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7月, 2015の投稿を表示しています

思いっきりくしゃみをしたら、ギックリ腰になりそうだった

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思いっきりくしゃみをしたら、腰の辺にギックリ腰の予感が走った。

私は30代の頃まで6回ぐらいギックリ腰をやった経験がある。 40代に入ってからは、無茶な体の使い方をしなくなったので、ギックリ腰は起こらなくなったが、そのかわり慢性腰痛に悩まされている。

6回もギックリ腰をやると、身体の防衛能力が高まるのか、ギックリ腰が起こる直前に、ある種の予感のようなものが発生する。
「これは、ヤバイ」という感覚。
以前記事にした「負けた感覚」である。
「負けた感覚」が身を守る。
だから、「負けた感覚を身につけよう」。

青森の夏の花ハマナスは、青森のハイビスカスか

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青森市の市街地でハマナスを見かけた。
ハマナスはバラ科バラ属の落葉低木。
海岸の砂地に自生する植物である。 街で見かけるものはほとんどが植栽で、野生のハマナスとは違った趣がある。 街のハマナスは比較的に背が高い。 津軽地方の西海岸での野生のハマナスは、背が低く、砂地を這うように生育しているものを多く見かける。

変化に富んだ人気コース北八甲田大岳ハイキング(下山)

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「大岳ハイキング登り」の続編。

八甲田大岳の山頂は、強風状態。
おまけに雲におおわれて視界がきかない。
のんびり山頂風景を楽しむこともなく下山する登山者たち。

変化に富んだ人気コース北八甲田大岳ハイキング(登り)

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夏山としては久しぶりの北八甲田大岳ハイキング。
お天気は曇りで午後から雨の予報だったが、さいわい雨にはあわなかった。
おもに春の残雪スキーで毎年八甲田大岳(標高1584.5メートル)に来ているのだが、夏山は15年ぶりぐらいになる。 ゆっくり歩いて、変化に富んだコースを楽しみ、懐かしんだ。
今にも雨に変わりそうな曇り空だったが、こんな天気でも人気コースだけあって登山者が多い。 山中ではたくさんの老若男女の登山者とすれ違ったり、登山者に追い越されたり。

芭蕉の幻「行く春や鳥啼き魚の目は泪」

行く春や鳥啼(な)き魚(うを)の目は泪(なみだ)
松尾芭蕉
「おくのほそ道」には、この句に以下の前文がある。 弥生(やよい)も末の七日、明ぼのの空朧々(ろうろう)として、月は有明(ありあけ)にて光収まれるものから、富士の峰かすかにみえて、上野、谷中の花の梢、又いつかはと心細し。睦(むつ)まじき限りは宵より集ひて、舟に乗りて送る。千住という所にて 舟をあがれば、前途(せんど)三千里の思ひ、胸にふさがりて、幻の巷(ちまた)に離別の泪(なみだ)をそそぐ。   (出典:伊藤善隆「芭蕉」>おくのほそ道>千住)
この前文にある「幻の巷(ちまた)」とは、何だろう。
「旅の生活」と比べて、芭蕉が定住した「江戸の暮らし」を儚いものと感じ、それを「幻の巷」としているのだろうか。

もう戻っては来れないかもしれないという「離別」の思い。
その思いにとらわれた芭蕉に、江戸の町は遠い昔の夢幻のごとく見えたのだろうか。
まだ見ぬ陸奥(みちのく)の地に、漠然とした不安と憧憬をいだきながら望む。
その立ち位置から振り返れば、江戸の暮らしは過ぎ去った時間。

芭蕉は、前へ進もうとしている。
俳諧の新境地を切り開くための旅立ちなのだ。
前方に、陸奥の地という未知の現実。
かえりみる江戸の暮らしは、過去の幻影としての「幻の巷」となるのかもしれない。
このとき芭蕉は四十六歳。 江戸を離れ、「おくのほそ道」の旅に向かう。 句は、舟に乗り合わせて千住まで見送ってくれた親しい人々に対する「別離の挨拶句」とされている。

