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日の出とともに早朝目が覚めて、安眠出来ない

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青森市の日の出時刻 今年(2014年)の夏至は6月21日。
夏至近辺の、青森市の日の出時刻を調べてみた。
国立天文台のサイト、天文情報センター暦計算室のページに各地の「日の出、日の入り」の情報がある。
青森市で、日の出時刻が午前4時5分台である期間は、6月9日から夏至(21日)まで。
その時刻が年間を通して最も早い。

遮光器土偶のつがる市木造駅と駅前食堂(神武食堂)

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 つがる市木造にある大溜池の感傷的な見物の後、木造駅に向かった。
 木造駅の壁面に設置されているという巨大な遮光器土偶を見物するためだ。

で、ご対面したのが下の写真の遮光器土偶。

もちろん、これは亀ヶ岡遺跡の出土品ではなくて 、それの拡大コピー。
コピー元は、東京国立博物館所蔵の遮光器土偶。
木造の亀ヶ岡遺跡から発掘された重要文化財である。

この建物に貼り付いた物体を、モニュメントと呼ぶべきなのか、オブジェと言うべきなのか。
堂々と胸を張って、駅前通りを見下ろしている。
いや、どこか遠くを眺めている。
まるで、望郷人形。
故郷を遠く離れた人達の、魂のオブジェのようにも見える、と言ったら言い過ぎか。

駅舎同様コンクリート製で、高さが17メートル。
愛称は「シャコちゃん」。




木造駅は、JR東日本・五能線の駅。
巨大な土偶駅は、1988年から1989年にかけて、日本の各市区町村に対し、地域振興に使える資金1億円を交付した「ふるさと創生一億円事業」によって建築された。

当初は、列車が到着すると遮光器土偶の細い目が光っていたらしいが、子どもが怖がるので止めたという。
謎めいて神秘的なこの遮光器土偶そのものが、一部の恐がりな子ども達にとっては恐怖の対象かもしれない。
縄文時代の子どもたちも、「遮光器土偶」に対して畏敬の念を感じていたことだろう。




この駅舎自体を、掘立柱建物や竪穴住居を模倣したものに造っていれば、縄文ムード満天なのでは。
などと考えていたら、どこからか醤油スープのいいにおいが。

時刻は昼食どき。
出し汁のにおいの元を探して駅前を歩いてみたら、駅のすぐ近くに食堂があった。
食堂の名前は、神武食堂。
「えっ、神武って、あの神武天皇のジンム?」
ムードは縄文時代から神話時代へ。
ってほどでもない、田舎の駅前の、ごくありふれた食堂なのだが。
えらく混んでいる。
私たちの前に、空き待ちの家族連れが3名。




ここはきっと美味しいに違いないと、席が空くのを待った。
連れとふたりで、下の写真のラーメンと焼きそばを食べたが、好みの味。
あっさりしていて美味しい。
くどい味が好みの方には、あっさりし過ぎかもしれないが、私には充分だった。
 あっさり津軽味ラーメン。

えらい混み様だったので、有名な食堂なのではと思い、ネットで調べてみたら、そのようだった。
店名は「神武( ジンタケ)食…

つがる市木造(きづくり)大溜池の畔に建つはずだった「亀ヶ岡城」

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縄文館が畔にある大溜池を見物しようとしたが、「瞰湖台」みたいな所は見当たらない。
大溜池は鬱蒼とした森に囲まれていて、なかなか岸辺には近づけない。
また、近づけたとしても、岸辺が私有地のため、立入禁止になっていたり。

ようやっと、岸辺と接している道路を見つけ、大溜池の一端を眺めることが出来た。
その地点が、「大溜池周辺図」の「写真撮影地点」と記したところ。
赤丸のポイント。
この記事に添付している写真は、ここから撮ったもの。
小雨模様の曇り空だったので、冴えない写真になってしまった。

この溜池がこんなに入り組んだ形になっているのは、この付近の丘陵の地形が入り組んでいるからだ。
大溜池は、弘前藩2代目藩主、津軽信枚(のぶひら)によって作られたという。

津軽信枚は、1622年、この地に「亀ヶ岡城」を築こうとした。
ところが、築城の途中、江戸幕府から「一国一城令」が発せられたため、廃城となり、「亀ヶ岡城」は幻となった。
城の堀にする予定だった「大溜池」は溜池として、そのまま残したという。





「写真撮影地点」あたりを境に西側は丘陵地帯(大溜池)、東側は水田地帯となっている。
この境界線上に堤防を築けば、西側の丘陵地帯の低地部分に、雨水や湧き水や、雪解け水などの流入水が溜まり、入り組んだ溜池が出来上がる。

