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山で探しているのは「山の楽しみ」と好奇心がこたえる。

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明日から4月が始まる。
春の陽気も本格化するという時期なのに、今日の天気は雪。
暗く、肌寒い一日。
灯油を切らしたので、電気ストーブとフリースのジャケットで寒さをしのいでいる。

今年は山に雪が多く、春スキーも長く楽しめそうだが、あいかわらず景気が悪い。
景気が悪くて仕事が芳しく無く、おまけに天候の不順で体調を崩している人も多いようだ。

取引先の知人も胃ガンを患って、入院・手術。
先日退院したのだが、抗がん剤のせいで体調が最悪だと訴えていた。
彼は、仕事一筋の趣味無し人間。
仕事や生活の活力を生み出してくれる趣味を持たずに、身を削って働いて、57歳で胃ガンを患ったのだった。

体の免疫力を高めるために人生を楽しもうというスローガンを掲げても、現実はスローガン通りには進まない。
スローガン通りには進まなくても、なにか楽しみがあるなら、その楽しみから活力を得よう。

毎日の生活に何かを探して生きる事が、病気の予防になるかもしれないひとつの方法。
山を歩くという事も、何かを探し歩くという前向きな活動ではあるまいか。

何かを探し歩くことから生じる楽しみや苦難が、その人を活かしてくれる。
体を動かし、それなりに頭を働かせて、探し求める。

「何を探して歩いているのか」

山を歩く人に、そう問いかければ、多くの人は道を探しているのだと答えるのではないだろうか。
はたしてその道とは、山頂へと続くルートのことなのか、人生の道(方法)のことなのか。

そのどちらでも同じこと。
山頂へのルートは、たぶん、その人の人生の道なのだ。

そして、探し続けていれば、かならず「わかった!」とうなずく瞬間がある。
なにかがわかる。
それも、ひとつの達成感である。
小さな発見でも、喜びは大きい。

「それで、道はみつかりましたか?」

と訊ねられれば、「見つかったけれども、その先にまだ何かある」と好奇心がこたえる。
好奇心にさそわれて、また山へ行く。

あがり症を直す方法

「あがり症」とは、人前に出ると気持ちが緊張してしまい、平静の状態を失う事です。

「人前」とは、大勢の人の前であったり、初対面の人の前であったり、不慣れな場面での見物人の前であったり、いろいろです。
「あがる」原因は、「人に良く思われたい」「高い評価を得たい」「失敗をしたく無い」「欠点を見られたく無い」という思いが強すぎて、人前にでると緊張してしまうことだと言われています。
「あがる」と普段の自分を失ってしまい、赤面したり、汗をかいたり、言葉が出なかったりします。 しかも、そういう状態にあわてて、ますます自身の平静を失い、ちょっとしたパニック状態になります。
自分の呼吸と足裏を意識すること。 私の「あがり症」が、もっとも強かったのは高校時代です。 そのとき、大人びた同級生の女性に次のようなアドバイスを受けました。
「他人を意識せずに、もっと自分を意識しなさい。」と。
彼女は、「自意識過剰になりなさい」と言ったわけではありません。  ●自分の呼吸を意識しなさい。  ●自分を立たせている足の裏を意識しなさい。
私は、この博識で聡明な同級生と親しかった訳ではありません。 この心優しい女生徒は、私のぶざまな「あがりぶり」を見かねて、そう助言してくれたのでした。
「あがる」という「ことば」は、心や体の状態を正確に言い表していると思います。 「あがる」とは、まさに呼吸も気持ちも浮き上がって、体を支える足場を失っている状態のことなのです。
この「あがり」に対処する方法は、文字通り「さがる」ことです。 「あがって」いると、呼吸も乱れがちです。 息を吸うことに夢中になっていて、息を吐くことに意識が回りません。 まるで溺れかけた子どものようです。
自分の呼吸を意識して、息を吐くと、気持ちが「さがり」ます。 地面に足がついて、落ち着くのです。 地面に足がついた感じをつかむと、その足裏を意識することで、その足裏に向けて「気持ちの重心」が「さがり」ます。
「さがる」ことは「おちる」こと、すなわち「落ち着く」ことなのです。 こうして平静の自分に近づくことが出来ます。
散歩で気分が落ち着くのも、「気持ちの重心をさげる」ことの効能です。
目的を持たずに一歩一歩あるくという散歩が、意識を地面に向けさせて気持ちを下げてくれるからでしょう。
高校時代の私は散歩する人でした。
休み時間の廊下には、学生がいっ…

