投稿

6月, 2016の投稿を表示しています

ケヤキの張り出した横根を見て思ったこと

イメージ
以前読んだ「植物のあっぱれな生き方」(著:田中修)という本に、面白い記事があった。
それは、動物と植物の違いについて書かれたもの。

動物には、動かなければならない理由がある。
それは、食べ物を探したり、子どもを残すために生殖行為の相手を探したり、ねぐらを探したり、敵から避難したり。

そういう理由で動物は動かなければならないとのこと。
これに対して植物は、一ヶ所でじっとしていても、これら全てをまかなえるので動き回る必要が無い。
植物は動物と違って動かなくても生きていける生き物なのだと。

そして、植物は動物の食糧をもまかなって生きている。
人間や動物は、植物が自らの体内で作った「ブドウ糖」を摂取して、それをエネルギー源として忙しく動き回っている。
この本の筆者は、植物と動物とどちらが偉いかを言っているのではない。
植物と動物と、どちらが便利かとも言っているわけではない。
動くものは動かないものに生かされて動いている一面があるということを読者に示しているのだ。
その植物の本によって私は、比較や対立といった観点では見えないものがあると気づかされた。




ところで、写真のようなケヤキの横根に出会うと、ケヤキは動かないために少しずつ根を動かしていると思えてくる。
その場所に止まるために、その場所を占有する。
まるで戦国武将の居城のように。
植物が成長することは動的ではあるが、動物の動的な生き方とはまったく違う。
でも写真のように、地面に露出した太い根で、大地を鷲づかみにしている姿には、動物的な力強さを感じさせるものがある。

その力強さは、難攻不落のお城というイメージである。
ケヤキは背丈が高く、枝ぶりが大きくて大柄である故に風当たりが強い。
強風に耐えるために、根を四方八方に這わせている。

樹木の根には、深根(しんこん)性と浅根(せんこん)性があるという。
深根性は、直根(ちょっこん)を深く伸ばすタイプで、アカマツが代表的な樹木。
浅根性は、地面をほふくするように横根(よこね)を伸ばすタイプで、ケヤキが代表的な樹木と言われている。




浅根性と言っても、この公園のケヤキの根の発達ぶりには驚かされる。
まるで蛸の足のような横根の張り具合。
ケヤキを家の近くに植えると、その横根によって家の基礎が壊される危険性があるという話も充分頷ける。
この公園の歩道の縁石も、ケヤキの横根によって持ち上げ…

人混みのなかの笑顔「東北六魂祭2016青森」

イメージ
今日は「東北六魂祭2016青森」の初日。
天気もいいことだし、祭りの賑わいを見物しに散歩がてら会場へ出かけた。
と、予想以上の人出に、ちょっとびっくり。
祭り好きな人たちが、会場に押し寄せている。

青森市港町の名前の無い海辺の公園は、実は「緩傾斜護岸」だった

イメージ
青森市港町3丁目に陸奥湾に面した、東西方向に細長い公園がある。
公園の周辺を見渡しても、この公園の名前を記した標示板は見当たらない。
この公園の東端の向こうは合浦2丁目。

この公園から東方向に道路を600メートルほど歩いたところに、「日本の都市公園100選」に選出されている合浦公園がある。
合浦公園は、青森市立の総合公園で、緑地にはソメイヨシノやクロマツが林立し、砂浜は夏場に海水浴場として開放されている。

近所に立派な合浦公園があるせいか、この「無名公園」は影がうすい。
存在感が希薄で、あまり人には知られていない。
公園の周辺は、水産物の加工工場が多く、住宅は少ない。
そのせいか、公園全体に寂しい空気が漂っているようである。

そういえば、港町は1丁目から3丁目まであるが、緑地公園が少ない。
港町1丁目の堤川の東側に、川に沿って青森市の都市公園である「堤公園」と、町の北側の端に、岸壁に沿った緑地遊歩道があるくらいである。