溜池のタイプから言えば、「谷池」の一種になるのだろう。
溜池は、入り組んだ丘陵地の森に囲まれていて、なかなか景観が良い。
「リアス式湖岸」というようなイメージ。
こうして出来上がった見栄えのある溜池に、信枚公はどんな名前をつけようとしたのだろう。
築城を断念した失意のあまり、そのまんまの「大溜池」という味気ない名前をつけて仕舞いにしたのかもしれない。

縄文館内の「木造亀ヶ岡考古資料室 」受付でいただいた「つがる市資料館ガイド」というパンフレットには「亀ヶ岡城跡」という項目がある。
以下はそのパンフレットからの抜粋。

木造考古資料室の北隣地区は亀ヶ岡城の予定地であった。しかし徳川幕府の「一国一城令」に従い、築城途中でやむなく廃城となった。この付近の台地を囲む「大溜池」は亀ヶ岡城の堀として予定されたものであるほか、現在、城跡には築城時をしのぶ土塁や巨大な空堀などの遺構が残っている。なお、過去には「亀ヶ岡遺跡発見のきっかけ=亀ヶ岡城の築城」とする説もあったが、これは誤りで城跡…

つがる市木造の亀ヶ岡考古資料室(縄文館内)

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亀ヶ岡遺跡を見物したかったが、あいにくの雨。
そこで、大溜池の畔にある縄文館を訪れた。

その場所は、案内誘導看板があるものの、非常にわかりにくい。
集落の曲がりくねった道を通ったり、畑の中の細い道を通ったりして、やっと辿り着いた次第。

木造(きづくり)地区の農業者トレーニングセンターも兼ねた縄文館の一階に、亀ヶ岡考古資料室があって、主に亀ヶ岡遺跡の出土品が展示されている。
入場料は、大人200円。

「亀ヶ岡式土器」は、日本の縄文晩期の文化を代表する造形美を持っていて、特に精緻な文様や漆による赤彩などがある精製土器は、縄文土器造形の極致と言われている。
が、残念ながら、この縄文館には、そういう出土品は見当たらなかった。

見応えのある精緻な造形物を期待して訪れたので、少々、がっかり。
でも、それなりに面白い出土品見学が出来た。

「亀ヶ岡文化」についての説明パネルが展示してあったので、以下はその転載。
 日本を代表する縄文文化の一つである縄文時代晩期の亀ヶ岡文化、亀ヶ岡式土器とは、この縄文館が所在する木造町館岡(たておか)の亀ヶ岡遺跡に由来する名称である。
 亀ヶ岡文化は、北は北海道から南は東北地方南部と新潟県の一部までを含む広大な文化圏を形成した。秋に実りをもたらし、初冬に葉を落として再び春に若葉をつける、そういう季節感あふれる落葉広葉樹林帯の豊かな自然を背景に育まれたものである。 つまり、縄文時代晩期のものとして、この地の亀ヶ岡出土品に代表される様式の土器が、北海道から新潟県の一部まで、広い範囲で発見された。
そのため、亀ヶ岡式土器をもたらした文化を、「亀ヶ岡文化」と呼んで特徴付けている。










「亀ヶ岡式土器の特徴」という展示パネルがあったので、その説明文を以下に転載した。
 亀ヶ岡式土器の特徴は、器面を研磨(けんま)し粗製(そせい)と精製(せいせい)の土器を作り分け、深鉢形、鉢形、浅鉢形、皿形、台付鉢形、壷形、注口(ちゅうこう)形、香炉形などの多様な種類の器形と、入組み磨消(すりけし)縄文などの華麗な文様を器面に施して、装飾性の強い美しさを意識していること、である。・・・・・・
 亀ヶ岡文化を代表する眼部を誇張した遮光器土偶(しゃこうきどぐう)は、自然界と人々の生活の豊穣(ほうじょう)を祈るために作られた女性像である。その他に、岩偶(がんぐう)、土版(どばん)、岩版(がん…

つがる市稲垣町の広い河川公園を散策

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小雨の中、つがる市稲垣町の河川公園を散策した。
右の案内看板に、この公園の名前は記載されていない。
こんなに大きな公園なのに、名前が無いなんて。
国土交通省 青森河川国道事務所 五所川原出張所のサイトには、「河川公園(つがる市稲垣町)」という名前でしか紹介されていない。




「稲垣河川公園」という通称があるようだが、これはこの公園の正式名称では無いようだ。
地図で見ると、この河川公園のほとんどは、五所川原市藻川に属している。
稲垣町の市町村境界の外の、藻川地区に所在する公園なので、公園入口が稲垣町にあっても、正式に「稲垣河川公園」とは呼べないのだろう。

遠くからここを訪れた人は、この看板の前に立って、「ずいぶん広い公園だねぇ、はて?このやけに広いだけの公園の名前はなんて言うんだろう?」と思うはず。
その人は、家に帰ってから、友人や近所の人に、この大きな公園の話をするに違いない。
その際、この公園の名前を尋ねられて、返答に窮することだろう。
岩木川の河川公園は、青森河川国道事務所五所川原出張所管内だけで、五ヵ所ある。
この「河川公園(つがる市稲垣町)」は、固有の名前が無いおかげで、多くの県民には知られていない存在かもしれない。
そのせいか、雨のせいか、この公園に散歩にきた物好きは、私達だけだった。




