2017/08/12

さびしさや花のあたりのあすならふ

「国立国会図書館デジタルコレクション」のサイトに各務支考(かがみしこう)著の「笈日記」がアップされているが、原典ではない。
大正十五年に、春陽堂によって出版された「俳人叢書・第四編」のなかに収録されたものである。

春陽堂出版「俳人叢書・第四編・笈日記」117ページ左端。

春陽堂出版「俳人叢書・第四編・笈日記」118ページ右端。
(※上の画像は「保護期間満了」のものであるから著作権云々には抵触しない)

さびしさや花のあたりのあすならふ
松尾芭蕉

元禄元年(貞享五年)三月の作とされている。
この句には、以下の前文が添えられている。
あすは檜(ひのき)とかや、谷の老木のいへること有。きのふは夢と過ぎて、あすはいまだ来たらず。ただ生前一樽(いっそん)の楽しみの外に、あすはあすはといひくらして、終(つひ)に賢者のそしりをうけぬ。
なんとも教育的な文章。
芭蕉は俳諧師の宗匠であったから 、こういう教訓的な文章を書かねばならなかったのでしょうか?
いやいや、そうではございません。
これは、芭蕉の自戒もしくは自嘲の文章なのではあるまいか。

門人と言っても、多くは「いい歳の大人」。
なかには、芭蕉を援助しているお大尽もいらっしゃる。
そんな方々に対して、小学生を相手にしているような訓示をたれる訳がない。
芭蕉自身の「さびしさ」故の文章であるのは明白。
案外これは、理屈屋の門人である各務支考が書き添えたものかもとチラッと思ったが、それは無い。
芭蕉が監修しているはずであるから。

花盛りの桜の園に、一本の翌檜(あすなろ)の老木が立っている。
その姿は、華やかな木々に囲まれているので、さびしげだ。
掲句は、「笈の小文」にある「日は花に暮てさびしやあすならふ」の改作であるとされている。
私は、前作よりも掲句の方が、「あすならふ」の存在感が強く出ていると感じている。
それは、芭蕉自身の存在感を示すものではないだろうか。

翌檜は、常緑の高木。
高さは10mから30mに達するものもある。
その直径は、90cmにもなる。
桜よりは、かなりの大木である。
その優雅さにおいては、桜よりも見劣りするかもしれないが、そんなに寂しい姿ではない。
が、花は寂しいらしい。
花は小さくて、葉先にひとつ付け、暗茶色または褐色であるという。
私は青森市で暮らしていて山歩きが趣味なので、津軽半島の山や、青森市滝沢の山でヒバ(ヒノキアスナロ)の木はよく見かける。
でも、翌檜の花が咲く頃は、八甲田山で春スキー三昧。
滝沢の山からそんなに離れていないのに、八甲田山にヒバ(ヒノキアスナロ)は無いのである。
反対に、八甲田山に盛りだくさんあるアオモリトドマツ(オオシラビソ)が、滝沢の山には生えていない。
面白いものである。

それは、ともかく。
「明日は檜になろう」なんてのは、どうもおかしい。
翌檜は翌檜でしょう。
その自然な独自性が、芭蕉の俳諧の題材になっているのですよ。
檜が翌檜よりも優れているなどと言うことが、なんともおかしいのだ。

この句は、翌檜の独自な存在感を句に詠んだもの。
前文は、芭蕉のポーズではないかと私は感じている。
掲句が作られる以前の貞享三年に、江戸深川芭蕉庵において「蛙の句合」が興行された。
その参加者は四十名。
メンバーは名だたる面々で、素堂や仙化、嵐蘭、李下、去来、嵐雪、杉風、曾良、其角などが顔を揃えている。
その席で芭蕉は、有名句「古池や蛙飛び込む水の音」を巻頭の句として披露した。

「あすならふ」の「さびしさ」は、「花」の「さびしさ」であって、檜になれない「さびしさ」ではない。
むしろ、「あすはあすはといひくらして」いることこそ「賢者のそしりをうけぬ」。
つまり、芭蕉は、「明日は檜になろう」なんてのは、チャンチャラおかしいと言っているのではないだろうか。
翌檜は翌檜なのだが、花を比べると、桜よりもさびしいねという芭蕉の感想を句に詠んだものと私は思っている。

さびしさや花のあたりのあすならふ

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