また北尾根コースで折紙山方面へ

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今日もまた滝沢の折紙山ルートへでかけた。 今日の収穫のひとつは、先週のコース取りの初歩的なミスに気付いたこと。

地形図上でのごく小さな窪みが、実際の山では思ったよりも大きな沢であったという経験を数多くしてきた。
それにもかかわらず、前回は折紙山の北尾根の地形図を正確に読み取ることができなかった。

視界の不良な未知の山域で、天候は崩れそうだし時間は迫っているしという状況のもと、気持ちが焦り気味になっていて正確な判断が出来なかった。
小心者故の過ち。

やはり574のピークは、北尾根上にそびえるちょっとした山だった。
落ち着いて地形図を見れば明瞭のはず。
このピークを避けることが、北尾根コースを進む上で、時間短縮と労力削減になることは確かである。 






8時50分に出発。 青空が雲の合間からのぞいている。 青森市は、金曜日の夜と土曜日の夜に雪が降った。
そのせいで、スタート地点に至る林道には10数センチの新雪があった。
水分の多い重い雪で、独りラッセルだとなかなか登りがはかどらない。 雪の深い所で、膝下10センチという状態である。
支尾根到着は9時45分。 支尾根に出ると、3センチぐらいの積雪の下がガリガリの固い雪という歩きやすい状態になっている箇所もあった。
北尾根到着10時20分。 574ピーク手前10時35分。


【唐川沢コースと北尾根コースの出合い。】

574峰の山腹をトラバースして出た574峰と614峰の鞍部に、唐川沢コースと尾根との出合いを発見。
時刻は11時と、雪が深くて重い574峰のトラバースに手間取った。

参考になるので、時々訪問している村尾氏のウェブサイト(青森の山歩き)の記述通り、ピンクのテープの目印があった。






重い雪に軟弱な脚が降参して、今日はここまで。 574峰を過ぎて、しばらくなだらかな傾斜を歩いて出た所が上の写真である。 この吹きだまりの小さな丘が今日の終点。








574峰のトラバースは、思い雪が深かったので手間取った。 樹林帯を進むのだが、ちょっと開けた場所もあって、雪の深い時期は雪崩に警戒する必要がある。
樹林帯であっても、雪崩はおこるのだが・・・




574峰の北側の広場でランチタイム。
気分のいい広場である。 スキーシールを外して、ここからのんびり滑降した。 スタートは12時40分。








今回は、比較的雪の浅い尾根筋をすべった。 沢の斜面は、水分の多い重い雪…

曇天の折紙山方面へルート偵察に

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きのうの日曜日は、山スキー目的で青森市滝沢方面へ行った。 みちのく有料道路料金所手前の野内川の川原がスタート地点。 そこから南にのびている尾根を登り、折紙山へのルートを偵察した。
いろいろと用事を済ましてからの決行だったので、スタートが10時40分と、おそい出発になった。
地形図をにらむと、残雪期の折紙山へ到達するルートは幾通りもあるように思われる。 毎年、厳冬期や残雪期に、ごく少数の愛好者が折紙山へ登っているという。 その一般的なルートは唐川沢沿いの林道を奥に進み、そこから890峰へ通じる北尾根を目指して登るというもの。
私は尾根歩きが好きなので、今年の2月にスノーシューで北尾根へ至る支尾根のアプローチ部分を散策した。 そのとき、登りやすそうな尾根ルートを見つけたのだった。 きのうのスキーハイキングは、そのルートを辿った。
初めて入る山域での山行は、このような方法で計画を進めている。 導入部分の偵察山行。 次に念を入れて、計画ルート途中への偵察山行。 そして本番。 そういう流れで雪山山行を楽しんでいる。 安全第一が、楽しみの「方法」である。



上の写真が、駐車場所から測道を通ってみちのく有料道路の高架下を抜け、野内川に架かった橋を渡って出た平地(川原)。
スタート地点である。

その奥が、支尾根へのアプローチ。
上部がガスで見えない。 スタート地点の標高は170メートル。




林道のような場所を歩いて、支尾根の取り付き部分へ進む。 雪は、水分を多く含んだ重いドフドフ雪。 柔らかめのザラメを想定していたが、歩きにくい雪質であった。



林道の終点らしき所までスキーで歩いて10分ぐらい。 ここから本格的な登りが始まる。



上の写真の杉林を登る。 比較的に開けた部分をどんどん登ると、支尾根の背(標高300メートルぐらい)に出た。 スキーのシール(geckoフリーライド)を新調したので、登りがスムーズである。
やっぱり、新品はいいなあ。




