山子」。
「剃刀や一夜に金情て五月雨」の「剃刀」。
そして掲句の「盥」。
全て日常生活の中にある「物」。
暮らしの道具などである。
凡兆には、それらの「物」が発している声が聞こえてでもいるかのようである。
「盥」には暮らしのイメージが濃厚に漂っている。
その「盥」が、「暑苦しいよ。」と小声で訴えている。
底に貼りついたウンカをキモイとこぼしている。
暮らしの観念が、具象化された形象としての「盥」。

農機具の製造メーカー「株式会社クボタ」のサイトにウンカについての記事がある。
そのサイトによると、ウンカは、稲の葉や茎から汁を吸って稲を枯らしてしまう害虫であるという。
繁殖力が旺盛で、ひどいときには田んぼを全滅させてしまうこともあるとのこと。
ウンカの大量発生は、江戸時代の享保や天保の大飢饉を引き起こした原因の一つだと言われている。

掲句は、「猿蓑 巻之二」の「夏」に収められている。
「猿蓑」は元禄4年(1691年)7月の発刊であるから、掲句は、それ以前の作であると思われる。
それから40数年後に、「享保の大飢饉」が起こる。

江戸四大飢饉のひとつ「享保の大飢饉」は享保17年(1732年)に発生。
梅雨からの長雨が約2か月間続いて冷夏となり、イナゴやウンカなどの害虫が大発生し、稲作農家は大被害にあったという。
飢餓に苦しんだ人、餓死した人、その数は夥しいと伝えられている。
また「天明の大飢饉」は、天明2年(1782年)から天明8年(1788年)にかけて発生。
日本の近世では、最大の飢饉と言われている。

「享保の大飢饉」の直前には梅雨の長雨と、ウンカの大発生があったという。
その40数年前に、凡兆は「剃刀」を錆らせる梅雨と「盥の底」のウンカの句を作った。
将来の大事件を通して、過去の凡兆の句を読むと、なにやら不吉な思いにとらわれる。
「剃刀や一夜に金情て五月雨」の一晩で錆びてしまった剃刀には不吉なイメージがある。
掲句でも、タライの底にビッシリと無数のウンカが貼りついていたとすれば、それは不吉なものを感じさせる。

梅雨が長く続けば米の不作につながるとか、ウンカが大発生すれば稲が食い荒らされて米の不作になるというのは、当時の一般的な通念としてあったことだろう。
そういう現象が極端に多く発生していれば、飢饉が起こってしまう。
凡兆には、ある種の予感があって、その予感がこれらの句を作らしめたと言ったら、それは有り得ないことなのだろうか?

だが凡兆が「物」を描くことで、「物」から感じ取った何かを表現しようとしたとすれば、そういうこともあるのではなかろうかと思えてくる。
句は凡兆の観念の形象である。。
凡兆の予感。
「日の暑さ盥の底の蠛かな」
そして、「剃刀や一夜に金情て五月雨」。

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