港町の西を流れる堤川の河口の西側には「堤川緑地公園」がある。
所在地は青柳1丁目。
この緑地公園には、駐車場あり、クロマツの並木あり、小高い丘に東屋あり、アスレチック遊具あり、すわって海を見渡せるベンチあり、もちろんトイレありで公園として一通りの設備が整っている。
海辺で釣りを楽しんでいる人もいる。

埠頭の先端にある「堤川緑地公園」の周辺は、冷蔵庫会社だったり生コン工場だったりで、住宅はほとんどない。
くらべてみたら、むしろ「無名公園」の方が、近くに住宅が多い。




この「無名公園」には、「堤川緑地公園」のような、夏の陽射しを遮ってくれる木陰も無ければ、目に優しい緑地も無い。 あるのは金属とタイルとコンクリートで構成された殺風景な空間だけ。 上の写真のように、スロープの入り口にあるシャレたゲートは、錆びついていて回転しない。 まるで何年も人が訪れたことの無い公園のようだ。 海釣り公園でもなさそうだし、いったい、この広場の用途は何なのだろう。 公園の散歩人の私としては、実に不思議な感じの公園なのだった。 謎と言ってもいいくらいだ。
ところで、この公園の東端の階段の下に、下の写真のような看板がある。 単なる注意書だろうと気にかけなかったが、よく見ると気になる文字が書かれてある。 看板上部の赤帯びには「緩傾斜護岸(かんけいしゃごがん)利用についての注意」と黒…

港町の岸壁沿いの遊歩道で「メノマンネングサ」という可愛い花に出会った

イメージ
青森市港町に、岸壁(北側)と自動車道路(南側)に挟まれて東西にのびる、幅7~8メートルの緑地遊歩道がある。
岸壁沿いの遊歩道とは言っても、海からは50~80メートルほど離れた位置を通っている。
犬を連れて、この遊歩道を散歩していたら、キリンソウによく似た花の野草を見つけた。

葉はキリンソウ同様に肉厚系であるが、葉の形がまるで違う。
キリンソウの葉は倒卵形で鋸歯がある。
誰が見ても葉っぱという形をしている。

ところが、こいつの葉は円柱状で先がまるくなっている。
なにやら棒のような形だ。
しかも、花のついた赤っぽい茎の傍らに、やはり円柱状の葉でおおわれた、背の低い茎が生えている。
その無花茎のモコモコした感じが面白くて可愛い。
なんとなく癒し系である。
黄色い花の径は12~15ミリ。
小さな花で、人知れずひっそりと咲いている風ではあるが、花は無数についていて、足元がとても賑やか。




キリンソウは、ベンケイソウ科に分類されている。
同じベンケイソウ科にマンネングサ属があるというのをネットで調べて知った。
マンネングサ属の花は、キリンソウによく似ていて、黄色い星型。
この遊歩道で見つけた野草はマンネングサ属のどれかであると見当をつけた。

ところで、マンネングサ属は種類が多い。
一個一個ネットで調べたが、ここにある写真と共通の外観を持つものは、なかなか見つからない。
似たようなものは、たとえばメキシコマンネングサとかタイトゴメとかがあるが、微妙に形が違っていたり生育地方が違っていたり。

そこで、「草花を愛でる方々のためのお尋ねBBS」に写真を添えて質問したら、「メノマンネングサ」ではないかというアドバイスをいただいた。
「メノマンネングサ」でいろいろ検索した結果、メノマンネングサに間違いなしと結論が出た。
最大の理由は、下の写真のように有花茎が赤いものが多いこと。
それと、葉の形が円柱状であること。




以下はネットで調べたメノマンネングサの特徴である。
多年草で常緑。植生帯は、山地、海岸の岩上、石垣。花茎は長く地上を這い、上方で斜上または直立する。花茎は、普通赤みを帯び、多数の枝を分岐する。花は、茎の先に5弁花を集散状につける。葉は単葉でまばらに互生し、形は円柱状。 などなど。 花はまるで違うが、茎も葉も肉厚系なので、マンネングサ属はスベリヒユを連想させる雰囲気がある。 スベリヒユ…