2月に、深雪(場所によって膝まで)をスノーシューで登った時は、ここまで、1時間半かかった。 今回は30分ぐらいで到着。 支尾根のミズナラの根本にカモシカの足跡があった。 尾根の両側は杉林。




支尾根の途上に太いブナの木があった。 ブナの木の向こうに、みちのく有料道路の料金所の辺りが小さく見えている。




支尾根と北尾根の交差点に、ヒバの木が一本だけ立って…

「死ねば死にきり」

石油ストーブにかけていた大きな薬缶から、カラカラと乾いた音が聞こえた。
その音を、すごく小さな「塊の音」に感じたので、音って物みたいだなと思った。
まるで微小な石ころが薬缶の底で転げ回っているような感じの、小さな音。

それは空気の焦げる音だった。
薬缶の蓋を開けたら、薬缶の内はお湯が蒸発してしまって「空焚き」状態。

今日の未明、肺炎のため吉本隆明さんが亡くなられた。
87歳だったという。

私がいちばん最後に買った吉本隆明さんの本は、1997年出版の「僕ならこう考える」。
吉本隆明流「生活の方法」みたいな内容だ。

その本の最後(最終節)に「死ぬときに持って行けるもの」という文章がある。
吉本隆明さんは、高村光太郎の詩のなかの「死ねば死にきり/自然は水際立っている」という言葉が好きだと言っている。
この言葉が、吉本さんの「自身の死」に対するイメージと重なっているのかもしれない。

「本人は何も持っていくわけではないけれど、愛した、愛された記憶とか、その人の生活の跡はあとに残された生きてる人に残る。それが残れば上出来じゃないでしょうか。」

「僕ならこう考える」の「最終節」での、吉本隆明さんの言葉です。

家庭でできる花粉症対策方法

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東北地方北部でも3月の初旬頃からスギ花粉が飛び始める。
この間の日曜日は、犬を連れて郊外の山へ散歩に行ってきました。 山と言っても、山の中を通っている除雪された道路を歩いたのでしたが。

まだ冬季閉鎖中のゴルフ場の側に杉林があって、その林の方へ延びている脇道へ犬と一緒に入った時、道に積もった雪の表面がうっすらと茶色に汚れているのに気が付きました。

もう、中国大陸から黄砂が飛んできているのかなと思ったのですが、もしそうなら、辺り一面茶色に汚れているはず。
ひょっとしたら、この薄茶色の雪の汚れは、なにかの木の花の花粉なのではと思い直しました。
でも、この時期山の中で咲いている花はまだ無いようです。
謎の薄茶色の雪の汚れでした。

帰ってネットで調べたら、東北地方北部でも3月の初旬頃からスギ花粉が飛び始めるとのこと。
この地方では、ここのところ陽気が良くて、積もった雪が溶け始めています。
陽気が良くなったので、スギ花粉の早期のものが飛散し始めているのかも知れません。
まだ山の中だけで、街まで飛んでくるほどの勢いは無いのかも知れません。

かく言う私は、蓄膿症(慢性幅鼻腔炎)ですが花粉症ではありません。
家の者が、一昨年あたりから花粉症になりかかっているのです。
どんどんひどくなるような気がする、と本人が気弱に言っています。
長年花粉症を患っている友人が近くにいて、その症状の酷さを見知っていて恐れているのです。

そのため、家では花粉症の時期になると下記のような対策をして備えています。
この対策方法は、本で読んだりネットで調べたり知人から教えてもらったものをまとめたものです。

晴れたり、気温の高い日の外出は必要最小限にする。
特にお昼あたり、午後1時から午後3時頃までは、花粉の飛散が多い時間帯のようですから、外出は控える。

外出時は、飛散して来る花粉に対して完全防備する。
帽子・ゴーグル・マスクを着用し、衣類も表面がツルツルした、花粉の附着しにくい素材のものを着用する。

外出から帰ったら、手洗い・顔洗い・うがいをし、衣服は着替えをして花粉を家の中に持ち込まないようにする。
外出の際、体に付いた花粉を家の中に入れない。

ドアや窓を開け放しにしない。
この方法で、家の開口部からの花粉の侵入を防ぐ。

花粉の飛散が激しい日は、洗濯物を屋外に干さない。
これも花粉を家の中に持ち込まないためで…

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