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つがる市木造「大溜池」を眺めて考えた事

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ビオトープ(バイオトープ)が話題になるにつれて、ため池の存在が「生物生息空間(ビオトープ)」として注目を浴びているようだ。

もともと「ため池」とは、農業(灌漑)用水を確保するために水を貯え、取水設備を備えた人工の池のことである。
天然の池沼を、農業用水確保のために改築したものも、ため池に含まれる。

このようなため池とその周辺には、多種多様な生物が生息するものもあり、その豊かな自然環境がビオトープとして注目を集めている。

亀ヶ岡土器見物のため、つがる市木造の縄文館を訪れたとき、初めて「大溜池」の存在を知ったのだった。
私が知っている木造近辺のため池は、平滝沼、大滝沼、ベンセ沼、田光沼(たっぴぬま)ぐらい。

これらは、ため池のタイプとして、「皿池(さらいけ)」に属する。
今回遭遇した「大溜池」は「谷池(たにいけ)」 タイプで、丘陵地に入り組んだ湖沼景観が、まるで「リアス式湖岸」のようで魅力的だった。

地図上で、あらためて木造近辺を見ると、けっこうため池が多いのに驚く。
木造近辺だけでなく、津軽地方一帯に「ため池」が数多く散在している。
特に、五所川原市や旧金木町、鶴田町には、有名なため池がある。

鶴田町の「廻堰大溜池(まわりぜきおおためいけ/愛称:津軽富士見湖)」、
五所川原市松野木の「境野沢ため池(さかいのさわためいけ)」、
五所川原市金木町の「藤枝ため池(ふじえだためいけ/愛称:芦野湖)」は
農林水産省の「ため池百選」に選ばれている。

こうして見ると、青森県は「縄文王国」だけではなく、「ため池王国」でもあるのではないだろうか、と思えてくる。

でも、日本で一番ため池の多いところは兵庫県。
ため池は雨の降る量が少ない瀬戸内海地方などに多く見られる。
兵庫県庁のサイトに「ひょうごのため池」というページがある。 それによると、平成21年4月現在の日本の主な「ため池」分布は以下の通りである。
1位:兵庫県 43,347箇所
2位:広島県 20,183箇所 3位:香川県 14,619箇所 4位:大阪府 11,105箇所 5位:山口県 10,635箇所
我が青森県はというと、「ため池の自然」(信山社サイテック)では全国で29番目で、1,737箇所と意外と少ない。
これが何時の時点での集計なのかは、ちょっとわからない。
平成26年3月という日付で、青森県の農村整備課が「ため池管…

七戸町にある広大なキャンプ場(東八甲田家族旅行村)

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十和田市深持の「落人の里」梅集落を過ぎて、十和田市西部に位置する高森山総合運動公園に向かった。
ここは十和田市の都市公園。
2012年から青森県サッカー協会が、サッカー競技の普及・強化をめざし、「青森県フットボールセンター」として球技場を整備しているという。

サッカー・ラグビー・アメリカンフットボールなど各種球技に対応できる人工芝、天然芝のグラウンドが1面ずつある。 グランドは良く整備されていて、ナイター設備も完備されている。

都市公園とはいうものの、バリバリの体育会系運動公園。
遊歩道らしきものもあるが、残念ながら、ペットの連れ込みは禁止されている。
どちらかというと、競技者や球技観戦者主体の熱気あふれる運動公園のようで、愛犬とゆったりお散歩が楽しめるという雰囲気はない。

という訳で、「体育会系熱血公園」から、追われる落ち武者のように七戸町に移動。
東八甲田家族旅行村を見物することに。
この施設も、案内看板はよく見かけるが、未体験であった。

「道の駅しちのへ」から八甲田山に向かって、クルマで15分ほど走ると七戸町営スキー場に着く。
その道の奥が、東八甲田家族旅行村の入り口。
オートキャンプ場やケビン施設、バーベキューハウス、散策路など、家族連れでゆっくり楽しめるアウトドアスポットとなっている。 これで、施設内に温泉があれば最高なのだが、温泉は無し。
施設随所に芝生や森があって、自然散策ができるようになっている。 スキー場を抱えた一山が、東八甲田家族旅行村となっているようだ。 村内には、いくつかのキャンプフリーサイトがあるが、ペット同伴は禁止。 全部で15棟の、バス水洗トイレ付きのケビンハウスも、ペット同伴は禁止。








空模様がパッとしないせいか、この日は、訪れている家族連れはいなかった。
そこで、愛犬と、標高220mちょっとの展望台に登ってみた。
急斜面の登りは、階段状になっていて、子どもでも楽に登る事ができる。
山頂にはコンクリート製の展望台が設けられている。
この展望台に立つと、眼下に七戸町市街や広い牧場を見渡せた。