ステキに仰々しいオオヨシキリの鳴き声「能なしの眠たし我をぎやうぎやうし」

イメージ
私の仕事場の南側に葦の生い茂っている空地がある。
この空地に、毎年、夏の初めにオオヨシキリがやってくる。
今の時期は、朝早くから夕暮までオオヨシキリの鳴き声で、独りの仕事場がにぎやかだ。
葦原に生えた柳の枝に止まって、オオヨシキリが赤い口の中をのぞかせて、しきりに鳴いている。

野辺地町にある芭蕉の句碑「花盛り山は日ごろの朝ぼらけ」

野辺地町に芭蕉の句の石碑があると、人から聞いた。
野辺地町の桜の名所である「愛宕(あたご)公園」というところに、その句碑があるのだという。

芭蕉の「おくのほそ道」の旅の北限の地は平泉である。
野辺地までは足を延ばしていない。
「おくのほそ道」の通り道でもないのに、どうして野辺地町に芭蕉の句碑があるのだろう。
そう思って調べてみた。

この句碑は、文政十二年(1829年)に、俳聖芭蕉を慕う野辺地の俳諧師たちによって建てられたものであるという。
松尾芭蕉は元禄七年(1694年)十月に、大坂(現大阪)で亡くなっている。
その百三十五年後に、野辺地の地に芭蕉の句碑が建てられたことになる。
石碑の裏面には「東奥野辺地社中」と彫られている。

江戸時代の野辺地に、すでに熱心な芭蕉ファンがいらっしゃったのだ。
野辺地は、古くから交通や商業の重要な地として栄えた所。
生活に余裕のある商人達が、商いの品と一緒に情報を集め、風雅の世界に興じていたのだろう。

その石碑の表には、以下の句が刻まれてある。

花盛り山は日ごろの朝ぼらけ

この句は、芭蕉が貞享五年(1688年)に桜の名所吉野山で詠んだものとされている。
芭蕉は貞享五年三月(陰暦)頃、「笈の小文」の旅で吉野を訪れた。 ところが掲句は、芭蕉が著した俳諧紀行「笈の小文」にはおさめられていない。
作ってはみたものの、あまり気に入らなかったのだろうか。 私がこの句に接したとき、芭蕉の他の句とくらべて、ちょっとぼんやりした感じだなぁという印象を持ったのだったが・・・・。
掲句は、江戸時代前期の俳諧師である「中村史邦(なかむらふみくに)」という方が、芭蕉の没後に編んだ「芭蕉庵小文庫(ばしょうあんこぶんこ)」におさめられているという。

「芭蕉庵小文庫」は、元禄九年(1696年)三月の発刊。 江戸の俳諧の動向を絶えず注視していたであろう野辺地の俳諧師たちにとって、俳諧関係の出版物は熱望の的だったに違いない。
愛宕山に句碑を建立するにあたって、「東奥野辺地社中」の方々が、芭蕉句の出版物を前に、石碑に刻む句の選択に白熱した会議を幾日も開いていたであろう様子が想像される。

それとも、句碑の建立場所が愛宕山に決定した段階で、彫刻する句は「花盛り山は日ごろの朝ぼらけ」と決まっていたのかもしれない。
歌人西行が愛した吉野山の桜。
西行を慕っていた芭蕉もまた、吉野山…

「オヤスとトンケイ」の伝説の山、雲谷峠へ愛犬とミニハイキング

イメージ
今日は、雲谷(もや)峠へミニハイキング。

雲谷峠は、青森市の南側に位置し、八甲田山へ至る「案内標識」のような山。
大きな三角形の山は、青森市街地からよく目立つ。
雲谷峠山頂の標高が553メートル。

スタート地点のモヤヒルズ第7駐車場の標高が約250メートルだから、標高差300メートルのミニハイキングである。
アスレチック遊具のある冒険広場の東側を通り、ヒルズサンダーコースに沿ってアケビペアリフトの始点まで登った。

