2014/07/28

つがる市木造「大溜池」を眺めて考えた事

つがる市木造の大溜池。森に囲まれた「リアス式湖岸」が魅力的だ。


ビオトープ(バイオトープ)が話題になるにつれて、ため池の存在が「生物生息空間(ビオトープ)」として注目を浴びているようだ。

もともと「ため池」とは、農業(灌漑)用水を確保するために水を貯え、取水設備を備えた人工の池のことである。
天然の池沼を、農業用水確保のために改築したものも、ため池に含まれる。

このようなため池とその周辺には、多種多様な生物が生息するものもあり、その豊かな自然環境がビオトープとして注目を集めている。

亀ヶ岡土器見物のため、つがる市木造の縄文館を訪れたとき、初めて「大溜池」の存在を知ったのだった。
私が知っている木造近辺のため池は、平滝沼、大滝沼、ベンセ沼、田光沼(たっぴぬま)ぐらい。

これらは、ため池のタイプとして、「皿池(さらいけ)」に属する。
今回遭遇した「大溜池」は「谷池(たにいけ)」 タイプで、丘陵地に入り組んだ湖沼景観が、まるで「リアス式湖岸」のようで魅力的だった。

地図上で、あらためて木造近辺を見ると、けっこうため池が多いのに驚く。
木造近辺だけでなく、津軽地方一帯に「ため池」が数多く散在している。
特に、五所川原市や旧金木町、鶴田町には、有名なため池がある。

鶴田町の「廻堰大溜池(まわりぜきおおためいけ/愛称:津軽富士見湖)」、
五所川原市松野木の「境野沢ため池(さかいのさわためいけ)」、
五所川原市金木町の「藤枝ため池(ふじえだためいけ/愛称:芦野湖)」は
農林水産省の「ため池百選」に選ばれている。

こうして見ると、青森県は「縄文王国」だけではなく、「ため池王国」でもあるのではないだろうか、と思えてくる。

でも、日本で一番ため池の多いところは兵庫県。
ため池は雨の降る量が少ない瀬戸内海地方などに多く見られる。
兵庫県庁のサイトに「ひょうごのため池」というページがある。
それによると、平成21年4月現在の日本の主な「ため池」分布は以下の通りである。

1位:兵庫県 43,347箇所
2位:広島県 20,183箇所
3位:香川県 14,619箇所
4位:大阪府 11,105箇所
5位:山口県 10,635箇所

我が青森県はというと、「ため池の自然」(信山社サイテック)では全国で29番目で、1,737箇所と意外と少ない。
これが何時の時点での集計なのかは、ちょっとわからない。
平成26年3月という日付で、青森県の農村整備課が「ため池管理マニュアル」というものを作成している。
それによると、青森県には約1,900箇所のため池があると記されている。
以下は「ため池管理マニュアル」からの抜粋。
「県内には約1900カ所のため池があります。江戸時代に造成され、何世代にも亘って地域農業に貢献してきたため池、老若男女の憩いの場として、中には観光名所として地域経済にも貢献しているため池、それらのほとんどの管理を農業者が担っています。
その反面、農業をとりまく環境は年々厳しくなり、中でも、高齢化、担い手不足といった問題は、ため池を管理する体制の脆弱化につながり、老朽化するため池の補修や保全といった、必要で欠くことのできない作業にまで影響を及ぼしています。」
地域農業に貢献してきた「ため池」の将来は、地域農業の盛衰にかかっているようだ。
現在は、農業従事者の担い手不足のために、「ため池」の管理体制が脆弱化しているという。
江戸時代の津軽地方の新田開発のために造られた「ため池」の存続が危ぶまれているのだ。
「ため池」の荒廃は、地域水田農業の荒廃を示すバロメーターであるのかもしれない。

農村部の都市化に伴い、ため池は埋め立てられたり、調整池や水辺公園になったりしている。
また、近年増えつつある気象現象の「集中豪雨」で、ため池は、都市型の洪水の原因になり、地域の厄介者扱いにされたりもしているという。