「河川公園(つがる市稲垣町)」は、稲垣町の稲垣小学校の東側に広がる岩木川河川敷を利用した公園。
つがる市稲垣町は、旧稲垣村の田園地帯の町。
五所川原市から岩木川沿いの堤防道路(県道43号五所川原車力線)を12キロメートルほど十三楜に向かって下った所にある。

河川敷が広いので、この公園も広い。
ただ広いだけの公園が好きな方には、もってこいの公園。
広い芝生の上でのんびりしたい、という人にも最適。
平面的なので、広い場所を思い切りウオーキングして汗をかきたいという人にもおすすめ。
ほんと、思い切り歩ける場所である。
芝生もよく整備されている。
芝生広場・遊歩道・多目的運動場・浮き橋・ゲートボール場・バーベキュー広場・グランドゴルフ場などが整備されていて、多目的に使用出来る公園となっている。




この公園に、子ども向けの遊具は見当たらない。
公園の中で、お子さんを遊具で遊ばせたい、という目的の方には不向き。
高低差のない河川敷の公園なので、変化に富んだ自然公園が好き、という方にも不向き。
岩…

朝、遠くのものが見えにくい

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仕事の都合で早起きして、犬の散歩にも早く出かけた。
近所の公園を散歩しながら、いつものように周囲の木々を眺めていたら、なんだか変だと気がついた。
遠くのものが、ぼやけて見えにくい。
近視が急激に進んだような具合。
目を見開いたり細めたりしてみたが、いつもと違う。
遠くと言っても20mから50mぐらい離れた辺りが不鮮明に見えて、ちょっと不快な気分になった。

ニホンハッカとドクダミのせめぎ合い

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梅雨の中休みなのか、今朝は晴れ上がっていた。
犬の散歩のついでに、近所の空き地を覗くと、ニホンハッカとドクダミの群れ。
ニホンハッカは、前回見たときよりも上背が増して、緑色も一段と鮮やかになっている。

白神ライン「一ツ森峠」から白神山地「太夫峰」へ

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東京から、両親の墓参りにきた姉が、白神山地を見てみたいというので案内した。
登山コースは、登山口が岩崎村からのアプローチが近くて、山頂までの距離が短い一ツ森~太夫峰(たゆうみね)を選んだ。

私にとっても未踏のコースである。
太夫峯の山頂からは、白神山地の最高峰である向白神(むかいしらかみ)岳や白神岳、天狗岳などが見渡せるという。
この3峰は、昔、訪れたことがある。

登山口へのアプローチ 青森市を7時に出発したときは、梅雨時の曇り空。
鰺ヶ沢町を過ぎたあたりから、青空がひろがりはじめ、好天に。
道の駅ふかうら「かそせいか焼き村」で、親切なおばさんから昼食用の弁当を購入。
400円で総菜豊富、お値打ちな弁当だった。
深浦町から岩崎村に入り、道路標識に従って、今まで走ってきた国道101号線をはずれて白神ライン(県道28号線)に進入。

笹内川沿いから尾根に登りかける辺りまでは舗装道路。
それからは、未舗装のデコボコ砂利道。
四駆車で走るのが無難な山岳道路である。
一ツ森公衆トイレ付近は舗装されていた。






まだ新しい一ツ森公衆トイレから、2キロほど西目屋方面に走ると右手に看板が見える。
上の写真がそれ。
この看板の左手に登山道の標識がある。
駐車スペースは、この看板より20メートルぐらい進んだところに、乗用車2台分ぐらいの空き地があった。
そこにクルマを駐車し、山歩きの身支度を整える。

登山開始 登山道に入ると、林の中に、よく踏まれた道が延びている。
国土地理院の地形図には、「太夫峰」という山名も、この登山道も記載されていない。
道は、向白神岳へ続く稜線を辿る。
稜線上の各ピークを結ぶ線がルートとなっている。
ピークを巻くような道は無いので、アップダウンが7~8カ所あった。
長くて急なアップと短めのダウンを繰り返しながら高度を上げていく尾根歩き。
ピークは、一ツ森寄りから、745、919、1015、1164(太夫峰)。
スタート地点の標高が約670メートルで、ゴールの太夫峰が1164メートルだから標高差約500メートルの山行となる。
登山口から太夫峰までの距離は2.8キロメートル。
数は少ないが、要所に行程標識が設置されていた。
中には壊れかけて不鮮明なものもあるから、要注意。



コース最大の難所 745ピークを下りると、緩い傾斜の尾根歩きがちょっと続く。
やがて、前方のブナ…

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