また、この施設の中には「創造の森」というエリアがあって、112ヘクタールの広大な広葉樹の森の散策が楽しめるという。
春の新緑ウォーキングや、秋の紅葉ウォーキングなど、家族連れで自然体験散策が楽しめるらしい、
東八甲田家族旅行村は、その名の通り、家族旅…

十和田市深持の梅集落「落人の里」

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午前中仕事。
午後から、犬の散歩がてら八甲田へ。

青森市内は晴れていたが、八甲田は雨に乱風状態。
突風で折れたブナの細枝が道路に散乱していた。




城ヶ倉大橋を渡って沖上平(おきあげたい)寄りの「八甲田そば処・きこり」で蕎麦を食べて、東に移動。
十和田市方面が晴れているのでは、という話を蕎麦屋で聞いたのだ。

雨の中、田代から県道40号線を十和田市に向かって走った。
山から下りたら、増沢あたりで、晴れ間が広がりはじめる。
深持を通過中に、「落人の里」という案内看板があった。
以前から見かけている看板なのだが、今回、寄ってみることにした。

一般に落人というと、平家の落人を思い浮かべるが、ここはちょっと違うらしい。
集落に設置された看板には、「戦いに敗れた武士が逃げ落ち、そして住み着いた山村が、この地であると伝えられる。」と書かれている。

また、「この集落一帯は土器の出土することから落人以前にも人が住んでいたであろうことは想像にかたくない。」とある。

その土器の展示施設は、ここには無い。
十和田市には、縄文時代から中世までの遺跡が何ヵ所かあるらしいので、山あいの梅集落から土器が出てきたことはあったかもしれない。

遺跡のような存在で、今もコンコンと湧き水が出ている場所が2箇所ある。
集落の西側(八甲田山寄り)の入り口付近に「西カドの水」。
集落の東側にある崖の下に「東カドの水」。

村人から「カドの水」と呼ばれているこの2ヵ所の湧き水は、昭和61年度に「私たちの名水」として青森県から認定されている。

さて、梅集落には、どんな落人の物語があったのか、それは明らかにされていない。
戦いに敗れた武士が逃げ落ちてここに住み着いたという言い伝いしか残っていない。

この集落一帯から出土した土器の持ち主達はどこへ消えたのか。
もし彼らが縄文人だとしたら、去らなければならない理由があったことだろう。
厳しい気候の変動が、彼らを新たな地に移したのか。
大陸から渡来し、この島国に居着いた民族に追い払われたのか。

先住の人達は、湧き水と土器を残して、どこかへ消えてしまった。
いったい、縄文人はどこへ行ったのか?

それから数千年間、無人の里で湧き水は流れ続けた。
やがて今度は、どこかから追い払われた人たちがこの湧き水の場所を見つけてこの地に住み着いた。
津軽為信によって滅ぼされた浪岡北畠の落…

ブログのテーマは、愚直に日々を記録すること

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ある人に、
「あんさんのブログのテーマは何?」
と訊かれた。

このとき、これと似たようなことを、かつて誰かから訊かれたことがあったなぁ、という思いが頭をよぎった。
「なんで山に登るの?山に登って、どこが楽しいの?」てな風に。

「山で体を動かすと、気分が良いから楽しい。」とか。
「山歩きは、自分のペースで行動できるから楽しい。」とか。
「高い場所から広い景色を眺めていると気分がいい。」とか。

「山は何回訪れても未知の空間。
その未知の空間に身を置くことで、気分をリフレッシュできる。」とか、
山を歩く楽しさは、山を歩いている途中で、いっぱい見つけることができる。

山登りに対する問いかけ同様、
「あんさんのブログのテーマは何?」という問いかけは、
「こんなブログ書いて、どこがいいの?」という否定的な意味合いを含んでいる。

「ブログのテーマってか、タイトルは『日常の小事』だし、まあ、それがテーマだね。」と言っても相手には通じない。
観念的過ぎるとか、漠然とし過ぎているとか言われてしまう。

実のところ、そう言われても仕方がない。
リラックスのための観念の浮遊みたいなところが、ないわけではない。
それが、言葉を使って思索することに、新鮮味をもたらしてくれるから。






又聞きではあるが、バーナード・ショーの「劇場の視点まで拡大された自己暴露こそ、演劇芸術のすべてだ」という言葉には感じるところがある。

そこで、これを拝借して、
「劇場の視点まで拡大された日常の瑣末な物亊こそ、人生のすべてかもしれない。」という文句を作ってみた。

そして、これをヒントに、さらにアレンジを進める。
すると、「ネットの視点まで拡大された瑣細な日常の出来事こそ、ブログのひとつの方法かもしれない。」というブログのテーマらしい文句が出来上がる。
もちろんこれは一般的なテーマでは無くて、私自身の固有なテーマであることは言うまでもない。