つがる市木造の「大溜池」は 、幻の亀ヶ岡城の堀として造られた。
それが農業用貯水池となり、森に囲まれた自然豊かなビオトープとなり。
その森と湖とが交錯する魅力的な景観に、秘かなファンを輩出する人造湖にもなっている。
この先、「大溜池」はどう変わっていくのだろう。
あるいは、変わらずに、津軽地方の盛衰を水面に映していくだけだろうか。

2014/07/27

七戸町にある広大なキャンプ場(東八甲田家族旅行村)

自然木看板。


十和田市深持の「落人の里」梅集落を過ぎて、十和田市西部に位置する高森山総合運動公園に向かった。
ここは十和田市の都市公園。
2012年から青森県サッカー協会が、サッカー競技の普及・強化をめざし、「青森県フットボールセンター」として球技場を整備しているという。

サッカー・ラグビー・アメリカンフットボールなど各種球技に対応できる人工芝、天然芝のグラウンドが1面ずつある。
グランドは良く整備されていて、ナイター設備も完備されている。

都市公園とはいうものの、バリバリの体育会系運動公園。
遊歩道らしきものもあるが、残念ながら、ペットの連れ込みは禁止されている。
どちらかというと、競技者や球技観戦者主体の熱気あふれる運動公園のようで、愛犬とゆったりお散歩が楽しめるという雰囲気はない。

という訳で、「体育会系熱血公園」から、追われる落ち武者のように七戸町に移動。
東八甲田家族旅行村を見物することに。
この施設も、案内看板はよく見かけるが、未体験であった。

「道の駅しちのへ」から八甲田山に向かって、クルマで15分ほど走ると七戸町営スキー場に着く。
その道の奥が、東八甲田家族旅行村の入り口。
オートキャンプ場やケビン施設、バーベキューハウス、散策路など、家族連れでゆっくり楽しめるアウトドアスポットとなっている。
これで、施設内に温泉があれば最高なのだが、温泉は無し。

施設随所に芝生や森があって、自然散策ができるようになっている。
スキー場を抱えた一山が、東八甲田家族旅行村となっているようだ。
村内には、いくつかのキャンプフリーサイトがあるが、ペット同伴は禁止。
全部で15棟の、バス水洗トイレ付きのケビンハウスも、ペット同伴は禁止。


各施設案内のイラストマップ。

清潔なトイレ。

売店・オートキャンプ場管理棟。

キャンプ場の端の炊事棟。

広いキャンプ場。


空模様がパッとしないせいか、この日は、訪れている家族連れはいなかった。
そこで、愛犬と、標高220mちょっとの展望台に登ってみた。
急斜面の登りは、階段状になっていて、子どもでも楽に登る事ができる。
山頂にはコンクリート製の展望台が設けられている。
この展望台に立つと、眼下に七戸町市街や広い牧場を見渡せた。

また、この施設の中には「創造の森」というエリアがあって、112ヘクタールの広大な広葉樹の森の散策が楽しめるという。
春の新緑ウォーキングや、秋の紅葉ウォーキングなど、家族連れで自然体験散策が楽しめるらしい、
東八甲田家族旅行村は、その名の通り、家族旅行が楽しめる施設と言えるようだ。


展望台への登山道。

登山道の奥に展望台が見える。

展望台。

コンクリート製の展望台。

展望台からの見晴らし。

芝生のなかの遊具。

大きな東屋。

サイクルモノレール。

森の中のケビン。

立ち並ぶケビン。

少々古いが、快適そうな佇まい。

ケビンの管理棟からケビン村へ続くプロムナード広場。

十和田市深持の梅集落「落人の里」

午前中仕事。
午後から、犬の散歩がてら八甲田へ。

青森市内は晴れていたが、八甲田は雨に乱風状態。
突風で折れたブナの細枝が道路に散乱していた。


梅集落に設置されている「落人の里の水」の看板


城ヶ倉大橋を渡って沖上平(おきあげたい)寄りの「八甲田そば処・きこり」で蕎麦を食べて、東に移動。
十和田市方面が晴れているのでは、という話を蕎麦屋で聞いたのだ。

雨の中、田代から県道40号線を十和田市に向かって走った。
山から下りたら、増沢あたりで、晴れ間が広がりはじめる。
深持を通過中に、「落人の里」という案内看板があった。
以前から見かけている看板なのだが、今回、寄ってみることにした。