そのリフト始点から、ウィンターシーズンのスキーゲレンデとなっているトンケイコースをのんびりと登る。
ところで、「トンケイ」とは聞きなれない言葉。
スキー場(モヤヒルズ)の各ゲレンデ名は、コスモス、オダマキ、ワラビ、カタクリ、カランツ(アカフサスグリ)と、雲谷峠に自生する植物にちなんだものがほとんどである。
モヤヒルズに、「トンケイ」という名の植物は存在しない。

調べてみると「トンケイ」というのは、昔、雲谷の山に館をかまえていたアイヌ戦士の名前であるらしい。
その「トンケイ」の姉は「オヤス」という名前で、ここのアイヌ集落の「部族長」を務めていたという。
このアイヌ集落は、坂上田村麻呂という人の「蝦夷征伐」によって滅ぼされてしまった。

坂上田村麻呂が、大きな灯籠を持ち出して、笛や太鼓でアイヌ戦士達を誘い出して騙し討ちにしたという滑稽な伝説は、あまりにも有名だ。
これが「ねぶた祭り」の起源と言われているが、現在では否定的な意見が主流のようである。
坂上田村麻呂が、現在の青森県まで攻め入ったという史実は、今のところ存在しない。

「オヤス」と「トンケイ」という姉弟の存在も、山の麓の村に伝わる「昔話」の域を出ていない。
敗れはしたものの、坂上田村麻呂と対峙した岩手地方実在のアイヌ戦士「アテルイ」や「モレ」を模して作られた伝説かもしれない。
そういう伝説を持つことで、「モヤ」の山麓に住む人々は、中央政権に対して「まつろわぬもの」としての矜持を密かに保ったのか。
とすれば、雲谷の三角山は、中央政権に従わぬ者の象徴とも言える。

それはともかく、この雲谷峠の山は急峻な円錐形で、アイヌの部族が「チャシ(アイヌ人の館の意)」を築くのに適している。
青森市の後潟に「シリポロチャシ」があったように、この山にも「チャシ」が存在したことを信じたい。
統率力に優れた「オヤス」と、勇猛な戦…

滝沢の谷でミズ採り

イメージ
今日は午後から、青森市郊外の滝沢の山でミズ採り。
このところ、新鮮なミズを求めてあちこちの山へ出かけている。
ミズを食べると胃腸の調子がいいからだ。
今年は、ミズをたくさん食べよう。
ミズを食べて、大腸ポリープと慢性胃炎の悪化を遠ざけよう。
そう思ってミズ採りに精を出している。

滝沢はミズの豊富な山。
そのため、ミズ採りにやってくる人が多い。
林道入口には鍵のかかった柵があるものの、その柵の脇が大きく空いている。
そのため車両の通行が可能で、楽して大量のミズが入手できる。
長く歩くこと無く、ミズの繁殖地にたどり着けるのだ。
しかも、大量のミズをクルマで運搬できる。
山菜採りの人達にとっては天国のような山。

この林道は、路肩の崩れかかった箇所があるので、私のピックアップでは通るのがためらわれる。
林道を通るクルマは、軽トラや軽のワゴンがほとんど。
私は、滝沢の山をハイキングするときと同様に、みちのく有料道路脇の駐車スペースにクルマを止めた。
そこから15分ほど歩いたところが、今日の採集場。

近場の平坦な沢沿いの群生地は、クルマで入ったミズ採りによって採りつくされている。
生えているのは、茎の細い未熟なミズばかり。

山の険しい傾斜地のミズはまだ手つかずで、食べごろのミズが生い茂っていた。
そこで、急傾斜の沢を奥の方まで登り、そこでミズを採った。
楽してミズを採ろうという人々の手は、ここまで伸びていない。