山を歩くという行為は、一歩一歩の、歩みの動作で成り立っている。
「山歩きなんて、何が楽しいんだ」という人の目からみれば、その行為は愚直なものに映ることだろう。

その愚直な一歩一歩が、山を歩く人に、幸福感をもたらしている。
彼が目にする草花や森や山の峰々は、彼の記憶に刻まれ、彼の人生を豊かにしているに違いない。

日常の日々もまた、一歩一歩という行いから成り立っている。
それは、些…

八戸市・是川遺跡と風張遺跡の縄文土器を展示している是川縄文館(その2)

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是川縄文館では、是川遺跡の出土品だけで無く、風張(かぜはり)遺跡からの遺物も展示している。
国宝である「合掌土偶」は風張1遺跡から発掘されている。
同じようにポーズをとった土偶である「頬杖土偶」も風張1遺跡の出土。

ただし、当ページの写真は、風張遺跡出土のものと是川遺跡出土のものとが混じっているので、要注意。






風張遺跡は、是川縄文館から東の方へ約1キロ離れたところにある。
新田川の対岸にあって、標高25メートルぐらいの舌状台地に立地する遺跡。
舌状台地と言えば、小牧野遺跡や大湯環状列石を思い浮かべる。
古代においては、よっぽど住み心地の良い地形だったのだろう。

風張遺跡では、縄文時代早期から平安時代まで、集落が断続的に営まれていたと言われている。
発掘された遺構は、縄文時代後期後半のものが多いという。
集落は土坑墓群を中心に、掘立柱建物や竪穴住居が配置されている「環状集落」となっている。










































八戸市・是川遺跡と風張遺跡の縄文土器を展示している是川縄文館(その1)

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六戸町熊野神社見物の後は、八戸市にある是川(これかわ)遺跡に向かった。
是川遺跡は、八戸市南東部の台地に広がる縄文時代の遺跡。
その時代区分は、前期から中期、晩期と言われている。

八戸市内に流れ込む新田川に沿った地域に、東京ドーム7個分の面積を持って広がる3つの遺跡の総称が「是川遺跡」。
3つの遺跡とは、縄文時代晩期の中居(なかい)遺跡、前期・中期の一王寺(いちおうじ)遺跡、中期の堀田(ほった)遺跡。

是川縄文館へ行くには、八戸市街から国道340号線を南に下り、案内標識に従って進むとわかりやすい。
2011年7月に八戸市埋蔵文化財センターとして、新築会館。
まだ、ピカピカに新しい。

展示室は整然としていて、落ち着いた雰囲気。
ゆったりと展示物を見学できる。
各発掘遺物は、ガラスケースの中に納められていて、簡単な説明を記したプレートが添えられている。
展示室内の照明が暗いのは、漆器の退色を防ぐためなのだろう。
写真撮影は許可されているが、ストロボを用いるのは禁止。









是川遺跡発掘の経緯は、八戸市のウェブサイト、是川遺跡のページに書かれている。
以下は、その説明の抜粋。
是川遺跡は、大正~昭和の初めにかけて地元の泉山岩次郎(いずみやまいわじろう)氏と義弟の斐次郎(あやじろう)氏によって発掘が行われ、出土品のすば らしさから全国的にも注目を集めることになりました。5千点を超える遺物(いぶつ)は、泉山両氏の手で大切に守られ、散逸することなく是川の地に残されて きました。この遺跡を「縄文の里」として整備するため、平成11年度から発掘調査が行われ、多くの成果が得られました。







展示された出土品のうち、縄文晩期の中居遺跡から出た美しい仕上がりの土器や土偶が素晴らしい。
精緻な造形や文様装飾などは、時代を超えて、説得力を持っているように思う。
謎めいていて、カッコ良くて、不思議に懐かしく、見ていて飽きないものばかりだ。

以前に見物した、つがる市木造(きづくり)の、亀ヶ岡遺跡の土器類は、江戸時代から乱掘され、出土品が方々に四散したという。
「亀ヶ岡もの」としてオランダまで輸出され、芸術品のように重宝されたと言われている。

是川中居遺跡の美しい出土品を眺めていると、早くから乱掘された亀ヶ岡遺跡の土器や土偶の運命が察せられる。









また、土器や土偶ばかりではなく、精巧なつくりの漆器類には驚かされ…

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