一般に落人というと、平家の落人を思い浮かべるが、ここはちょっと違うらしい。
集落に設置された看板には、「戦いに敗れた武士が逃げ落ち、そして住み着いた山村が、この地であると伝えられる。」と書かれている。

また、「この集落一帯は土器の出土することから落人以前にも人が住んでいたであろうことは想像にかたくない。」とある。

その土器の展示施設は、ここには無い。
十和田市には、縄文時代から中世までの遺跡が何ヵ所かあるらしいので、山あいの梅集落から土器が出てきたことはあったかもしれない。

遺跡のような存在で、今もコンコンと湧き水が出ている場所が2箇所ある。
集落の西側(八甲田山寄り)の入り口付近に「西カドの水」。
集落の東側にある崖の下に「東カドの水」。

村人から「カドの水」と呼ばれているこの2ヵ所の湧き水は、昭和61年度に「私たちの名水」として青森県から認定されている。

さて、梅集落には、どんな落人の物語があったのか、それは明らかにされていない。
戦いに敗れた武士が逃げ落ちてここに住み着いたという言い伝いしか残っていない。

この集落一帯から出土した土器の持ち主達はどこへ消えたのか。
もし彼らが縄文人だとしたら、去らなければならない理由があったことだろう。
厳しい気候の変動が、彼らを新たな地に移したのか。
大陸から渡来し、この島国に居着いた民族に追い払われたのか。

先住の人達は、湧き水と土器を残して、どこかへ消えてしまった。
いったい、縄文人はどこへ行ったのか?

それから数千年間、無人の里で湧き水は流れ続けた。
やがて今度は、どこかから追い払われた人たちがこの湧き水の場所を見つけてこの地に住み着いた。
津軽為信によって滅ぼされた浪岡北畠の落武者だったかもしれない。
というふうに、私の頭に根拠の無い空想だけが広がる。

八甲田山系の伏流水と言われている「カドの水」は、そんな敗走と隠遁生活で築きあげられたコミュニティを、ひっそりと見守ってきたことだろう。

2014/07/23

ブログのテーマは、愚直に日々を記録すること

山と森


ある人に、
「あんさんのブログのテーマは何?」
と訊かれた。

このとき、これと似たようなことを、かつて誰かから訊かれたことがあったなぁ、という思いが頭をよぎった。
「なんで山に登るの?山に登って、どこが楽しいの?」てな風に。

「山で体を動かすと、気分が良いから楽しい。」とか。
「山歩きは、自分のペースで行動できるから楽しい。」とか。
「高い場所から広い景色を眺めていると気分がいい。」とか。

「山は何回訪れても未知の空間。
その未知の空間に身を置くことで、気分をリフレッシュできる。」とか、
山を歩く楽しさは、山を歩いている途中で、いっぱい見つけることができる。

山登りに対する問いかけ同様、
「あんさんのブログのテーマは何?」という問いかけは、
「こんなブログ書いて、どこがいいの?」という否定的な意味合いを含んでいる。

「ブログのテーマってか、タイトルは『日常の小事』だし、まあ、それがテーマだね。」と言っても相手には通じない。
観念的過ぎるとか、漠然とし過ぎているとか言われてしまう。

実のところ、そう言われても仕方がない。
リラックスのための観念の浮遊みたいなところが、ないわけではない。
それが、言葉を使って思索することに、新鮮味をもたらしてくれるから。



空と雲と山



又聞きではあるが、バーナード・ショーの「劇場の視点まで拡大された自己暴露こそ、演劇芸術のすべてだ」という言葉には感じるところがある。

そこで、これを拝借して、
「劇場の視点まで拡大された日常の瑣末な物亊こそ、人生のすべてかもしれない。」という文句を作ってみた。

そして、これをヒントに、さらにアレンジを進める。
すると、「ネットの視点まで拡大された瑣細な日常の出来事こそ、ブログのひとつの方法かもしれない。」というブログのテーマらしい文句が出来上がる。
もちろんこれは一般的なテーマでは無くて、私自身の固有なテーマであることは言うまでもない。