前文で「前途(せんど)三千里」と表現しているように、苦難の長い道のりを辿ろうとしている旅人として、「又いつかはと心細し」と、再び生きて江戸にもどることがあるのだろうかという「惜別の念」が、この句に込められている格好になる。

過ぎていく春とともに江戸を離れて行くことに、鳥は啼き魚は涙をながして別れを惜しんでいるというイメージ。
前文にあるように、まさに、「離別の泪をそそぐ」だった。

そんなこの句の「シュール」な一面が美しい。
「行く春や」という現実が、「魚の泪」という超現実へ、スムーズに移行している。
この「行く春や」が、前文にある「幻の巷」と呼応しているように思える。
とすれば、「魚の目は泪」は何と呼応しているのだろうか。

「行く春や」は江戸・千住の現実。
「鳥啼き」は現実でもあり、夢の世界でもあるよ…

雨不足のせいかドウダンツツジの生垣が枯れている

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青森市内は雨不足。
22日付の東奥日報夕刊では、岩木川上流の目屋ダムが雨不足で水位が低下しているとのこと。そのため、岩木川流域水田地帯への農業用水の供給が困難になっているという記事。
まとまった降水が待たれているのだが、なかなか降りそうにない。

雨不足のせいか、青森市堤小学校北側の小公園を囲んでいるドウダンツツジの生垣が赤茶色に枯れ始めている。
ここのドウダンツツジは、秋になると鮮やかに紅葉し、通勤の人々の目を楽しませてくれる。

それがこの状態だと、今年の紅葉は危ぶまれるのではあるまいか。




ドウダンツツジは耐寒性はあるが、真夏の直射日光には弱いらしい。
今年は雨が降らないので、ことさら直射日光が堪えたのだろう。 そういえば、今年の春は、この垣根の花が少なかった。 雨不足だけでなく、他の原因もあるのかも知れない。
この生垣で葉が枯れているのは東側だけで、西側のドウダンツツジの葉は緑のまま。 東側は小学校のグランドの延長で、鉄棒や緑地になっており木立は無い。 一方西側は、小公園の木立が並んでいて保湿がまだ効いている状態だと思われる。
ツツジやサツキは根の浅い低木であるとはよく聞く話。 ここの生垣は、写真の通り、石垣の土留めの際に植えられている。 石垣が夏の気温で熱をもてば、地面の水分の蒸発を促す。 そのためここは他の場所よりも地面が乾きやすい環境にある。 これで雨不足では、根の浅いドウダンツツジは水分を吸い上げることができずに枯れてしまう。
西側の緑のままのドウダンツツジは、木立に助けられて、涼を得、夜露を得ているに違いない。 だから、雨不足・水不足でも枯れずに済んでいる。 木立はありがたいものだ。
というのは、素人な私の推測。 根を食害する害虫もいることだし、葉が枯れる原因は他にあるのかもしれない。 秋の紅葉が楽しみなだけに、これからの経過を見逃せないところだ。




芭蕉の意志「痩せながらわりなき菊のつぼみ哉」

「痩せながら」にはふたつのイメージがあるように思う。
ひとつは「痩せたまま」の意で未成熟・未発達というイメージ。もうひとつは、「痩せてはいるが」という逆接的なイメージ。 (1)のイメージでは「つぼみ」も痩せた弱々しい印象である (2)では、菊の茎や葉は弱々しくて、とても花を咲かせる道理などないが、それに反してこの「つぼみ」は・・・・と余韻を持たせているように感じられる。

津軽半島の北端、津軽海峡に面した美しい海岸線をドライブ、鋳釜崎から高野崎へ

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竜飛崎(たっぴざき)は津軽半島最北端の地。
津軽半島の西側に位置していて、津軽海峡に突き出た岬である。

その竜飛崎から、津軽海峡に面した道路を東に向かい今別町に入ると、鋳釜崎(いがまさき)と高野崎(たかのさき)がある。
一帯は袰月(ほろづき)海岸と呼ばれ、津軽国定公園に指定されている。

