由良の門を渡る舟人梶を絶え行方も知らぬ恋の道かな
百人一首の歌人の中で、異色とされている人に、曽禰 好忠(そね の よしただ)がいる。
谷友子氏の「百人一首(全)・角川ソフィア文庫」には、宮廷の和歌の催しに、呼ばれもしないのに出かけて行って追い出されるなどの奇行が多かった人物であると書かれている。
また、その歌風においては、当時の慣例に囚われずに、新しい歌の世界を切り開いた歌人であるともされている。
そんな曽禰 好忠に、百人一首四十六番の以下の歌がある。
由良の門を渡る舟人梶を絶え行方も知らぬ恋の道かな
(ゆらのとを わたるふなびと かぢをたえ ゆくへもしらぬ こひのみちかな)
これは、命がけの恋を描いた歌のようである。
潮の流れの複雑な海の難所で、舟を進める櫂を失ってしまい、漂流や遭難死の危険に直面している舟人(船頭)を描き、その状況を歌人の恋の行方と重ね合わせている。
Wikipediaには「偏狭な性格で自尊心が高かったことから、社交界に受け入れられず孤立した存在であった」とある。
そう考えると「由良の門を」は、比喩を用いた恋の歌以外に、何か含みがあるように感じられる。
「曽禰 好忠」をインターネットの「古典作品登場人物名鑑」で調べると、「長く丹後掾(たんごのじょう)として低い官位にいたため、高位の貴族たちから曾丹後・曾丹などと呼ばれて軽んじられたという。恵まれない境遇を独特な和歌に詠み、のちの時代に影響を与えた」とある。
この点について、株式会社小倉山荘の HP では次のように解説している。
「丹後掾」とは、丹後国の地方官のことで、好忠は六位の官人であったという。
六位以下では、通常昇殿が許されず、地下(じげ)と呼ばれ、殿上人(てんじょうびと)から「卑官」として蔑まれていたとのこと。
(株式会社小倉山荘ホームページ>読物>「小倉百人一首」あらかるた>いじめに耐える名歌人 より)
上記を読むと、高位の貴族たちが牛耳っていた当時の「歌壇」から、排斥され孤立していたことが伺われる。
そんな歌人が、宮廷サロン好みの「恋の歌」を素直に詠むだろうか。
そこで、この歌を、ストレートに理解してみた。
これは「舟人」という漁師(労働者)の恋の歌ではないかと。
櫂を失ってしまった漁師は、漂流してしまい、彼の愛しい恋人に行き逢うことも叶わなくなり、荒海で命の危険にさらされている。
彼の恋の行方はどうなってしまうのだろうかというイメージである。
万葉集の時代には、特に「東歌」に、稲作などの労働の様子を詠った庶民(作者不詳)の歌が多くあることが知られている。
曽禰 好忠のこの歌は、そうした万葉集の「労働と生の実感に根ざした歌」の伝統を、当時の和歌に呼び戻そうとする試みとして、読むこともできる。
「由良の門を」の歌は、単なる恋の比喩にとどまらない。
貴族社会の使い古された四季の美意識に対して、独創的な自然感覚を突きつける一撃となっているのではないか。
そう考えると、曽禰 好忠の孤立は、単なる性格の問題ではなく、そのような表現の選択とも無関係ではなかったと思われる。
この歌に漂う緊張感は、貴族社会の外側に立たざるを得なかった歌人の生き方がもたらしたものにほかならない。
雅な美意識に対して、強烈なストレートパンチを与えたのが掲出歌ではなかろうかと、私は感じている。