山を歩くという行為は、一歩一歩の、歩みの動作で成り立っている。
「山歩きなんて、何が楽しいんだ」という人の目からみれば、その行為は愚直なものに映ることだろう。

その愚直な一歩一歩が、山を歩く人に、幸福感をもたらしている。
彼が目にする草花や森や山の峰々は、彼の記憶に刻まれ、彼の人生を豊かにしているに違いない。

日常の日々もまた、一歩一歩という行いから成り立っている。
それは、些細で取るに足らない物事として忘れ去られがちである。
だがそれを劇場の視点まで拡大してみれば、そこに人生の具体的な現実が、演劇のようにクローズアップされたものとして見えてくる。

ネットもまた、多くの人の目にさらされる劇場のようなもの。
その視点まで拡大された些細な日常の出来事を記録することが、ブログのテーマであり、方法であると思う。

多くの人々が、日常の日々を、些細なものとして忘れないために、だね。

一歩一歩山に登るように、愚直に日々を記録すること、だね。

2014/07/13

八戸市・是川遺跡と風張遺跡の縄文土器を展示している是川縄文館(その2)

表情豊かな土偶たち。是川中居遺跡出土。



是川縄文館では、是川遺跡の出土品だけで無く、風張(かぜはり)遺跡からの遺物も展示している。
国宝である「合掌土偶」は風張1遺跡から発掘されている。
同じようにポーズをとった土偶である「頬杖土偶」も風張1遺跡の出土。

ただし、当ページの写真は、風張遺跡出土のものと是川遺跡出土のものとが混じっているので、要注意。



土偶。是川中居遺跡出土。



風張遺跡は、是川縄文館から東の方へ約1キロ離れたところにある。
新田川の対岸にあって、標高25メートルぐらいの舌状台地に立地する遺跡。
舌状台地と言えば、小牧野遺跡や大湯環状列石を思い浮かべる。
古代においては、よっぽど住み心地の良い地形だったのだろう。

風張遺跡では、縄文時代早期から平安時代まで、集落が断続的に営まれていたと言われている。
発掘された遺構は、縄文時代後期後半のものが多いという。
集落は土坑墓群を中心に、掘立柱建物や竪穴住居が配置されている「環状集落」となっている。



土偶頭部。是川中居遺跡出土。



注口土器。是川中居遺跡出土。



台付土器など。



土偶。



香炉型土器。風張1遺跡出土。



石斧など。



スタンプ形土製品。風張1遺跡出土。



土玉や土製耳飾り。風張1遺跡出土。



玉の首飾り。風張1遺跡出土。



土器類。



注口土器。風張1遺跡出土。



深鉢形土器など。風張1遺跡出土。



深鉢形土器。



風張1遺跡から発掘された「頬杖土偶」。



風張1遺跡から発掘された「合掌土偶」。国宝。



上の写真が、有名な合掌土偶。
重要文化財であるつがる市木造亀ヶ岡遺跡出土の遮光器土偶は、東京上野の国立博物館所蔵となったが、国宝である合掌土偶は、地元の是川縄文館に展示されている。

展示方法は、常設展示図録によると以下の通り。
(1)国宝展示室に合掌土偶1点を象徴的に展示。
(2)エアタイト(高気密)・免震構造の展示ケースに収納。
(3)照明はLEDを使用。
(4)上記(2)(3)により、国宝を、保管している状態で展示。
(5)解説等は国宝展示室前室に配置。

上記図録に、合掌土偶の特徴が記されている。
それをまとめると、以下の通り。
 (1)座った状態で腕を膝の上に置き、正面で手を合わせている形から、「合掌土偶」と名づけられた。
(2)サイズは、高さ19.8センチ、幅14.2センチ。
(3)縄文部分と、縄文を磨り消した部分の コントラストが装飾的。
(4)胴部に縦に並ぶ刺突文様がある。
(5)両足の付け根と膝、腕の部分が割れていて、アスファルトで修復した跡が認められる。
(6)頭部などに赤く塗られた痕跡があり、全身が赤く彩色されていたと思われる。