谷の風景を楽しみながら、のんびりとミズ採りを楽しんだ。
青森ならではの贅沢な楽しみ。
そう思っているのは、私だけだろうか。

手頃な量のミズをポリヒモで束ね、根についた泥を沢の水で洗う。
そうやって6束をリュックに詰めた。
リュックを担いだ感じは20キロ強ぐらいの重さ。
あまり重いと帰りが剣呑だ。
急な岩の斜面と、滑りやすい足元。
足を滑らせて転落したら、怪我は免れない。
慎重に下って、今日の仕事は無事終了。
作業時間は、駐車場所からの行き帰りを合わせて2時間ぐらい。

家にもどったら、シャワーを浴びてからミズの皮抜き。
ミズは、茎の薄皮を剥がないと美味しくいただけない。
ミズを採るのは楽しいが、皮剥き作業がなかなか面倒。
しかし、食べる楽しみが待っている。

ミズの油炒めをつまみにビールを飲む。
ミズは油とよく合う。
おまけに、ビールともよく合う。
おっと、飲み過ぎに注…

散歩がてら浦町神明宮の宵宮見物

イメージ
13日の勝田稲荷神社の宵宮につづき、今夕は浦町神明宮(うらまちしんめいぐう)の宵宮見物。
夕暮の蒼き空の下、夜店の灯りがカラフルに輝いている。

その夜店に囲まれた道路には、すでに大勢の参拝客。
浦町神明宮は勝田稲荷神社よりも1キロメートルほど北の場所に鎮座している。

浦町神明宮の住所は橋本2丁目。
浦町神明宮の「浦町」とは、現在の青森市の「浦町」のことでは無い。

その昔、このあたり一帯が浦町村であった頃、「浦町」という地名を神明宮の頭に冠したためと思われる。

浦町神明宮の創建の年は不明とされている。
青森県神社庁の由緒書きによると、創建されたときは青森浦町元伊勢という所に鎮座していたという。

「元伊勢」という古い地名は、現在の浦町神明宮が建っている場所を示しているらしい。
それが、 寛永二十年、 弘前藩二代藩主信牧公の時、 青森町繁栄のため、 浦町村元伊勢より柳町へ遷宮。
現在の「浜町神明宮」は、当時の浦町村元伊勢より遷宮した「神明宮」が諸事情により遷宮を繰り返し、現在の地(本町2丁目)に鎮座したものであるという。
一方「神明宮」を失った浦町村の人々は、嘆願により浦町神明宮を享和2年に再興した。  浦町神明宮は、明治六年「村社(そんしゃ)」に列せられたという。

ちなみに「村社」とは、旧制度の社格(神社の格式のこと)のひとつ。
「村社」の格式は、「郷社(ごうしゃ)」の下で、「無格社」の上であるとされる。




「神明宮」は全国各地に鎮座し、全て伊勢信仰に由来するものであるという。
青森県内にも、54の「神明宮」が存在する。

浦町神明宮の御祭神は、天照大神(アマテラスオオミカミ)・大宮能賣神(オオミヤノメノカミ)・猿田彦神(サルタヒコノカミ)。

天照大神と猿田彦神はよく知られているが、大宮能賣神についてはあまり知られていない。 これにはいろいろな説があり、判然としない。 一説には大宮能賣神は、皇宮の祀祭神八柱のうちの一神で、「稲倉魂大神(うかのみたまのおおかみ)」の母神であり、人間と稲荷様との中継ぎをしてくれる女神様であるという。 「倉稲魂大神」は先日お参りした勝田稲荷神社の御祭神でもある。
浦町神明宮の宵宮では、賑やかにカラオケ大会が奉納されていた。 「大宮能賣神」は「天宇受賣命(アメノウズメノミコト)」の別名であるという説があり、「天宇受賣命」が「技芸上達の神様」とされ…

スポンサーリンク

◆今まで書いた記事一覧(この文字をクリックすると展開します。)

もっと見る