津軽国定公園の海岸部は東津軽郡外ヶ浜町(旧平舘村)から西津軽郡深浦町(旧岩崎村)までの約180キロメートル。
鋳釜崎と高野崎は、美しい海と特異な海岸浸食景観で知られ、夏になるとキャンプや海水浴、磯遊び、釣りなどが楽しめる。

両海岸とも、奇岩、怪岩がいたるところに突き出ていて、迫力のある景勝地となっている。
晴れた日には竜飛岬、下北半島、を眺めることが出来、津軽海峡をはさんで見える北海道の眺望が素晴らしい。

鋳釜崎海岸では、このページの写真の通り黒い岩が、独特な雰囲気を持っている。
すぐそばの高野崎とは、かなり違う印象。

昭和45年3月発行の経済企画庁総合開発局「土地分類図付属資料(青森県)」によれば、津軽半島の山地は「ほとんどが第三紀層および火成岩からなり・・・・・」とある。
鋳釜崎海岸の黒岩も火成岩なのだろうか。
火成岩とは、マグマが冷えて固まった岩石のこと。
鋳釜崎海岸の黒岩が火成岩なら、どの辺から噴き出たマグマがこの海岸に流れ落ちたのか。

第三紀層とは、6430万年前から260万年前の形成された地層のこと。
想像を絶する太古から、ここの岩は黒々として、波に削られてきたのだろう。

下北半島には恐山や陸奥燧岳(むつひうちだけ)などの火山があるのに対して津軽半島には火山が無いとされている。
だが過去の火山帯区分では、下北半島を「那須火山帯」が通っているのと同様に、津軽半島においては「鳥海火山帯」が北海道の渡島大島まで通っているとされていた。 津軽半島は、まったく火山に縁が無いという土地柄では無いようだ。




津軽海峡の潮の流れが、津軽半島の北側に海岸浸食景観をつくった。 その海岸の岩場は、太古の火山活動によってつくられたものなのかもしれない。
津軽海峡に面した美しい海岸線、鋳釜崎から高野崎へのドライブは、津軽半島の一面を垣間見せてくれるコースでもあるようだ。


























青森市郊外の山の中にある「小牧野遺跡」の環状列石を見物

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国指定史跡「小牧野遺跡」は青森市野沢字小牧野にある。 遺跡へは県道122号線(酸ヶ湯・高田線)を下湯温泉を目指して進む。 途中、高田中学校前を通り「野沢」に入ったあたりに、「小牧野遺跡」の案内看板がある。
注意しないと見落としそうな頼りない案内看板を辿って、「小牧野」に至り、看板に従って林道(農道)を山へ向かう。
小牧野遺跡は、荒川と入内川に挟まれた「舌状台地」上、標高140メートル付近にある。
「小牧野」から遺跡までは未舗装の林道(農道)を進む。 林道(農道)に入って、ようやく明確な案内標識が現れる。
遺跡のある場所は、地元住民が営む「畑作地」が点在する山の中である。 従って観光地とは違い、売店とかは皆無。 遺跡への路線バスも無い。
市営バスを利用する場合は、「大柳辺線」に乗り、「野沢」停留場で下車、そこから林道を30分ぐらい歩く。

道沿いの林は、杉林だったり、雑木林だったり。
夏であれば、林縁に大型の植物、「オオウバユリ」の蕾や花の姿を見ることが出来る。 遺跡駐車場そばに、「小牧野の森・どんぐりの家」という遺跡観察施設が建っていて、その建物にトイレや休憩スペースが備わっている。













上の写真、左側の大きな立石には嘉永7年(1854年)の年号が刻まれた江戸時代末期の馬頭観世音碑となっている。 この場所一帯は、江戸時代に馬の放牧場として使用され、「小牧野」の地名はそのことに由来しているという。 馬頭観世音碑は、元からその場所にあった環状列石の石を利用したものと考えられている。
















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