雑談散歩

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水取りや氷の僧の沓の音

お水取りは、奈良の東大寺二月堂で行われる「修二会(しゅにえ)」という法行の一部とのこと。

二月堂の前の閼伽井屋(あかいや)にある若狭井(わかさい)という井戸から観音さまにお供えする「お香水(おこうずい)」を汲み上げる儀式が「お水取り」。
江戸時代では、厳寒の旧暦二月一日から行われていたという。

水取りや氷の僧の沓(くつ)の音
松尾芭蕉

貞享二年、芭蕉四十二歳のときの作とされている。
句の前書きに、「二月堂に籠(こも)りて」とある。
「野ざらし紀行」の旅の途中、奈良での発句。

「沓」とは、僧侶の履物。
木で造られていて、足先をすっぽりと覆うものであるという。
その「沓」の音が、厳寒の夜に二月堂の建物に響き渡る。

東大寺のお水取りは、その季節になるとテレビのニュースでよく報道されている。
松明(たいまつ)を持って走る僧侶の姿は、画面に映し出されるが、その僧侶の履物がどんなものであるかまでは判然としない。
二月堂周辺に詰めかけた観客の歓声は聞こえるが、「僧の沓の音」は聞こえない。

芭蕉がお水取りを「見学」した頃は、現代みたいに一般の人たちには開かれていなかったのだろう。
閉じられた空間での、僧侶の厳粛な「行」のひとつだったのではあるまいか。
そういう雰囲気が掲句から伝わってくる。

その厳粛さが「氷の僧」という言葉に言い表されていると思う。
ただ、この「氷の僧」には異説がある。
二月堂の南側に建っている芭蕉の句碑には、「水取りやこもりの僧の沓の音」と刻まれているという。
この句碑の句の根拠は、蝶夢編「芭蕉翁発句集」(安永三年刊)にある芭蕉の句「水とりやこもりの僧の沓の音」だとされている。
蝶夢は僧でもあった俳人で、松尾芭蕉の遺作を研究していた。
また、芭蕉百回忌を行ったことでも知られている。

だが、「野ざらし紀行」の別名である「甲子吟行(かっしぎんこう)」には、「水取りや氷の僧の沓の音」とあるという。
「甲子吟行」は芭蕉直筆の原稿を元に清書したものとされているので、「水取りや氷の僧の沓の音」の方が芭蕉のオリジナルではないかと言われている。

しかし、「氷の僧の沓の音」という表現は、なんと「現代詩」風であることか。
ときどき、芭蕉のこういう表現に出会うと驚いてしまう。
以前記事にした、「瓶割るる夜の氷の寝覚め哉」とか「冬の日や馬上に凍る影法師」とか「蛸壺やはかなき夢を夏の月」とか「行く春や鳥啼き魚の目は泪」とか「馬に寝て残夢月遠し茶の煙」とか。
江戸時代という古臭さを感じさせない斬新なものばかりであると私は感じている。

これは素人である私の感想なのだが、「氷の僧」とは「こもりの僧」の、芭蕉独特のダジャレなのではと思ったりもしている。
「水取りやこもりの僧の沓の音」では、ちょっと説明的で面白みが無い。
そこで「こもりの僧」を似た音の「氷の僧」に置き換える。
すると、イメージは、二月堂という限られた空間から飛び出して、大きく広がっていく。
「氷の僧」の存在感が、「水取り」の「行」の幻想性をクローズアップしているような。
この広がりの中で、「こもりの僧」も同時に連想できるという仕掛け。
それが、芭蕉独特の壮大なダジャレではないかと私は感じている。

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