私にとって印象深いのは、「仕草」を模した土偶であるということ。
頬杖土偶の仕草も、人間の動きに近い。
合掌土偶は、仕草をしている点で他の土偶よりも「人間に近い」という感想を持った。

江戸時代の画人「葛飾北斎」は「北斎漫画」で当時の庶民の色々な仕草を描いたが、 ああいう仕草の「仕草土偶」がたくさん出てきたら楽しいことだろう、と素人の独り言。



石斧柄など。



泉山兄弟胸像。

八戸市・是川遺跡と風張遺跡の縄文土器を展示している是川縄文館(その1)

是川縄文館。



六戸町熊野神社見物の後は、八戸市にある是川(これかわ)遺跡に向かった。
是川遺跡は、八戸市南東部の台地に広がる縄文時代の遺跡。
その時代区分は、前期から中期、晩期と言われている。

八戸市内に流れ込む新田川に沿った地域に、東京ドーム7個分の面積を持って広がる3つの遺跡の総称が「是川遺跡」。
3つの遺跡とは、縄文時代晩期の中居(なかい)遺跡、前期・中期の一王寺(いちおうじ)遺跡、中期の堀田(ほった)遺跡。

是川縄文館へ行くには、八戸市街から国道340号線を南に下り、案内標識に従って進むとわかりやすい。
2011年7月に八戸市埋蔵文化財センターとして、新築会館。
まだ、ピカピカに新しい。

展示室は整然としていて、落ち着いた雰囲気。
ゆったりと展示物を見学できる。
各発掘遺物は、ガラスケースの中に納められていて、簡単な説明を記したプレートが添えられている。
展示室内の照明が暗いのは、漆器の退色を防ぐためなのだろう。
写真撮影は許可されているが、ストロボを用いるのは禁止。



木胎漆器。



漆塗り注口土器。



是川遺跡発掘の経緯は、八戸市のウェブサイト、是川遺跡のページに書かれている。
以下は、その説明の抜粋。
是川遺跡は、大正~昭和の初めにかけて地元の泉山岩次郎(いずみやまいわじろう)氏と義弟の斐次郎(あやじろう)氏によって発掘が行われ、出土品のすば らしさから全国的にも注目を集めることになりました。5千点を超える遺物(いぶつ)は、泉山両氏の手で大切に守られ、散逸することなく是川の地に残されて きました。この遺跡を「縄文の里」として整備するため、平成11年度から発掘調査が行われ、多くの成果が得られました。


漆塗り土器。



弓など。



展示された出土品のうち、縄文晩期の中居遺跡から出た美しい仕上がりの土器や土偶が素晴らしい。
精緻な造形や文様装飾などは、時代を超えて、説得力を持っているように思う。
謎めいていて、カッコ良くて、不思議に懐かしく、見ていて飽きないものばかりだ。

以前に見物した、つがる市木造(きづくり)の、亀ヶ岡遺跡の土器類は、江戸時代から乱掘され、出土品が方々に四散したという。
「亀ヶ岡もの」としてオランダまで輸出され、芸術品のように重宝されたと言われている。

是川中居遺跡の美しい出土品を眺めていると、早くから乱掘された亀ヶ岡遺跡の土器や土偶の運命が察せられる。



土器類。



土製耳飾り。



また、土器や土偶ばかりではなく、精巧なつくりの漆器類には驚かされる。
特に、木の器や籠などに赤い漆を塗ったもの、櫛や腕輪・耳飾りなどの装身具には目を見張るばかり。
是川中居遺跡の低湿地からは、色鮮やかな漆器が多数出土している。
漆工芸の複雑な工程(採取・精製・塗装・乾燥)を、縄文人はほぼ完成させていたとされている。

現代においては、飾ることは生活を楽しむこと。
古代では、生活用具に精緻な飾りをつけることに 、どんな意味や訳があったのだろう。

縄文土器や土偶・漆器との対話には特別な知識は要らない。
接する人の直感とセンスが、様々な対話を可能にしているように思う。



遮光器土偶。



土偶頭部。



土偶頭部。



土偶。



土偶。