2021/07/25

閉校になった小学校校舎跡地にアラゲハンゴンソウの大群生

開智小学校校舎跡地。


「赤根沢の赤石」から山の方へ舗装道路が延びていたので、クルマを走らせた。
坂道を登り切ったところが平坦な丘になっていて、上の写真の小学校校舎跡地があった。

その跡地一面に、アラゲハンゴンソウが群生している。
アラゲハンゴンソウは、以前に合子沢で見かけたことがあるが、こんな大群生ははじめてだ。
かつての、子どもたちの黄色い大歓声。
真夏の炎天直下の原っぱで、そんな元気な声を思い浮かべた。
この校庭に充満していた歓声が、花の姿で今も続いている。

今別町立開智小学校校舎跡地。
そう彫られた石柱の横に、記念碑が建っている。
この記念碑の裏に、開智小学校の沿革が彫られてあった。
開校は、明治九年五月十日とある。
昭和五十一年に創立百周年を記念してこの石碑が建立されたとのこと。
「智見は道を開く」という言葉が、石碑の表に記されてある。
いい言葉。

平成十二年(2000年)に、今別小学校へ統合となり、開智小学校は廃校となっている。
明治時代からの今別町の発展と、昭和時代の後半に入ってからの人口減少による衰退の歴史。
怒涛の津軽海峡を前にした波乱の歴史を語っているような小学校跡地だった。

学校の校舎は立地条件の良い場所に建てられる。
この台地なら、津波や高波におそわれたとき、周辺の住民たちの安全な避難場所になったことだろう。

もし縄文人が、赤根沢からベンガラの原料(赤根沢赤鉄鉱)を採掘し、赤色顔料であるベンガラを精製する工房を持っていたなら、それは立地条件の良いこの場所に設けたのではあるまいか。
工房を囲むような形で、周辺に職人たちの住居もあったことだろう。
この小学校校舎跡地は、古代においては産業都市の中心であったかもしれない。
などと空想を楽しんだ。

縄文時代には、北アメリカ原産のアラゲハンゴンソウは存在しなかった。
この丘には、縄文人がその根からデンプンをとって団子にしたのではないかとされるオオウバユリが群生していたのかもしれない。

アラゲハンゴンソウは、オオハンゴンソウの仲間で、ともに外来植物(帰化植物)である。
オオハンゴンソウは、日本の各地で繁殖範囲を拡大し続けている。
在来植物の生態系に影響を及ぼす恐れがあるため、「特定外来生物」として各地で駆除作業が行われている。
アラゲハンゴンソウは、まだ駆除の対象にはなっていないという。

私の知っている限りで言えば、アラゲハンゴンソウは、オオハンゴンソウほど目につく存在ではない。
外来植物は、どこか日本の風景にそぐわない違和感をもっている。
しかし、この原っぱではアラゲハンゴンソウのにぎわいは、開智小学校校舎跡地の雰囲気に溶け込んでいるように感じる。
「夏草や兵どもが夢の跡」ならぬ「アラゲハンゴンソウやわんぱく坊主たちの夢の跡」であるからか。


一面にアラゲハンゴンソウが群生。

黄色い舌状花が13枚。

暗紫色の筒状花。

粗い剛毛が密生している茎と葉。

盛り上がっている筒状花。

アラゲハンゴンソウの花姿。

枯れかかった花。

舌状花が中央から赤く染まり始めている。

蕾。

アラゲハンゴンソウの傍らで背を伸ばしている外来植物のヘラオオバコ

蕾。筒状花のまわりに、まだ白っぽい舌状花が閉じている。舌状花のまわりは萼片。

小学校跡地の端の方に置かれていたツキノワグマの捕獲用罠。